第7話 政略結婚丸出しの茶髪婚約者
サニー・ゴールドバーグ男爵令嬢、五歳。彼女は俺、ホーク・ゴルドの許嫁である。
ゴルド商会を一代で国内でも屈指の大商会へと成長させた成り上がり者の父は、最終的に貴族の仲間入りをすることが長年の悲願であったらしいのだ。どれだけ大金持ちになろうと、商売で大成功しようと、この国での我が家の扱いは平民である。貴族の出入り商人になった今でも、あるいはそうなった今だからこそ、父の貴族コンプレックスはかなりのものらしい。
だが、爵位というのは軽々しく金で購えるものではない。この手の異世界転生モノなら主人公が現代知識を使って内政や発明無双をしたり、チート能力で偶然都合よく窮地に陥っている王族のお姫様や貴族のお嬢様を助けるなどして、その功績をもって爵位を授与されたりなどの都合のいい成り上がり展開が繰り広げられるものだが、現実は然う然う上手くはいかないものである。
そこで父が目を付けたのが、それなりの歴史こそあるものの、現在は財政難により没落寸前のゴールドバーグ男爵家であった。早い話が、多額の金を融資してやるから、うちの息子を男爵家の婿にしろ、と迫ったわけだ。そして、ゴールドバーグ男爵はその提案を受け入れた。爵位としては最下位とはいえ、それでも何代も続く貴族の末裔だ。ここで没落して御家の歴史に自分の代で幕を下ろしてしまうよりかは、たとえ成金豚野郎に食い物にされてでも、男爵家の存続を望んだとしても別におかしくはない。
そのせいで他の貴族連中には爵位を売り飛ばしただとか、貴族の恥さらしだとか、陰で色々とボロクソに言われているようだが。中には御家のために恥を忍んで耐え難きを耐えたと一部評価している者もいるみたいだが、どっちにしろ売った側の男爵家とは別個に、買った側のゴルド商会と父イーグルに対する評価は、ただひたすらにボロクソであった。
金さえあればなんでも買えると思い込んでいる、恥知らずの身の程知らずだと。実際その通りだし、それが成り立ってしまうこの国の制度にも問題はあるんじゃないのか?と思わなくもないのだが、頭に血の昇った差別意識・選民思想丸出しの貴族連中相手には何を言っても無駄だろう。
そんなわけで、サニーは僅か五歳にして、御家丸ごと豚親子の玩具扱いが確定してしまった非常に可哀想な少女なわけだが、当然のようにホークとの仲は険悪だった。といっても別段、彼女自身に非はない。
なんせ土属性魔法の使い手であり、ささやかなガーデニングを楽しむのが趣味だという彼女を初対面で泥臭い、冴えない女と罵り、『お前みたいなチンチクリンのブス女なんかとは死んでも結婚したくなかったでしゅけど、パパの命令だからしょうがなく結婚してやるんだありがたく思えブヒ!お前みたいな陰気で根暗なブス女は屋根裏部屋にでも閉じ込めて、僕ちんは美人の愛人をたっくさん屋敷にお迎えするブヒ!あー楽しみだブヒョヒョヒョ!』などとボロクソに貶したみたいだからな。マジかよ最低だなホーク。
そんな初対面だったので、当然彼女から俺への印象は今に至るまで最悪なままだ。なんせ顔を合わせる度に、大嫌いな醜い子豚に口汚く罵られ続けてきたんだから無理もない。だがそれでも男爵家側が極めて不利な政略結婚ゆえに、ホークに何を言われてもじっと我慢し続けなければならないのが辛いところだ。
彼女は父親である男爵からも、決して俺の機嫌を損ねないようにと厳命されている。もしそうなってしまえば、融資の話を打ち切られてしまうかもしれないからと。既にゴルド商会に返済できない額の借金をこさえてしまっている男爵は、ゴルド親子の操り人形だ。
以前愚かなホークが彼女の亡き母親を侮辱したことで本気で激怒させてしまったことがあるのだが、それでも男爵は泣きじゃくる娘に猛烈なビンタをかまして、『ゴルド様に謝れ!』と彼女の頭を鷲掴みにして力尽くで下げさせたぐらいだからな。そりゃもう、好きになれって方が無理よ。
だがまあ、それなら安心ではある。このまま嫌われ続けていれば、政略結婚しなければならなくなった後も別居するなりして、愛情のない仮面夫婦として極力関わり合いにならないようにしながら生きていくことは出来るだろう。そんなに結婚したくないなら俺の方から婚約を解消するようあのクッソ激甘パパに申し立てればよいのでは?と思われるかもしれないが、一応俺は、一代で街中の小さな露天商から国内でも屈指の大商会の社長になるまで昇り詰めた父のことを尊敬している。
たとえ人柄がどうだったとしても、そこに至るまでには並々ならぬ努力と労力があったことだろう。そんな父が、どうしても自分の息子を貴族に!と願ったのであれば、それに応えてあげるのが親孝行というもの。もし父が貧しい露天商のままだったら、今の我が家の生活水準はダダ下がりしていただろうし、親の金で贅沢な暮らしを送らせてもらっている金持ちの子供としては、政略結婚のひとつぐらい、ぐっと我慢してこなしてあげなければ。
「久しいな、サニー。一体俺に何の用だ?」
応接室で待たせていた彼女にそう声をかけると、ポカーンとした顔をされた。そりゃそうだ。今までのホークだったら、開口一番『僕ちんに何の用でしゅか!?お前の陰気な顔を見てるとイライラするでしゅ!さっさと用件だけ言って帰れこのブス!どうせ僕ちんが階段から落ちたのをいい気味だと思って嘲いに来たに決まってるブヒね!なんて性根の歪みきった陰湿で陰険で卑劣な娘なんだブヒ!』ぐらいは言っていただろうからな。完全に別人だ。
「あ、あの、その、ホーク様?ですよね?」
「そうだ。メイドに殺されかけた恐怖で、人前に出る時は影武者を使うようになったとでも思ったか?」
「い、いえ!でも、その……」
「ゴルド商会の跡取りとして、未来のゴールドバーグ家当主として、今後人前では態度を改める必要性を理解しただけだ。気にするな。それで?見舞いに来たというのならばこの通り、ピンピンしている。残念だったな、大嫌いな俺が死んでなくて」
「いえ、そんな!」
「ああ、そうだろうな。俺に死なれて困るのは君達親子の方だろうからな」
驚きも束の間、すっかりいつも通りの暗い顔になってしまったサニーだが、まだ五歳の女児をイジメてもしょうがないので、俺はローリエに頼んで用意させた焼き菓子と紅茶を口に運びつつ、どうしたものかと思案する。まあこの状況じゃ、さっさとお帰り願うのが一番お互いのためだよな、うん。
「大方、男爵に命じられて、嫌々見舞いに来たのだろう?男爵にはこちらから返礼の手紙をしたためておくから、もう帰っていいぞ」
「はい……あの……こちら、私が育てた花で作ったポプリです。よろしければ、その……」
そう言っておずおずと躊躇いつつも彼女が差し出したのは、昭和か平成初期の少女漫画でもなければ今日日見ないような、典型的なポプリとやらだった。おお、これが本物の。発想が古いぞ!と思わなくもないが、この世界では別段古臭い代物でもないのだろう。
受け取って匂いを嗅いでみると、ふんわりと花の香りがする。なんの匂いかはわからないが、見た目も香りもメルヘンチックで可愛らしい。小学校低学年から幼稚園ぐらいの女児向けだな、と思ったが、彼女はちょうどそれぐらいの年齢だったな。
いやしかし、この子はなんだろうね。よっぽどいい子なのか、それとも考えなしなのか。このクソ豚野郎に幼女の手作りポプリなんてものが喜ばれるはずがなかろうに。父親に命じられ嫌々見舞いに来た割には、手作りのお見舞い品まで持ってくるとは律義というかなんというか。ひょっとして男爵家が貧乏だから、お見舞いの花束や菓子折りが買えなかったのか……?だから手作りで……?
「……うむ、感謝する。これは頂いておこう」
「っ!はい!ありがとうございます!」
突っ返されるなり目の前で踏み躙られるなりされて、罵倒されるとでも思っていたのだろうか。いや、以前までのホークだったら間違いなくそうしていただろうな。そうされるのは覚悟の上です、みたいな悲痛な表情から一転。パっと顔を輝かせてお礼を言う辺り、今までどれだけ虐げられてきたんだか。
しっかし、うちの妹といいこいつといい、幼女に厳しすぎないかこの世界。誰が世界観やキャラクター原案を担当したのかは分からないが、無垢な童女が曇るのが大好きな性癖歪みクリエイターとか碌なもんじゃないぞ。前世じゃ鬱アニメは観ない派だったからな俺は。無駄に好かれたり懐かれたりしても迷惑だが、児童虐待やイジメは胸糞悪いから嫌いだぞ。
それにしても、許嫁か。正直結婚願望なんてこれっぽっちもないってのに、ここにきて婚約者の存在とは対処に困るな。正直、彼女が十五歳になる頃には俺の精神年齢は三十間近だぞ?さすがに犯罪だろ。いや肉体年齢的には同い年なんだけどさ。なんかこう、結婚はせずに貴族になり、なおかつ男爵家とも円満に婚約を解消する方法とか、ないもんかね?