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「安楽師」の現場

医療とは、なんなのか?

あなたは医療に、何を望みますか?

「それではこれより、延命処置の中止の後、断命処置に移らせて頂きます」

 白衣を着た、いかにも権威のありそうな医師が、淡々と家族と患者に告げる。

 真っ白なシーツに身を包んでいる患者はピクリとも動かず、点滴や酸素を入れる為の、そして栄養を直接胃に入れる管たちで繋がれていた。

 目だけはしっかりと開いているが、彼の手はミトングローブがされていて、その手が開いているのかさえ視認出来ない。

 あのグローブは患者さんが自ら管を抜かないために行なっている処置だと、僕は知っている。

 ベッドの周りには彼の家族がいて、各々反応が異なっていた。

 顔に手を当てて涙を流す人もいれば、医師の言葉の真意が分からず呆けている人もいる。

 中にはどこかすっきりした様な、安堵の表情をしている人もいた。

 泣いている中年の女性の方を抱く男の人は、涙は流していないものの、やはり肩と声を震わせていた。

 短く医師にお礼を告げているが、心中はどうなのだろう?

 患者の身体に繋がれた管は続々と抜かれて行き、その都度患者の顔は少し安らいでいる様にも僕には見えた。

 抜かれていく管の役割を医師が一から説明し、説明が終わると次の管を看護師が抜いていく。

 ゆっくりと行われるその作業は、魚の小骨を取る様に慎重で、繊細なものだった。

 管を抜くその手の緩やかさが、温情を感じさせる。

「最後に、こちらのお薬を入れて終了となります」

 最後に残った点滴の管を摘みながら、医師はそう告げた。

 管の根本には透明な液体の入った袋があり、その中腹は幾つかに枝分かれしており、その内の一本だけが患者の左腕に向かって伸びていた。

「これは脳幹の働きを抑制する作用があります。事前の御説明でもあった様に、脳幹は呼吸を司る部分になりますので、この薬で抑制がかかると自発呼吸が出来なくなります」

 呼吸が出来なくなる、という文章が、どういう事を意味するのかは家族にも簡単に分かったようで、そこでもう一度、彼の母親らしき、中年女性が大きく泣き出した。

 必死に肩をさする彼の父親らしき人も、その手に力は入っていないのか、震えている。

「あの、なんでこの注射の管は幾つにも分かれているんですか?」

 医師にそう聞いたのは、呆けていた人だった。

 管の繋がれた患者の顔付きにどことなく似ているその人は、多分彼の兄弟なのだろう。

 これから行われる事の意味を追求するだけの余裕が、まだ彼にはあるようだった。

 もしかしたら、ただ実感が無いだけかもしれない。

 目の前で兄弟が息を引き取るという現実の、その実感が。

「この管は五つから六つに分かれていて、その先には薬を流し込む為の注射器が付いています。予めお話合いの際に指定されていた時間に、そこから数人の職員で一斉に薬を流し込こませて頂きます」

「何故数人でそのようなことを?」

「職員の責任の所在を不明瞭にする事で、その負担を一人に負わせない為です」

 医師はそう答えてから薬を流し込む為のピストンをそれぞれの職員に手渡していった。

 看護師から介護士、理学療法士に作業療法士と、患者に関わった全ての医療従事者にそれが手渡される。

 当然端でその様子を見ていた僕にもそれは渡される。

 と言うより、ここからが僕の最大の仕事でもあった。

 安楽師と揶揄され続けて来た僕の仕事は、この瞬間が最も重要だ。

 手渡されたその注射の先が、僕が持っている責任の重さでもある。

「ここからは看取り責任士の丸さんに進めていただきます」

「丸と申します、よろしくお願いします」

 医師に紹介され、僕は家族にお辞儀する。

 家族も僕に会釈を返してくれる。

 上げる顔を、ぼくは見ないようにした。

 これから臨終に関わる患者の家族の顔を見ないこと、彼らを知ろうとしないことを、僕はこの仕事をする時意識している。

 この手で持つ責任の重さを、余計に増させない為の自己防衛だった。

 彼らのことを知ってしまえば、その心情を想像するのを止められない。想像することを止められなければ、この手で押すこの注射器のピストンは、固く鈍くなってしまう。

 そうすると強く押し込まざる得なくなってしまう。

 手に力を込めれば込める程に、その手から伝わるのは命を奪う行為の罪悪感だ。

 それを感じたく無いがために僕は、不躾で失礼と思われても家族のことを見ないようにしていた。

「では、これから薬の方を投与させていただきます。先生方、ご家族の皆様、準備をよろしくお願いします」

 医師と看護師の方に顔を向けながら僕は言う。

 その先のベッドに横たわる、患者の顔はやはり見ないようにした。

 僕の声に合わせて、その場にいた職員の全員がうなづいてから手元の注射器に手を添える。

 その注射器のピストンをそれぞれが押し込めば、薬は流れて行き、患者は静かにその命を終える。

 僕の、声掛け一つで、だ。

 その責務を感じながら、僕は深く空気を呑み込んでから、声を出す。

「9時30分、投与をお願いします」

 僕の声に合わせて、職員の手が動く。

 僕の手も同様にして、薬を患者へと流し込ませていく。

 透明な管の中を音も立てず透明な液体が流れていく。

 その先で、ミトンを付けられたままの患者の筋張った腕が、抵抗することもなくその液体を迎え入れている。

 抵抗したくないのか、出来ないのか、最早この場にいる誰もがそれを知る術はなく、ただじっとそれを眺めるしか無かった。

 神話の中で、神であるパンドラが災厄の箱を開けたことで病や死といった厄災を世に解き放ち、驚いたパンドラが慌てて箱の蓋を閉めた為、厄災の予兆を知らせる「前兆」だけが箱の中に残り人間は絶望せずに生きられているのだと聞いたことがある。

 静かに流れるこの薬は、これから起こることの前触れを家族や患者に伝えないようにしているのかもしれない。

 もしくは、薬自体は何者でもなくて、これを流す合図を出す安楽師の僕がこの場にいる事が前兆なのかもしれないし、あるいは患者家族への話し合いの場に医師から呼ばれたあの日に、家族は僕の姿を見たその瞬間に悪い予感を感じとっていたのかもしれない。

 もっと言えば僕らの存在を作り出した、十数年前に出来たこの国の法律、医療費削減に向けた「重症患者保護法」が設立したことこそが、人間に死期を知らせる前兆になったのかもしれない。

 いずれにせよ、パンドラの箱から前兆はもう既に滲み出て来て世に浸透していたのだろう。

 それは人に絶望を与えたのか、はたまた希望を与えたのか、定かでは無い。

 先程まで開いていた目を閉じた患者は、先程までと変わらずピクリとも動かず、ただそこに寝ている様だった。

 医師が患者の首元を触り、脈を確認する。

 首にかけた聴診器を患者の胸に当てて心音も確認する。

 丁寧にじっくりと一連の確認動作を終えて、ゆっくりと腕時計を見る。

 その間に患者家族も理解を深め、現実に頭が追いついて来たのか、今度は一様に下を向いて涙を流し始めた。

 兄弟らしき人も、俯いてくぐもった声を漏らしていた。

 静まり返った病室では、医師の声が嫌でも響く。

「9時35分、ご臨終です」

 僕がこの仕事に就いてから臨終に立ち会ったのは、これで5度目だった。

第1話です

3〜5個くらいの短い話にまとめようと考えています

続くので、読んでみて下さい


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