第49話 令嬢は婚約破棄後に溺愛されるもの
ちょっとした臨時フォロー回って奴をペタリ
「いいのかい?あれ」
「当人たちが納得してのこととはいえ、しばらく社交界は此度の噂で持ち切りでしょうね」
ピクルス・ブランストン第三王子とローザ・ゼロ公爵令嬢は、食堂を眼下に一望できるサロンから茶番極まりない婚約破棄騒動の一部始終を眺めていた。ホークが女嫌いを公言していることは知っている。婚約者たるサニーがそれで七年間も冷遇されてきたことも。
彼はいずれ婚約を解消するつもり満々であり、そのために爵位を取れないかとか邪竜を討伐すればいいんじゃないかとか、色々企んでいたのを、友人たるローザはわりと近くで眺めていた。
何もそこまで嫌ってあげなくともよいのに、と、女としては思わなくもない。自分だって、ピクルス王子に『君と結婚する気ないから!いつか捨てるつもりだけど、最悪そうできなかった時は仮面夫婦でよろしく!あ、子供はいらないよ!』などといった態度を取られ続けてしまったなら、さすがに耐えるのは辛いだろう。
いや、ホークの場合は、嫌ってさえいないのがよりタチが悪いとも言える。嫌われているということは、少なくとも何らかの感情を向けられているということだ。だが、彼は違う。本気でどうでもいいお荷物として、サニーのことをほとんどいないものとして扱っていた。
理解はできるのだ。貴族でもない彼が、あきらかに父親の我欲のために政略結婚を強いられる。それも、彼の母は無理な政略結婚の末に不倫に走り、ふたりの我が子を捨てて毒杯を呷り自害した。
幼い頃からそんな彼の周りにはゴルド商会の金や権力に群がる愚かな女たちがムシケラのようにたかっていたことも。だが、辛いのはサニーも同じはず。金のために好きでもない男に嫁がされる。貴族の令嬢としては、よくあることだ。むしろ、恋愛結婚なんて幻想は、皆幼いうちに打ち砕かれる。
学院ではホーク・ゴルドの婚約者ということで手酷いいじめに遭い、ようやく自分という友人ができたと思えば、しかしホークは遠ざかる一方。
彼と仲よくなりたいのに、近づくことさえ許してもらえない。アポイントメントを取り付けようとすれば、予定があると断られ続け、アポなし訪問しても、実際本当に留守であるため、顔さえも見れない日々。
彼女が人知れず涙に暮れていたことも知っている。授業で作った手縫いのハンカチを渡せないまま一年が過ぎてしまったことも知っている。
そんな日常がずっとずっと続いていたところへ、自分に優しく親切にしてくれる顔のよい男性が現れ、ガーデニングという共通の趣味を通じて仲よくなり、孤独を慰めてくれたならば、まあ、そちらにクラっと来てしまう気持ちも、わからなくはないのだ。
「彼、嬉々として演技しまくってるけど、そんなに嬉しいのかねえ?」
ホークはその名の通り、鷹のような男なのかもしれない。空を舞う鳥は地上から空を見上げる人間たちのことなど一顧だにせずに、自由にどこかへ飛んでいってしまう癖に、気まぐれに舞い降りては、捕まえようとする手をするりとすり抜けてまた手の届かない大空へと消えていってしまう不思議な子供。
今忙しいんで後にしてください!なんて言葉を、自分に言える男なんて、国中探しても王族かあの少年ぐらいのものだろう。ならば永遠に手の届かない鷹を追いかけ続けるよりも、窓辺に寄ってきてくれた小鳥を選ぶ気持ちも、理解できなくはない。
「理解できないわ。彼の考えることは、概ねいつも理解できないことばかりだったもの」
公爵令嬢たる自分や王子たるピクルスに親しげに声をかけられるという、この学院の生徒たちにとっては最高の栄誉たる行いを前にした時でさえ、彼は迷惑だからこっちくんなと露骨に嫌そうな態度を最初は取っていたのだから。
貴族や王族の常識では測り知れない存在であることは、知っていた。だが、さすがにこれはどうなのだろうと思わなくもない。
恩人たるホークと、友人たるサニーが、仲を修復し結婚してくれたならば、きっと素敵だったでしょうに。だが、そんな勿体なさは、部外者たる自分の勝手な理想の押しつけに過ぎないことも理解している。
「少し話をしたけれど、僕はあまり、シルバーバック男爵家の次男のことは好きになれそうにないなと感じたよ。彼はあまりにも世間知らずで、貴族としての責務を蔑ろにしすぎている」
「まだたったの12歳、という言い訳も、あなたや彼の前では霞んでしまいますものね」
少なくとも、ホークという人間を知らない貴族たちの間では、シルバーバック男爵家の決断は英断であったと称賛されるだろう。身勝手な理屈で一方的に婚約を破棄するなど、やはり婚姻を結ぶということがどういうことなのかを、貴族の世界をまるで知らぬ無理解な商人風情と嘲笑されることだろう。
卑しい成り上がりの商人の血を混じらせることなく、貴族としての矜持を保ったと喝采を浴びるに違いない。だがその喝采すらも、虚飾や欺瞞にまみれた陰湿な笑みによるものであることを、自分たちは嫌というほど思い知っている。
『恋愛に狂った人間は、理屈も道理もなく、己の思うがままに感情的に愚行に走り、愛を免罪符にしてそれを正当化しようとします。だから俺は、恋愛感情に振り回される人間が嫌いなんですよ』
かつてホークが、もう少し婚約者と仲よくしてあげたらどうだい、とやんわりと窘めたピクルスに対し、にべもなく切って捨てた際に吐き捨てた言葉の意味が、大人になっていくに連れいやでも理解できてしまう。
やれどこぞの伯爵令嬢を取りあってふたりの貴族の倅が決闘をしただの、どこかの貴族の娘が一目惚れした劇団の看板役者を追って家を飛び出しただの、どこぞの貴族の娘が婚約者ではない相手と寝て純潔を失っただの。
どこかの貴族の息子が町民を殺してしまい、慌ててその父親が事件を隠蔽したとか、馬車で平民の子供を撥ねてしまった貴族が、我が子の未来を守るため、口封じのためにその平民の一家を皆殺しにしただとか。
そんなゴシップばかりが面白おかしく噂として飛び交う社交界に身を置くことが、たまに酷く気疲れしてしまうようになった。
いつの時代も、恋愛に限らず、愛というものは人を狂わせる。王妃が妾たちを暗殺し、その子供たちすらも暗殺しようと暗躍していたように。
「不安かい?」
「ええ。初めてできた同性のお友達ですもの。彼女とはこれからも仲よくできたらいいなと思うわ。でも...」
シルバーバック男爵家の次男坊と仲よくなれるかは、また別の話だ。仲よくなれたらいいな、とは思う。だが、貴族である以上、必ず彼の目に自分たちは、公爵令嬢、第三王子として色濃く眩く映るはず。
そして少なくともホークは彼らとは明確に距離を置くだろう。ゴールドバーグ家という厄介な楔が抜け落ちてしまった今、彼が彼女らを顧みる理由はもう借金の返済以外に存在しないのだから。必然、彼らと親しくしていれば、自分たちもホークから遠ざけられてしまう。
「ままならないものね、人間関係というしがらみは」
「彼はそこから脱却することを望んだ。だから、ああして大喜びで芝居を打っている。僕たちでは、彼に友情という名の楔を打ち込むことはできなかった」
「...口惜しいわ」
王族、貴族。家名を背負い続けている限り、きっと彼は一生自分たちを対等な友人として認識しようとはしまい。『おふたりがよろしくとも周りがそれを許しませんので』と。友達ひとり選べない。ああ、なんと不自由なものか。
だがその家名に守られて育てられた自分たちは、それを捨てるつもりもない。
「ねえピクルス様。わたくし、考えたのですけれど」
「なんだい?」
「変身魔法で中年男性に変身したら、彼は仲よくしてくださるかしら?あの子、同年代の友達はお兄様ぐらいしかいないわりに、おじさんやおじいさんとばかり親しげにしていらっしゃいますし」
「それはなんというかまた、斬新なアイデアだね、ローザ。少なくとも僕は、おじさんに変身した君がお嬢様口調で喋る姿は観たくはないかな」
「...冗談ですわ」
とにかく、しばらく両男爵家は荒れるだろう。友人としてはサニーの相談に乗ったり愚痴を聞いたりぐらいはしてやれるだろうが、万が一公爵家の名を目当てにすり寄ってきたならば、ピシャリと跳ね付けてやることになってしまうかもしれない。
もしそうなってしまったら嫌だなと思う。そうならないでくれたらいいなと思う。自分たちにできることは、ただ事態が悪い方向へと転がり落ちてしまわないことを祈るだけ。もしそうなってしまった場合に備えるだけ。