ここはまだ最悪じゃない
「私の名前はアーネよ。家名はないわ、アーネと呼ぶことを許してあげる」
青ざめて立ち尽くす勇那に、少女は悠然と笑みを浮かべて名乗ると、元いた場所にすとんと座り込んだ。
「まだ上の連中がうろうろしているわ。動くのは最低限の人間しか起きていない真夜中よ。それまで休んでいましょう」
手招きされ、勇那は迷った末に少し離れた位置に座った。
座った場所はざらざらとしている上にやや湿っていて、気持ち悪さで余計に気持ちが下がった。
「私に、どうしろっていうの」
投げやりな気分で問いかける勇那に、アーネは小首を傾げた。
「あら、私ちゃんと言ったわ。行きたい場所に連れて行きなさいって」
「どこに?」
「シャウの街。私の大事なものを盗んだ盗人のいるところよ」
思わぬ場所を告げられて、勇那は目を見開いた。
「私もあそこで捕まったの。売れそうな荷物は一緒に引き渡されるらしいけど、いくつかはあの教会のシスターがせしめているわ。私の大事な物も、あれが隠すのを見たからきっと持ってるわ」
優しそうだったシスターを思い出して、今でも信じられない気持ちになる。でも、勇那がここにつかまっている現状の原因は彼女なのだと思うと、アーネの言葉も嘘ではない気がする。
考えれば考えるほど何を信じればいいのかわからなくなりそうで、勇那は膝を抱えた。
「もう売られてたり」
「その時は、拷問してでも売った先を聞き出して取り戻すわ」
物騒なことを言うアーネの顔に、諦めはなかった。余程大切なものらしい。
先ほどまでの禍々しい活力は鳴りを潜めているが、深い怒りがその瞳に宿っているのが分かった。澄ました顔をしているが、彼女は怒っているのかもしれない。
「貴方の大事なものの居場所も見つけてあげる。だから連れて行きなさい」
再度言われた言葉に、勇那は純粋な疑問と悪あがきを混ぜて問い返した。
「どうして、私も大事なものが取られてるって分かるの」
「ここの人間が話してたのよ。今日捕まえた上物が、良いものを連れていたって。奴ら、目に見えて浮かれてたわ。寧ろ貴方の方がおまけみたいだったわね」
アーネの言葉に、タビがカーバンクルと呼ばれていたことを思い出した。シスターは数が少なく希少価値が高いと言っていたから、ここの人間からすればお宝なのだろう。
「何を連れてたのかしら?」
アーネに問われて、勇那はどう答えたものかと少し悩んだ。
子猫と言っても通じないかもしれないため、つい最近聞いた言葉を口にする。
「分からない。あのシスターは、カーバンクルって言ってたけど……」
「まあ」
アーネが、初めて本当に驚いたように目を見開いた。
「それが本当なら売られるでしょうね。奴らからすれば、金塊が無防備に歩いているように見えたでしょう」
「カーバンクルって、そんなに高価なの?」
素朴な疑問だったのだが、アーネからは呆れたような視線を向けられた。
「知らずに連れていたの? 無知は罪っていうけれど本当ね」
アーネの言葉に、好きで無知になっているわけではないのにと、勇那は内心で湧き上がる不満をこらえた。言ってもしかたのないことだ。
「カーバンクルはシュテルンの冒険者ギルドが狩りまくった過去があって、今では絶滅危惧種と言われているのよ。額の赤い石は守りの加護があると言い伝えられていて、貴族のご婦人の間ではカーバンクルの石を使ったジュエリーを持っていたら一目置かれるから、欲しがる人間は多いわ。今では滅多に市場に出回らないから、希少価値は上がる一方ね」
「それって、狙う人たちは額の宝石目当てってこと? 盗られたカーバンクルはどうなるの?」
「額に埋まってる石を無理やり取り出されるのよ? 生きてると思う?」
アーネの言葉に、ぞっと背筋が凍った。
「じゃあ、タビは……」
「このままいけば、買われた先で解体されるでしょうね。運が良ければ繁殖用に飼われるかもしれないけど、未だに国で繁殖に成功した例はないし、こんな場所に出入りする人間がそんな手間をかけるとは思えないわ。すぐにどこかのご婦人のジュエリーになるわよ」
「そんなっ」
解体という言葉に、勇那の口から悲鳴のような声が漏れる。脳裏に鶏のように解体されるタビの姿を思い浮かべてしまい、血の気が引いた。
「い、今すぐ助けないと」
咄嗟にスキルを使おうとしてしまい、またバチリと手錠に弾かれる。
狼狽える勇那に、アーネはにっこりと笑った。
「ええ、助けてあげるわ。私のお願いを聞いてくれるなら、だけど」
「連れていく。シャウの街には必ず連れていくからお願い、タビを助けて!」
勇那はなりふり構わず懇願した。
アーネを信用するかどうか迷いながらも、あんな話を聞かされては、背に腹は代えられなかった。
今の勇那には力もなく、知識もない。足りないものだらけだ。それでも、タビだけは、何があっても守らなければならないと思った。だって、タビをこの世界に連れてきてしまったのは、勇那なのだから。
ここでタビを見捨てれば、勇那は自分を誘拐したものたちと同じになってしまう気がした。
「決まりね」
勇那の懇願に、アーネは満足げに頷いた。
「確認だけど、貴方の持っているスキルって、転移かしら?」
「そうだけど……ほんとよく分かるね」
「人の機微を読むのは得意なの。まあ、それだけではないのだけれど、貴方はだいぶわかりやすいわよ。スキルを使おうとしたとき、常に先の空間に視線が行っていたわ。その上で逃走に使えるスキルとなると、転移あたりが妥当でしょう」
「でも、今は使えない」
手元の手錠を見て肩を落とす勇那に、アーネは無言で手を伸ばした。アーネが手錠に触れると、勇那の手元から固いものが割れる音がした。
「え」
「ほら、これで使えるわよ」
見れば、手にはまっている手錠が一部砕けていた。辛うじて手首に引っかかっている状態だ。
「ど、どうやったの⁉」
「秘密よ。安心なさい。貴方じゃどうせ出来ないから、聞かなくても問題ないわ」
「言い方……でも、ありがとう」
またも偉そうな口調に若干イラっとしながらも、助かったことには変わりなく、勇那は素直にお礼を言った。
「見回りが来た時にバレたら面倒だから、まだ手首につけときなさい。そのままでもスキルは使えるから大丈夫よ」
「わかった」
またも素直に頷いた勇那に、アーネが意外そうな顔をした。
「なに?」
「いいえ。急に素直になったのね、と思ったのよ」
アーネの疑問に、勇那は渋い顔になりつつも答えた。
「タビを助けてシャウに行くまでは協力するって決めたから。下手に突っかかるのをやめただけ。信用したわけじゃないから」
「ええ、良い心がけよ。その調子で貴方のスキルについて教えてくれるかしら。作戦を建てるにしても性能を知らずに組み込めないわ。ああ、でも先に私のスキルを教えてあげるわ。私のスキルは鑑定よ」
勇那を安心させるためか、先にスキルを開示したアーネの言葉に、勇那はぎょっとした。
「鑑定? それって、見たものの情報が分かるスキルってこと? 私の情報筒抜けじゃない」
思わず後ずさる勇那に、アーネは肩をすくめた。
「あいにくと、私の鑑定スキルはそこまで高性能じゃないわよ。私の鑑定スキルで分かるのは、真偽。相手が嘘をついているかいないか、物ならそれが偽物か本物かどうか分かるだけなの。第一、見ただけで相手の情報を抜けるほどの鑑定スキル持ちなんて、世界に一人か二人いるくらいでしょう。私も会ったことないわよ」
「そ、そうなんだ……」
それなら、勇那が聖女として召喚されたことも、王子を飛ばして逃げてきたこともすぐにはバレないかもしれない。
勇那は内心で安堵の息をついた。
「さて、それであなたのスキルはどうかしら?」
アーネの問いに、勇那は直に口を開いた。
「私のスキルは転移で正解。私自身か、私が触れたものを転移できる。転移先は正確に思い浮かべられるのなら、視認できていない場所でも飛べるみたい。ただ……」
そこから先を説明するのに、勇那は少し口ごもった。
弱みを隠しておきたいというよりも、ここで出来ないと言うのが嫌で、あまり口にしたくなかったのだ。でも、そういうわけにもいかないとわかっている。
勇那は視線をそらしながらも、やや小声で伝えた。
「スキルを獲得したのがつい最近だから、まだあまり使ったことがないの。どこまで飛べるかとか、何回飛べるかとか正確には分からないし、精密な転移なんて怖くて無理」
勇那の告白に、アーネはぱちりと瞬くと、ため息とともに言った。
「……思ったより使えないわね」
「し、仕方ないでしょ! この力を手に入れて、まだ一日くらいしかたってないんだから!」
「あら、そうなの。転移のスキルはそれなりに珍しいスキルなのよ。手に入れてすぐ売られるなんて、貴方、運がいいのか悪いのか」
じっと見つめられて、勇那は言葉につまった。
(そ、それなり……)
正直、異世界転移の下位互換として手に入れた転移スキルだったため、もっと超レアなスキルかと思っていた。その場合、隠した方がいいかどうかと悩んでいたのだが、全く無用なことで悩んでいたと思うとちょっと恥ずかしい。
「運は悪いよ。じゃなきゃこんなところにいるわけないでしょ」
目を合わせていられず、勇那は顔をそらした。
そして、それなりなスキル一つでこれから異世界を渡り歩かなければいけないと思うと、どうにも心もとなくて足元が脆いつり橋に立っているような恐怖感が湧き上がってくる。
正直、様々な恩恵と引き換えに復讐を選んだを、すでに後悔し始めていた。
(私って、こんなに意志が弱かったんだな)
怒りに任せて女神に願ったときは、絶対に後悔なんてしないと思っていた。
今までだって猪突猛進でやり返したことは多々あるが、そのどれでも後悔なんてしなかったのだ。だが、それは結局のところ、本当の痛い目をみたことがなかっただけだったらしい。
いざ異世界で危機的状況になってみると、鋼だと思っていた意志はあっという間に泡となった。
(そもそも、こんなことになるって想像もしてなかったんだけど)
平和な日本で生きてきた勇那に想像できる危機なんて、たかが知れていたということだろう。
転移スキル一つだったとしても、王都から逃げおおせればなんとかなると思っていた。
どこかの町でお金をかせいで、タビと二人で世界を旅して回るのもありだろうとさえ思っていたのだから、相当楽観的だったのだ。
(でも、きっとここはまだ最悪じゃない)
勇那は確かに売られたのだろうが、まだ体に傷一つ付けられてはいない。商品価値を下げないためと、勇那自身が抵抗しなかったからで、決して良心や優しさからではないだろうが、それでも、勇那はまだ痛い思いをしていなかった。せいぜい、教会の物置で子供たちに箒で叩かれた痛みくらいだ。
(最悪はこの先にある)
このまま大人しくしていれば、ここの連中に危害を加えられることはないかもしれない。それでも、このまま何もしないで牢屋にいれば、待っている先はきっと最悪の地獄だ。
それだって、地獄と言葉にするだけでその中身を勇那は正確に想像することはできていない。それでも、目の前のアーネの姿や他の牢にいる人たちを見れば、ろくでもないことになるということだけは確信できた。
(後悔するのも、自己嫌悪するのも、自分を恥じるのも、全部タビを助けてここから逃げた後だ)
そこまで考えて、やっと勇那はアーネの目を見返すことができた。
アーネは、言葉はどこまでも不遜で上からだが、勇那に対する対応は誠実だった。一問一答で勇那の疑問に答え、脅しのように見えても脱出するための力を貸してくれている。
さすがに自分も入れられているこんな牢屋の中で、あのシスターのように嘘をつく必要はないと思う。そして、同じ牢屋にアーネがいなければ、勇那はスキルを封じられた時点で終わりだった。
転移スキル目当てだったとしても、助けられているのは確かだった。
「それで、私のスキルは使えそう? 何をしたらいいの」
勇那の言葉に、以外そうな顔をしたアーネだったが、すぐにすまし顔に戻ると口端をあげた。
「まあ、スキルを使いなれていようがいまいが、出来なければ売られるだけなんだもの。死に物狂いでやってもらいましょう」
美しさの中に壮絶さを交えたアーネの笑みに、勇那は背を伝う汗を感じながらも覚悟した。




