第9話 猫耳と尻尾だけの山猫獣人橙髪奴隷
「大事なことを思い出した」
夕飯の後。オリーヴとバージルを部屋に呼んで、トランプで遊んでいた俺は、ふと思い出したかのようにそう言った。というか、実際に思い出したんだけど。
「藪から棒になんです坊ちゃん」
「この世界には奴隷制度があるのに、俺はまだ奴隷市場に行ったことがなかったじゃないか」
「あんな場所、行かねえ方がいいですぜ?気が滅入っちまって、飯が不味くなりやすから」
「そうなのか?」
「そりゃあ、戦争もねえようなこのご時世に、奴隷として売り買いされるような連中の人生なんぞ、どいつもこいつも悲惨極まりねえでやすからねえ。鎖に繋がれて魔法で声を出せねえようにされちまった母親の目の前で、幼い娘が買われていくような光景が日常茶飯事なもんで、そりゃあ、啜り泣きと怨嗟の呻き声だらけの、辛気臭え場所でさあ」
「そうなのか……」
遊園地に来てアトラクション乗り放題パスを買ったのに、まだ乗ってないアトラクションがあるじゃないか!ぐらいの軽い気持ちで言ってしまったのだが、予想外に深刻なリアクションを返されてしまった。
そっか、人身売買だもんな。この手の異世界転生モノでは大概訳ありの美少女が格安で売られていて、それを主人公が買い取り『奴隷なんて酷い!許せない!』と奴隷の身分から解放してあげた途端にあっさり『なんてお優しいのかしら!あなた様こそが私の真にお仕えすべき聖人君子様!』と心底惚れられるなり崇拝されるなりという、ある種の浅ましさ満点のボーナスステージめいた印象しかなかったが、冷静に考えてみると確かにあまり意気揚々と向かう場所ではなかったかもしれない。
「ゴルド商会では奴隷の売買は行っていないのか?」
「親父が爵位を狙ってたからな。貴族は臭いとか汚いとか言って奴隷を嫌ってる連中が多いから、あまり貴族連中に批判を食らうような真似はしたくなかったんだろ」
「そうだったのか。こういってはなんだが、意外だな」
「世間じゃ悪徳商会扱いされてるからねえ。父さんのあの悪人面じゃ、いかにも人身売買とか後ろ暗いビジネスに手を染めてそうな印象を受けちゃうのは否定できないけどさ」
そんな訳で、次の休日。ヤクザの鉄砲玉か、事務所の電話番みたいな顔をしてるくせに、意外と人情派だったバージルを屋敷に残し、オリーヴだけを連れて、俺は奴隷市場に異世界社会科見学に行くことにした。お前の方がよっぽど非人道的なんじゃないかって?うん、まあ、そうかも。
「Oh……」
「引き返すならば今のうちだが」
「いや行くよ。ここで帰ったら、わざわざここまで来た意味がないもん」
「そうか。勇気と蛮勇を履き違えないよう注意することだ」
「そうだね、胆に銘じておく」
アニメとか洋画なんかじゃそこまでリアルに凄惨な感じには描かれないのが定番の奴隷市場だけど、実際に本物の奴隷市場に来てみると、なんかこう、世紀末感あるな。空が快晴であるだけに、余計に。
奴隷商人達が店先に奴隷を並べ、好色な目をした飢えた男達や、格安でコキ使える労働力を求めるこの世界のブラック企業の人間なんかが、陳列された奴隷達を値踏みしている。意外だったのは、女性客も結構多いことだ。悪い男が女奴隷を買う、というイメージが強いが、確かに労働力として考えるなら力が強くて筋骨逞しい男の奴隷の方が需要があるのかもしれない。
女を抱きたければ、それこそ娼館にでも行った方が後腐れもなくて安上がりだろうし。捨て犬・捨て猫感覚で奴隷を道端に放棄すると問題になるからな。
店頭に並べられた奴隷達の首には自殺防止・逃亡防止・絶対服従の闇属性魔法がかけられた首輪が装着されており、死んだ魚のような目で諦観し項垂れているのがなんとも痛々しい。というか、そんなことも出来るんだな、闇属性魔法本当に便利……ゲフンゲフン!物騒だ。
俺も闇属性魔法の適性持ちだから、練習すれば使えるようになるのかもしれない。ミント先生は絶対に教えてくれなそうなので、覚えるとしたら独学になるだろうが。失敗した時のリスクは大きそうだけど、人の心や体を操り自由や尊厳を奪う魔法が存在している以上、それらにどう対抗すればよいのかを知るためにも、学ばない訳にはいかない。
「おお!」
「どうだ?よく見えるか?」
「よく見える。これはなかなか、いいな」
「そうか。喜んでもらえて何よりだ」
休日だからだろうか。結構な賑わいで混雑している上に、奴隷市場に来るような人間は碌でもない連中が多いから安全のためと、自分の目でよく見えるようにとで、オリーヴに肩車をされてしまった。
六歳児の身長からぐっと高くなった視点から奴隷市場を見下ろせるのは、なんかこう、いいな。前世では男子高校生だったってのに、完全に子供扱いされて甘やかされてしまっているのが気恥ずかしくもあり、なんともむず痒い感じだ。前世で子供の頃、お祭りに行った時に父さんに肩車をしてもらいながら家族三人で花火を見た記憶が蘇って、なんだか切ない気分になる。
「坊ちゃん、落ちないようにしっかりと掴まっていていてくれ」
「ん、了解」
嬉し恥ずかし肩車姿で奴隷市場を見回っていると、あきらかに他の奴隷達とは雰囲気の異なる、ヒロイン臭がプンプン臭い立つような、どぎついオレンジ色の髪の毛が目を引く美少女奴隷がいた。
そいつはなんと、この世界に転生してから初めて見る獣人の少女だった。ケモナー大歓喜!!……と思いきや、人間の体に猫耳と尻尾をはやしただけの、いかにもケモナー大激怒!!って感じの典型的なパチモン臭が漂うコレジャナイ系のなんちゃってメス獣人だったのだが。
この世界の獣人って、男の方は全身を毛皮に覆われていて頭部もちゃんと動物なのに、女の方は人間の体に耳と尻尾が生えただけのクソみてえな生態系をしている辺り、ほんっとフィクショナルな世界だよなあ。ここまで男性の性的欲望に忠実な造形をされてしまうと、いっそ不気味ですらある。
「お、坊ちゃん。こいつが気になるのかい?」
「ええ、悪い意味で」
俺がオリーヴに立ち止まるように頼んで彼女を見下ろしていると、商機と見たのか彼女を含むネコ科の獣人族の奴隷を取り扱っている奴隷商の中年男が、揉み手で説明を始めた。悪い意味で、という一言は、聞かなかったことにしたらしい。
「こいつらは東方から仕入れた、珍しい山猫の獣人でさあ。凶暴な蛮族だが、その分戦闘力は折り紙付きですぜ。首輪さえ着けときゃあ、何を命じても絶対服従!安心・安全って寸法よ。中でもこいつは特に見目もいいですし、部族一の女戦士とかなんとか言われてたらしくて、お買い得ですぜ?」
絶対服従の首輪をされているせいで碌に身動きも取れずにいるようだが、その視線は今にも俺を射殺さんばかりに鋭く、彼女の心がまだ折れていないことをヒシヒシと感じさせる。
なるほどなるほど、ここで彼女を格安で購入し、お手軽に戦力を増強した上で、なおかつ自分に逆らえないハーレム要員を増やす。その後はじっくりツンデレ猫耳美少女と絆を深めた後で、好感度がMAXになったら満を持して首輪を外してあげるイベントがあり、結果身も心も主様と認めてくれた彼女とベッドイン、というわけだな。誰が買うかバカタレ。
こちとら極力女っ気のない異世界生活を送るために日夜尽力しているってのに、女奴隷なんか買うわきゃねーだろ。前世の記憶に目覚める前のホーク・ゴルドであれば大喜びでこいつを一本釣りしていたに違いないが、今の俺にとっちゃなんの魅力もないただの厄ネタしかない。せっかく人生初の生奴隷市場に来たんだから、お土産に一匹……ってなったところで、普通に男を買うわ。
「店主。こっちのガタイのよさそうな、男の方を頼む」
「いいんですかい?こんな上玉、滅多に市場に出回るもんじゃありやせんぜ?戦闘能力もありそうだし、見た目も抜群。ベッドの中で夜通し夜警をさせるのには持ってこいだと思うがね!へへへ!」
「下半身経由でノミやシラミでも移されてしまっては堪ったもんじゃないからな。見た目の強そうな感じも護衛には重要な要素だから、こっちの筋肉達磨の方でいい」
「毎度あり!それじゃあ、こいつの所有権を坊ちゃんに移しやすから、ちょっくら魔力を流す準備をしておいてくだせえや。おい!このお方がお前を買ってくださるそうだぞ!」
あ、メスガキの方がものっそい目で俺のこと睨んでくるな。毛ジラミの湧いた野良猫扱いされちゃ当然か。可哀想だが、グッバイヒロイン候補よ。以前の女好きのままのホークだったら真っ先に見た目だけでお前を買ったんだろうが、それはそれで不幸な人生になりそうだから、むしろ助かったと思いたまえ。
「……」
身長は2mを超えているだろうか。まるで海外のステロイドモリモリな格闘選手か重量級ボディビルダーのようなごっつい筋肉に全身を覆われた、いかつい顔立ちの、猫というよりは虎と呼んだ方がよさそうな、オレンジの毛並みの山猫獣人が、気怠そうな顔で俺を睨み付ける。
オリーヴに肩車されている俺よりも目線が高いって、こりゃ相当だな。確かにこんな奴が護衛になってくれたら威圧感抜群だろう。ただ立っているだけで、並みのチンピラ程度ならばビビって近寄れなくなりそうなほどの威圧感。うん、なかなかいいんじゃないだろうか。ただそこにいるだけで余計な厄介事や揉め事、面倒事なんかを追い払ってくれるような、我が家の金剛力士像にでもなってくれそうな感じがする。
俺が奴隷を買う目的としては、やはりいざという時の肉盾になってもらうため、というのが大きい。最初はオリーヴとバージルにそうなってもらうつもりだったのだが、仲よくしているうちに情が湧いちゃって、さすがに死なれるのは惜しくなっちゃったんだよね。いざという時は俺のために死んでくれ、だなんて言い辛いじゃない?そんなわけで、いざって時には躊躇なく肉盾になってもらえそうな、頑丈な奴隷を三人目の護衛代わりとして買うことにしたのだ。
倫理観とか良心はないのかって?たぶん、前世で轢き逃げババアに殺された時に一緒に死んじゃったんじゃないかな。これだけの巨体を持つ筋肉達磨に命令ひとつで庇ってもらえるなら、むしろ彼の体に激突した自動車の方がぶっ壊れてしまいそうなぐらいのポテンシャルを感じるよ。
決して安くはないが、今の俺からすればそこそこでしかない金額を支払い、闇属性魔法がかけられた首輪……魔道具と呼称するらしいそれを利用し、彼の首輪に登録された奴隷の飼い主を、奴隷商の男から俺に移してもらった結果、正式にこの山猫の筋肉達磨は俺の奴隷となった。うむ、人生初の奴隷か。悪くはないが、なんだか人として大切なものを失ってしまったような気もする。
しかしまあ、見れば見る程強そうだ。奴隷の首輪がなければ、俺なんかパンチ一発で頭蓋骨を砕かれるなり首の骨をへし折られるなりして殺されてしまっていてもおかしくはない。B級冒険者としてそれなりの戦闘能力を有しているであろうオリーヴとバージルがふたりがかりで戦ったとしても、勝てるかどうか。そんな力強さを感じさせる猛獣と、真っ向から見つめ合う。おお、怖い怖い。でも、その怖さが頼もしい。
「お前、名前は?」
「クレソン」
「ではクレソン。お前は今日から俺の奴隷であり、護衛3号だ。命に代えても俺を守れ」
あ、すごく嫌そうな顔になった。そりゃそうだ。かなり強そうだし、プライドも高そうだ。でもどれだけ肉体的に強くても、奴隷の首輪がある限り俺には逆らえない。うーん、なんだかものすごく悪人になった気分。いや実際やってることは最低なのだが、この世界では一般的に行われていることだと思うと余計になんかこう、クるものがあるな。ほんと碌でもない世界だな、ここは。
「チッ!いつか必ずテメエをぶっ殺してやるかんな!」
そうなんだよな。これが正しい奴隷としての反応なんだよな。なろう系小説ならここで首輪を外してやって『これで自由だよ!君は奴隷でも獣でもない!ひとりの人間だ!』的な薄っぺらい台詞を吐くだけで『素敵!抱いて!』みたいな安っぽい即堕ちムーブをかましてくれるところかもしれないが、こいつもさっきの獣人と呼ぶのもおこがましいパチモンメス獣人奴隷もそういうタイプじゃなさそうだ。
むしろ首輪を外した途端に、問答無用で速攻で殺しにかかってきそう感ある。なので王道のテンプレ展開は実現できそうにないし、できたとしてもするつもりもない。男に『抱いて!』とか言われても困るだけだかんな。
しかしまあ、買ってから気付いたのだがオリーヴ、バージル、クレソンと、ものの見事にむさ苦しいおっさんばかりが揃ってしまったな。人相の悪い人情系ハゲおっさん、堅物の軍人山犬おっさんに加え、新たに筋肉達磨の山猫獣人おっさんと、ビックリするぐらい華がない。別に欲しくもないが。
だって迂闊に美少女奴隷でも購入してみろ。そいつがオリーヴやバージルを誑かして、『真実の愛(笑)のために死ねえ!』とかなんとか叫んで俺に襲いかかってきたらどうする。いつの時代も男だらけの中に女がひとりだけ混じったりしたら、オタサーの姫のごとく内部崩壊待ったなしだぞ。女を巡って醜く争い合う愚かな野郎共が引き起こす悲劇なんて歴史の教科書を紐解けば古今東西いくらでも転がってんだろ?
俺は女嫌いだがホモではない。よって男が増えても別に嬉しくないし、楽しくもない。うん、まあ、あんまりおっさんばかりがポンポン増えてもしょうがないし、護衛はクレソンで最後にしよう、そうしよう。