「安楽師」の詳細
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重症患者保護法は、膨大に膨れ上がる医療費の削減に向けた異質の法律だった。
国の定めた国民皆保険制度は、医療を受ける国民がその医療行為に対する費用の全てを払わなくてもいい様にする事で、より治療を受けやすい状況を作り上げていた。
一方で受診者が払わなくていい費用は国民の税金から賄われており、故に必要以上の医療行為は税金の無駄遣いであり国民の財布が疲弊されると指摘を受けていた。
特に自発呼吸が難しい、口から食事も取れないとなって酸素機器や胃ろうと呼ばれる手段で管から酸素や栄養を身体に取り入れる事でしか生命維持の難しい患者や、高齢で認知症も発症し一人で生活するには難しい患者、ベッドの上で身体も固まり寝たきりになった患者に対して行われる医療行為は「虐待」であると声が上がり、国も対策を取らざる得なくなっていた。
そんな時に打ち立てられたのが、重症患者保護法である。
国はある一定の基準を設けた上で、医師が回復の見込みが少ないと判断した場合には治療を中止し、患者の家族への説明を行い、断命処置を取ることを命じたのだ。
当時この重症患者保護法は人権侵害だ、医療による命の選別だと世論から激しく叩かれ、テレビのニュースはこの法律関連で埋め尽くされたのを僕は覚えている。
同時に国は、この法律を元に新しい国家資格を作り上げた。
それが僕ら看取り責任師、通称「安楽師」の資格である。
安楽師は、医師の指示のもと重症患者の身体機能や生活機能を細かく評価し、国の定めた評価基準を越えるか満たすかを適切に見極める役割を担っている。
もし基準を満たせば、それはつまり回復の見込みが少なく、延命処置やリハビリは患者の心身に大きな負担を与えるだけでなく、患者家族への介護負担や金銭的負担をかけると判断され、断命処置を行うことを推奨されるということになる。
勿論僕たちにそこまではっきりと診断出来る権利まではなく、最終的には医師の決定と家族の決断に委ねられるのだけれど、それでも僕らの仕事には大きな責任がのしかかる。
安楽師のその責任の重さも含めて、この法案が通ることはまず無いだろうと多くの国民が思っていたが、十数年前にこの法律は国会で驚くほど早く可決された。
反対の声が多く上がる一方で、選挙の投票率は、この法案を掲げた政党が一番獲得したのだから不思議な話だった。
もしかしたら、陰で誰かが票の操作をしたのかもしれないし、案外国民はテレビで映る声とは裏腹に賛成していたのかもしれないし、何なら最初から興味が無かったのかもしれない。
深く考えていない人が多数だった可能性だってある。
紆余曲折あって、結局この法案は通り、今に至っている。
「丸の仕事ってさ、アレみたいだよね」
「アレ?」
池袋駅近くにあるカフェで、新作のドリンクを飲みたいと理子に連れられて、僕は慣れないオシャレな店内にドキドキしながらアイスコーヒーを飲んでいた。
僕らの隣のテーブルには学生服を着た女の子が二人、向き合って座りながらスマホを触っている。お互いがお互いの顔を全く見ていないのに、話は何故か盛り上がっていて、まるでそこにいるのに画面越しで会話してる様だった。
「あれだよ、キリコに似てるよ」
「きりこ、切子」
どのことを言っているのか分からなくて、僕は同じ言葉を繰り返す。
「ガラスの綺麗なやつ?」
「なにそれ?」
飲み物のカップに刺さっているストローをくるくると指で回しながら、理子が眉を下げる。
どうやら僕が理子の言っている意味が分からないことに腹を立てている様だった。
ストローに連動して、カップの中の氷がカラカラと音を鳴らす。
「キリコって、漫画に出てくるやつよ。ほら、小学校の頃図書室に置いてあってよく読まなかった?」
「漫画が学校にあったっけ?」
「昔の人の医者の漫画のシリーズだけあったの。昔の漫画だったし、特別だったのかな」
理子から作品名を聞いてから、ようやく僕は合点がいく。
「ああ、アレね!」
「そうそう。アレにさ、敵役みたいに出てくるじゃない」
「キリコっていた気がする」
「あの人がやってたことってさ、丸の仕事に似てない?」
「んー、似てるかな」
漫画の内容も、そのキャラクターのことも思い出せただけに、僕はあまり肯定したくなくて言葉を濁した。
そのキャラクターがやっていたのは、医師でありながら頼まれたら安楽死を請け負うことだった。
主人公の無免許医師は金さえ貰えれば誰でも助けるといった凄腕で、度々このキリコというキャラクターと対峙しては揉めていた。
そんなカッコいい主人公の敵役と仕事が似ていると恋人に言われる僕の心境は複雑だった。
「理子は彼氏が安楽師なのは嫌?」
言葉の真意を確かめたくて、恐る恐る僕は聞いてみた。
「んー、嫌なことはないけど」
理子は飲み物と一緒に頼んだチョコクロワッサンをゆっくりと食べながら、もごもごと答える。
「別に病院で働いてる訳だし、そういうこともあんのかな?ってくらい」
「そっか」
「でもまぁ、珍しいというかなんだか分からないってのはあるよね」
「まぁ病院の人達の仕事がどんな仕事かなんて分からないよね、普通は」
「そうだね。病院で働いてる人が何してるかなんてドラマでしか見ないもん」
かじったクロワッサンのカケラがポロポロとテーブルの上に散らかり、理子はそれを軽く手で拭いて一箇所に集める。
僕はというと、初めてのカフェに緊張していて注文するのにも慌てていたのでコーヒーしか頼めず、今になって理子が目の前でパンを頬張るのでお腹が空いてきていた。
一口ちょうだいとねだってみるが、買ってくればいいじゃんと一蹴される。
それが簡単に出来ないからお願いしてるのに、と恨めしく思う。
「でもさ、だからなのかよく友達に言われるんだよね」
「友達?」
「そそ、男じゃないよ?女友達に」
「いや、性別は別に聞いてないんだけど」
「そう?なんか嫉妬した様な感じだったから」
「してないって」
クロワッサンも、もうその三日月が原型を無くすところまで食べ進められていて、本当に一口もくれない様だ。
「丸はすぐヤキモチ妬くからなー」
「妬いてないって。で、友達になんて言われるの?」
微妙に嘘をついてから、別のことが気になってる風で僕は誤魔化す。
「んー、なんか丸の仕事のこと言った時に、『彼氏ヤバくない?』とか『それって人殺しじゃないの?』とか」
身振りを交えて、声色も変えながら理子はその友人を演じながら僕に教えてくれる。
その真似のクオリティは別として、理子の口から発せられたその言葉が、世間を代表した声の様で、思いがけず深く胸に刺さる。
「そんなこと言われるのか」
「まぁその子も丸のことよく知らないから言ってるだけだと思うけどね」
「それで理子はなんて言ってるの?」
「私?」
最後の一口を口に入れて、飲み物で流し込んでから、理子はふぅと息を吐く。
テーブルの端に集めていたカケラを濡れタオルで拭き取ってから丸めて、トレーの上に乗せた。
まさか今日のデートでの昼食はこれで終わりにならないよな?と途端に不安になる。
「んー、あれかな、『私もよく分からないけど、彼氏は悪い人じゃないんだよ』って言ったかな」
「そっか」
悪い人じゃない、という弁護をさせてしまっていることに申し訳なくなる。
「なんかごめんね」
「なにが?」
「いや、彼氏がこんな仕事じゃ嫌かなって」
「だから嫌じゃないって言ってんじゃん!」
ケラケラと理子が笑った。
あっけんからんとしたその様子が、本当に何も気にしてない様で安心した。
真面目に考えすぎてしまう僕にとって、理子の良い意味でのこの適当さ加減は凄くありがたかった。
ふわりと風船の様に浮いている彼女は、世間に吹き荒れる風もなんのそので、流れてゆらゆらと漂うだけの様だ。
大学生の時から変わらない彼女の髪色もピアスも、そんな彼女の性格の表れだった。
きっと彼女自身も本当は周りから色々と批判染みた言葉を浴びているだろうが、多分彼女は、僕なら抱え込んでしまうそれらも一緒に浮かせて飛べてしまうのだろう。
そばに居て安心するな、と思って付き合い始めてもう何年過ぎただろう。
「さて、じゃあ食べ終わったしそろそろ買い物再開しようか」
「あれ?もう終わりじゃないの?」
「まだ何も買ってないじゃん。また同じところに行って、まだ欲しいと思えるものは買うんだよ」
「マジか」
どうやら休憩はもう終わりなようで、理子はトレーと荷物を持って立ち上がって出口へと向かって行った。
慌てて僕がコーヒーを持って追いかける。
えらくスムーズに理子がトレーをゴミ箱に片付けるのとは対照的に、僕は店内を走らない様にゆっくり急ぎながら、理子を見失わないように目で追った。
第2話でした
後3話続きます