ヤマネコと赤い宝石
窓の鍵を開けてアーネを招き入れ、また鍵をかける。
人差し指を口に当てて無言で室内を見渡したアーネは、向かって左奥を指さしてゆっくりと歩きだした。
『だれかいるの?』
暗闇の中から聞こえた声に、足元を見ていた勇那は顔をあげた。毛足の長い絨毯に足を取られないように気を付けながら、声のする方へ急いだ。
『あ! イサナ!』
場違いなほど明るい声に名前を呼ばれて、勇那は安堵の息を吐いた。
暗闇に慣れた目には、鳥かごの中に閉じ込められた無傷のタビの姿があった。貴重なカーバンクルとして大事に扱われていたらしく、手荒な真似はされていないようだ。籠の中には水入れとほぐした魚らしきものまで置いてあったため、食事までできていたようだ。勇那よりもずっと待遇は良い。
(良かった……)
ほっとする勇那の横で、アーネも安堵するのがわかった。タビの声は勇那以外にはただの猫の鳴き声に聞こえるためアーネには分からなかっただろうが、それでも無邪気な獣の鳴き声に表情を緩めていた。
そういう顔を見ると、少しだけ幼く見える。
勇那はかごの隙間から指を伸ばした。
『イサナ?』
「タビ、外に出してあげるから、私の手に触ってじっとして」
小声でささやくと、タビはきょとんとしながらも勇那の差し出した指に前足を置いた。
鳥かごには、地下牢よりも豪華な南京錠がかけてあり、当然勇那たちは鍵を持っていない。だが、勇那にはスキルがある。
勇那は集中すると、タビを鳥かごの中から外へ転移させた。
タビは子猫らしく、突然空中に転移してもすぐに体制を整えてくるりと一回転すると着地した。
『出られた! イサナありがとう!』
「どういたしまして」
解放感で体を伸ばすタビに、場違いにも笑みがこぼれた。
(タビは助けられた。あとはこの場所から逃げるだけ)
扉向こうの護衛に気づかれる前に出なければと、勇那はアーネを振り返って固まった。
アーネは室内の棚を物色していた。
「……何してるの?」
「手ぶらで出るのは無謀でしょ。金目のものとか、使えそうなものも持っていくわ。貴方はこれをもって」
渡されたのは、大きな布袋だった。広げてみると、勇那とアーネの二人が身を寄せればすっぽり入れそうな大きさだ。
「なにこれ」
「説明は後」
確かにそうだ。
勇那も何か探そうと、こわごわとしながら執務机の引き出しを開けては中を確認した。
書類らしき紙が入っている引き出しがほとんどだったが、一番上の引き出しに三枚の硬貨を見つけてテンションが上がった。
「これ……」
「ちょうどいいわ。それも貴方が持っていなさい」
言いながら、アーネは宝石の入った小袋を懐に入れていた。さすがである。
「さあ、バレる前に出るわよ」
勇那は頷くと、窓の鍵はそのままにアーネに手を差し出した。反対の手で布袋とタビを抱きかかえる。
もう慣れたように差し出された手をとったアーネとともに、勇那は再び屋根上に転移した。
今度は先ほどよりも音を立てず屋根の上に飛ぶことができた。
「タビ、無事でよかった……」
改めて、月明りの下、勇那はタビを抱きしめた。変わらず温かな体に、心から安堵する。体の方に怪我はないかと確認しながら問いかけた。
「捕まってた間、何もされなかった?」
『ううん。なんにもされてないよ。ずっとあそこにいたの』
「そっか。手荒にされなくて本当に良かった」
勇那は涙目で喜んだ。
「それがカーバンクル。初めて見たけれど、本当に赤い宝石がついているのね……あら?」
感動の再会をする横で、興味深げに見ていたアーネの眉が寄った。
「その子、カーバンクルじゃないわね」
「えっ?」
「スキル判定が否だもの。なんの魔獣かわからないけど、カーバンクルじゃないわ。はっ、どこかの商人が高く売ろうと、ヤマネコに宝石でも張り付けたのかしら。それにしては随分小さい個体だけど、貴方もとんだ災難ね」
「やっぱり……」
アーネの言葉に、勇那は渋い顔になった。
「驚かないのね」
「訳ありなんだけど、この子を引き取ったとき、カーバンクルなんて言われなかったし、ちょっと疑ってた」
「ああ、貰いものなら疑うわね。カーバンクルを譲る馬鹿はいないでしょうし。貴方の口ぶりならそう高価でもなかったんでしょう?」
「お金はかかってない」
「ならきっと厄介払いされたのね。お馬鹿さんが偽物でも作ろうとして失敗したのかしら。ただより高いものはないのだから、次からは疑いなさいよ」
「あははは……」
勝手に色々想像してくれたアーネに、勇那は何も言えずに乾いた笑いを返した。
(女神様がこの世界に適応させるためにつけた宝石だなんて、とても言えないし)
適応進化させると言っていたから、タビがカーバンクルに進化する可能性もないとはいえなかった。しかし、アーネの鑑定のおかげでカーバンクルではないとわかったのは良好だ。
「そのうち宝石もポロっととれちゃうかもね」
「その方がいいわ。下手にそのままだと、また狙われるわよ」
アーネの指摘はもっともだ。
「ヤマネコってもっと大きいの? この子も大きくなるかな」
「見たことないの? 持ち上げたら人の半分くらいはあるわよ。子どもにしても頭一つ分はあるから、この子は別種じゃないかしら」
アーネが名前をあげたということは、ヤマネコというのが、おそらくこの世界での地球の猫に類似する種なんだろう。
(額の宝石が外れたとき、タビは何に進化しているんだろう。今の話だと、やっぱりヤマネコなのかな)
勇那の腰あたりまで大きくなったタビを想像して、勇那はなんとも言えない顔になった。
(やめよ。今考えてもどうしようもないし)
進化先が選べるわけでもない。
視線をタビからアーネに戻すと、アーネの強い視線とぶつかった。
「さあ、貴方の願いはかなえたんだから、次は私の願いもかなえてもらうわよ」
「それは、うん、わかってる」
アーネは約束通り、タビの奪還を果たしてくれた。牢屋からも無事に出られたのだって、アーネのおかげだ。次は勇那が約束を果たす番である。
「ここからシャウの街まで飛ぶの?」
「それが出来れば簡単でしょうけど、無理でしょ」
「そう、かも」
勇那はここまでに四回転移を使っている。どれも短い距離だったが、体感で体内の何かが既に半分くらいなくなった気がしていた。このなくなったものが魔力だというのなら、勇那が飛べるのは同程度の距離であと四回ということになる。体感なので正確さに不安があり、保険をかけてあと三回と思っておくとして、随分と拙い手段である。
勇那がここに連れてこられるのに、馬車でおおよそ一日がかかっていた。寄り道していたことを加味しても、スキルで飛びきれる距離ではない。
「魔力を使い切ったら、どれくらいで回復するものなの?」
「個人差はあるけれど、十分な食事と休息をとれば普通は一晩で回復するわ」
「それなら、こまめに休憩を挟んだらスキルで飛んでいくとか?」
「そんな不確かな方法取らないわよ。今の軽装で野宿なんて、私たちに無理に決まってるでしょ」
ろくな食糧も持たず、体を休める毛布もない。簡素なワンピースに布袋と宝飾品だけ持っている少女二人で野宿は危険だと、勇那でも分かった。
「それに、次に捕まったら終わりよ」
話すアーネの顔が怖いくらい真剣で、勇那は息を呑んだ。
「金目の物を盗って逃げた奴隷の末路が生易しいわけないでしょ」
「……そうだね」
言われてから気づく自分は、やっぱり考えの甘い子供だ。
逃げなければ、待っているのは地獄。逃げきれなくても、待っているのは地獄なのだ。
それがどんな地獄なのか、考えれば考えるほど勇那は恐ろしかった。
タビを取り戻して緩んでいた心を、思い出した現状が締め付けた。
『イサナ、だいじょうぶ?』
「……大丈夫。まだ、大丈夫だから」
勇那の不安につられるように、腕の中のタビが不安気に勇那を見上げてくる。
その幼い相棒を不安にさせたくなくて、勇那は怯える心を奮い立たせた。それは齢十五の小娘にとって精一杯の強がりだった。当然アーネにはバレているらしく、鼻で笑われたけれど、気にならなかった。
「野宿が無理なら、ここからどうやってシャウの街に行くつもりだったの」
勇那の問いに、アーネが大きな門のある方へと視線を動かした。
「ここにはオークションだけでなく個人の商談で買い手の決まった奴隷もいて、ここから馬車で相手に届けられる場合も多いの。その馬車に潜り込むわよ」
「バレないかな」
「やってみないとわからないわね。でも、奴隷を懇切丁寧に世話するやつなんてここにはいないわ。買い手がついてるから死なれちゃ困るでしょうけど、逆を言えば、死ななきゃいいと思ってるのよ。それに、私たちが逃げたことはまだ気づかれてないから、配送馬車に隠れているとは思わないはずよ」
あの馬車よ、とアーネが指す先では、裏門の近くに二台の馬車が止まっていた。
「今ならまだ気づかれずに乗れそうね」
深夜ということもあって、馬車の周りに人気はない。
「ここから馬車の陰まで飛べる?」
「大丈夫。見えてる場所だから、さっきよりずっと飛びやすいよ」
「馬車の中に入ったら、木箱の陰とか入口から見えない所でその袋に入るわよ。入ったら絶対に声をあげないで」
タビに視線を向けられて、勇那は答えた。
「タビ、この先、いいよっていうまで黙っていてくれる?」
勇那の問いに、元気よく頷いたタビを見て、意志疎通は問題ないとわかったらしい。
「あとは運ね。バレずに出発できるかどうか。夜明け前に出られたらいいけど」
「遅くなったらまずい?」
「牢の見回りが来て、私たちが牢から逃げていることがバレたら、この一帯を捜索されるでしょうね。その時に馬車がまだ出ていなければ、見つかる可能性が高いわ」
「もし見つかったら……」
「私が二度貴方の体を叩くのが合図よ。そしたら私を連れて馬車の外に転移しなさい。上空がいいわね。あいつらの視界に入らない高さに飛んで。そこから逃げるわよ。逃げ切れるかは、望み薄だけど」
アーネの言葉に、勇那はごくりと唾をのんだ。
緊張をほぐすように右手を開いて閉じてを繰り返す。
「行ける?」
「うん、行こう」
肩にタビを乗せアーネと手をつなぐと、屋敷側から見えない馬車の影に転移した。
一瞬で切り替わる視界にも随分と慣れてきたものだ。
暗闇に乗じて馬車の中に潜り込むと、中には奴隷を運ぶようの檻と、他に木箱や布袋に詰められた物資が積んであった。その陰になる場所に身を滑り込ませ、持っていた布袋を広げる。
二人で身を寄せ合って入ると、口を内側に織り込んで中から縛った。普通はしない縛り方だが、暗い馬車の荷台ではすぐには分からないだろう。
二人と一匹は、そのまま息を殺して待った。
座り込んだ足が痺れてきた頃、馬車の外が騒がしくなったかと思ったら、がたりと音を立てて誰かが荷馬車に乗り込んできた。
『おら、さっさと乗れ』
高圧的な男の声と、ジャラジャラとした金属音。
勇那の心臓は、外に聞こえるんじゃないかと思うほど大きな音を立てていた。
呼吸さえ止めてじっと身を潜めていると、やがて荷を積み終わったのか、馬のいななきと共に馬車がゆっくりと動きだした。
安堵の息をゆっくりと吐きながら、このまま止められませんようにと勇那は祈り続けた。




