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脱出作戦開始

 月が高く上がった深夜、半分より少し削られた月を背に、二つの影が音もなく姿を現した。


「っ、」


 すぐそばで息を呑む音が聞こえ、腕をつかむアーネの手の力が強くなる。


(ちょっと高く飛びすぎたかも)


 地下牢から屋根の上に上がるため、勇那は転移スキルを発動した。

 地下からの転移で距離感が心もとなかったため、万が一にも障害物に当たらないように少し高めに飛んだのだが、思っていたよりも高く飛んでしまったらしい。


 昨日の長距離転移で高所に慣れていた勇那と違って、アーネは屋根より高いところなど慣れていないのだろう。叫ばなかっただけえらいと思う。


 すぐにもう一度転移し、真下の屋根のすぐそばに飛んで着地する。

 身を固くしていたアーネは予想通り体制を崩したため、勇那はすぐに支えてバランスをとった。アーネのドレスからびりっと不穏な音がしたが、こんな状況なのだから多少のことには目をつぶってもらうしかない。


「大丈夫?」

「……結構余裕あるみたいじゃない。未熟でも能力者本人ってことね」

「屋根とか空中を飛ぶのは、いっぱいやったから」

「魔力の方はどう?」

「なんか、体の奥から何かがもってかれた感覚がある。でも、まだ飛べると思う」

「それを常に気を付けておきなさい。必要な時に魔力切れでスキルを使えなかったら致命的よ」


 アーネの言葉に、勇那は神妙に頷いた。

 今の勇那たちの生命線は、このスキルだ。


「それで、ここからは?」

「次に牢屋に見回りがくるのは夜明け前よ。奴らから鍵を奪ったわけでもないから、怪しまれることはまずないはず。奴らに気付かれる前にカーバンクルのいる部屋に行くわ」

「場所は分かってるの?」

「カーバンクルは奴らにとって、今一番重要な宝物のはず。なら最も強固な鍵がついているオーナーの部屋よ。カーバンクルって魔物のなかでも小型だから、檻に入れて部屋に置いておけるもの」


 話しながら、アーネは現在地を確認するためのなのか、屋根の上から辺りを見渡している。初めて上る屋根の上は思いのほか風が強い。勇那も乱れる髪を抑えながら下をのぞくと、正面に大きな門が辛うじて見えた。


「正面が正門ね。ならここから見て二階の右端の部屋がオーナーの私室のはず。中に転移はできないでしょうから、テラスに飛んで。極力音を立てないようにね」

「わ、分かった」


 アーネが一人で立てるくらいには体制を立て直したので、手を放して下をのぞき込む。目標のテラスは飛び降りるにはちょっと怖い高さだが、先ほどと同じ要領で飛べば着地点が水平な分、屋根の上よりも降りやすい。何より、目視できている場所には転移しやすいのだ。


「ん、行けそう。手を」


 差し出した手にアーネの手が乗ると、勇那はテラスへ飛んだ。

 自分の体の中、お腹の奥辺りから何かが抜けていくような不思議な感覚があり、次の瞬間にはテラスの床上数センチに降り立っていた。

 今度は二人とも体制を崩していない。


「よしっ」


 結構うまくできたんじゃないかと、勇那は内心で拳を握る。

 しかし、ここからが本題だ。

 テラスに続く窓は締まっており、分厚いカーテンが閉められた向こう側は全く見えない。明かりも漏れていない様子から、向こう側が真っ暗なことだけは分かる。


「それで、ここからどうやって中に入るの?」

「当然、飛んでもらうわ」


 来るとは思っていたが、アーネの言葉に勇那は顔がこわばるのがわかった。


「壁一枚分飛ぶだけよ。中は執務室だから、中央辺りに飛べば障害物はないはず。この窓を背に執務机があるから、その向こう側に飛ぶイメージね」


 説明するアーネの声に、緊張が加速する。


「間違いないの?」

「最初にここに連れてこられたときに、一度だけ中に入ったことがあるのよ。オーナーは腹の出た成金豚だったわ」


 嫌悪を露わに言ったアーネの言葉に、勇那の脳裏には下っ腹の出た太った男の想像が浮かび頬をひきつらせた。しかし、それはそれとして、見えない場所に転移するのは怖い。


「模様替えとか、してないよね」

「さあ、そこまでは知らないわ」

「そこはきっと大丈夫、くらい言ってよ……」

「言って気が休まるなら言ってあげてもいいけど、あなたそんな気休めが効くタイプじゃなさそうなんだもの」


 肩をすくめるアーネに、勇那はぐっと拳を握った。

 確かに、ここで気休めで慰められたとしても勇那の不安は消えないだろう。きっとなんて言葉ではどうしたって不安はあるのだ。それでも、ここからタビを助けて前に進むためには、それを乗り越えなければならない。

 出来ない、じゃない。やらなきゃいけない。

 勇那は勢いよく自身の両頬をはたいた。


「っ、よしっ!」


 痛みが気合いを入れてくれるような気がした。


「この向こうに机があるんだよね。偉い人が使うような、結構しっかりした造りのやつ?」


 勇那の脳裏に浮かぶのは、学校の校長室にあるようなどっしりとした木製の執務机だ。


「そうねえ。マボガニー製の重厚な執務机だったわよ。横幅は私が両手を広げた幅くらいはあったわね。奥行はその半分くらいじゃないかしら。回転式の椅子もセット」


 話を聞きながら、勇那の脳裏に想像が膨らんでいく。


「部屋の中は当然真っ暗よ。でも扉の外には護衛がいるはずだから、物音はたてちゃだめ。絨毯が引いてあるから、多少跳ねても音はしないでしょうけど、不審がられて部屋に入られたらやりにくくなるわ」

「ご、護衛……そうだよね、いるよね護衛」


 ここに運ばれるまでについていたガラの悪い連中を思い出して、そして彼らの持っていた凶器を思い出して鳥肌がたった。見つかればやりにくくなるどころか、彼らの持っていた凶器がこちらに向けられるかもしれない。


「もっと怖くなった」

「でも、知っていた方が備えられるでしょう。やることは変わらないわ」

「……そうだね」


 言われるまで思い至らなかった。知らなければ声をあげていたかもしれない。

 さらに増した緊張に青ざめながらも、必死に呑み込んで勇那は目を閉じた。

 ずるずると身をかがめて、目の前の窓ガラスに手をつく。


「ちょっと」

「大丈夫。待ってて」


 ガラスの冷たさを感じながら、カーテンの先を想像する。

 窓から人ひとり分ほどの幅を開けて回転式の椅子と重厚な木製の執務机が置かれている。ねらい目はちょうど机の前辺りだ。そこなら、どれだけ部屋を模様替えしていても空間が空いているはず。

 大きく息をすって、止めた。


(いけっ)


 勇那はその場で軽くジャンプすると、出来る限り体を丸く縮めて、転移した。

 体をかがめ、出来るだけ丸めることで、転移先で物にぶつかる可能性を出来るだけ減らす。そして軽くジャンプした高さから水平に進むイメージで、脳裏に浮かぶ机の前に転移した。


(両手両足で体を支えろっ)


 転移した瞬間、勇那の体はやわらかな絨毯の上に四つん這いに落ちた。

 毛足の長い絨毯のおかげで、ぽすっとも音を立てずに着地した勇那は、つめていた息を慎重に吐いた。


(両手、無事。両足、無事。体も動く。成功、した……)


 五体満足であることを把握した瞬間、勇那は安堵のあまり体中の力が抜けそうになった。絨毯に額をこすり付けて息を吐くと、目じりから涙がこぼれた。

 しかし、まだ何も終わっていない。最大の難関を超えたが、まだ何も取り戻していない。


 勇那はゆっくりと目を開けると、カーテンの隙間から漏れる月明りを頼りに、目が暗闇に慣れるのを待った。目が慣れると、ゆっくりと立ち上がって窓に向かう。

 窓越しに目が合ったアーネは、よくやったというように微笑んでくれた。


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