第5話 鈍感眼鏡の紫髪女教師
「マリー、こちらハイビスカス。今日からお前の護衛になる女性だ」
「わたくしの、ですか?」
「ああ。彼女が不服ならばそう言え。新しいものを宛がってやる」
「いいえ、いいえ。不服など、とんでもございません。ただ、わたくしごときに護衛だなんて、畏れ多くて」
「娘に護衛ひとり就けられないような家だと思われては、ゴルド商会の名に瑕が付く。お前はただ、言われるがままに従っていればそれでいい」
「そう、ですか。解りました。ありがとうございます、お兄様」
「お前のためではない。御家のためだ」
「承知しております」
筋肉ハゲおっさんのバージル、実は犬でも狼でもなく、山犬獣人だった軍人系ワンワンのオリーヴを俺の護衛として採用したついでに、赤髪の女冒険者・ハイビスカスを後々逆恨みされないよう採用した俺は、とにかく身近に女がいると落ち着かないので、彼女を妹の護衛として宛がうことにした
既にまだ幼い妹に対するものとは思えないような俺のあんまりな言い草にものすごく頭に来てそうな雰囲気をプンプン醸し出しているハイビスカスだが、ここでまた一悶着起こしたらそれこそ解雇される可能性が高いと理解しているからか、拳を握ってポーカーフェイスを装っている。
まあこいつに関してはどうでもいいので、適当に妹と仲よくやってくれれば双方のためになるだろう。病気の妹がいるぐらいなんだから幼い少女には優しくするだろうしな。マリーも兄に反感を抱くアネゴ肌の女を話し相手を用意してやれば、鬱憤をひとりで溜め込むこともあるまい。
そんなこんなで、屋敷の中の人間を大幅に刷新し、新たに護衛を三人も雇い、物理的にも精神的にもとても風通しのよくなった新生活を始めた俺の前に現れたのは、またしても髪の毛の色が奇妙な美女だった。
「王立学院大学部より参りました、ミントと申します。専攻は薬草学で、風属性に適性。闇属性にも少々ですが、適性を持っております」
風属性の適合者なのに、髪の毛の色が緑ではなく紫なのは何故だろう。いかにも天然ボケのおっとりとした、優しいお姉さんじみた眼鏡で巨乳の女子大生が、どこか間延びしたようなのんびりとした口調で、恭しく一礼する。
場所は我が家の応接室。俺の座るソファの背後には、護衛となった山犬獣人のオリーヴが佇んでいる。もう一方の護衛であるバージルには屋敷の力仕事の方を任せているため、この場にはいないが、俺が呼び出せばすぐに駆け付けてきてくれるだろう。
男性ふたりに交代制で護衛を任せるようになり、室内に護衛がいるという前世ではとんと馴染みのなかった状況にも少しずつ慣れてきた頃、満を持してやってきたのがこの思春期の男子中高生のこんな家庭教師のお姉さんが来てくれたらいいな!みたいな願望や妄想をそのまま絵に描いたような、巨乳の美女というわけだ。正直に言おう。少しも嬉しくない。
「ホーク・ゴルドです」
即座に『チェンジ!』と叫べたらどれだけよかっただろう。だが今すぐに派遣できる、闇属性魔法が使える人材は彼女しかいないと冒険者ギルドの方から断言されてしまったのだ。この世界には冒険者ギルドの他にも、魔法使い達が集まる魔術師ギルド、研究者達が集まる学者ギルドなどが存在しているのだが、そのどれに当たっても、彼女以外の闇属性魔法の使い手を派遣してもらうことはできなかった。
そのため今ここで彼女を追い返してしまうと、魔法の習得が大幅に遅れてしまう。そもそもが魔法の属性が11種類もあるせいで、闇属性魔法を使うことができ、なおかつそれを他人に教えられるほどの知識や余裕がある者が少ない、というのが現状なのだそうだ。
ちなみに11種類ある属性というのは、火・水・風・土・光・闇という分かりやすいものから、雷・氷・木・金という微妙に五行思想が混じったものまであり、中でもよく解らないのが時属性というものだ。時間を操ったり出来るのだろうか。だとしたら、悪用されたら大変なことになるんじゃないだろうか。時間という概念が、自然属性に含まれているとはなんとも不思議なものだが、この世界では特に疑問を抱かれることもなく、11番目の属性として認知されているらしい。
それはさておき、彼女の適性属性は風属性であるにも関わらず、闇属性にも少しばかり適性を持っているお陰で闇属性の魔法も使えるという理由で、今回彼女が抜擢されたらしい。ただ単に、金持ちのバカ息子の相手をさせられるのが嫌で、みんな適当な理由をつけて逃げてしまった可能性もあるが。
別に今すぐに急いで魔法を習得出来なくてもいいじゃないかという気持ちと、目の前に魔法という面白そうな玩具をぶら提げられたのにそれに手を伸ばしたら取り上げられてしまいそうになって焦る気持ち。その両方が俺の中でぶつかり合って、最終的にはしょうがない、彼女で妥協しよう、となったのである。ただ仕事上での付き合いになるのだから、給金を受け取る以上、彼女だって俺のことを無下にしたり、わざと悪意ある態度で接してきたりはすまい。
「あの、ところで、親御さんはいらっしゃらないのですか?」
「父は仕事、我が家に母はいないもので。家庭教師の件については全て俺に一任されていますので、あなたの契約相手は俺です。ご不満ですか?」
「まあ、そうなんですか?まだ小さいのに、すごいですねえ」
すごいの一言で済ませてしまっていいのだろうか。まあ、細かいことをグチグチ言い出さない辺り、彼女は比較的アタリの部類かもしれないし、ここで不満なので帰ります、と言われてしまってもそれはそれで困るので、納得してくれたのならそれでよい。
「それで?小さい子供が相手ですが、契約して頂けるんです?」
「もちろんです。私はそのために来たわけですから」
「ではオリーヴ、彼女に契約書を」
「了解した」
羊皮紙ではない紙の契約書に羽根ペンでサインをしてもらい、晴れて契約完了だ。
「よろしくお願いしますね、ええと……」
「ホークだ。ホーク・ゴルド。敬語は要りません」
「それでは、これからよろしくお願いしますね、ホーク君」
「ええ、よろしくお願いします。ミント先生」
この世界、平民には名字がない。名字がないということは、必然的に名前で呼ばなければならない。うーん、不便だ。女を下の名前で呼ぶなんて経験、前世ではなかったから違和感しかないぞ。現世では当たり前のように初対面の相手を名前で呼び捨てにして、『僕ちんの愛人にしてやってもいいブヒよ!』などとやっていたなどとは信じられない。まあ、過去のことはいい。今はそれよりも魔法だ。
とはいえ闇属性魔法と一口に言っても、闇の刃を作り出して敵を物理的に攻撃する魔法から、精神に作用するもの、重力を操るものまで幅広くあり、あまりよい評判を聞かないどころか人格に難ありと悪い噂ばかりが蔓延しているクソガキ相手に何から教えたものか、とミント先生は悩んでしまったらしい。
まあ、その心配も解る。いかにもバカ丸出しのマヌケ面をした、成金のクソガキ肥満児に下手に攻撃魔法でも教えようものなら、絶対調子に乗って悪用するに決まっているだろうからな。いくら俺がそういう愚か者ではないと口先だけで言い張っても、はいそうですかと信用は出来ないだろう。
だからといって家庭教師なのに何も教えないというのも職務怠慢になる。だから、最初は座学から始めることにしたらしい。いきなり実践に踏み切らないのは正解だと俺も思う。
「えっと、この世界にはエレメント、と呼ばれる目に見えない物質が空気中に含まれていて、私達魔法使いはそのエレメントから魔力を引き出し、自分の体を通してそれぞれの適性属性に魔力を変換することで、魔法を行使するんですね。私の体内に入ったエレメントは、風か闇の魔力に変換され、出力されます。だから、私は適性を持つ、風属性と闇属性の魔法しか使えません。私の体に入った時点で、エレメントは風か闇に自動的に変換されてしまうからです」
「なるほど、そのエレメントとやらは、あくまで魔法を利用する際の燃料となるものであり、体に取り込んだ時点でそれぞれの資質に応じた属性へと自動的に変換してしまう、だから適性のない属性魔法は使えない、と。それはどのように空気中から引き出し、体内に取り入れ、出力するのですか?」
「呪文を使って変換します。それじゃあ、今から小さな風を起こしますね。ミントの名において命ずる。風よ吹け。小さく吹け」
ミント先生が人さし指を立てて、小さくそれを振ると、室内だってのに、扇風機の弱風のような心地よい風がすっと吹いた。それは自然風とは異なり、あきらかに俺を中心に渦を巻き、やがて霧散する。すごいな、本当に魔法だ。魔法のある世界に転生したんだな俺。ちょっと感動。
「魔法を発動するためには、エレメントから魔力を引き出すための引き金となる言葉、魔法で何をしたいのかをエレメントに伝達するための言葉の、ふたつの言葉を組み合わせる必要があります。これを、呪文と言います」
「なるほど」
「最後に、どのように発動したいかを付け足すことで、威力を調整したりすることも出来るのですが、まずはふたつの言葉を組み合わせた、初歩の呪文から練習していくのがいいのではないでしょうか。もちろん、いきなり危険な魔法を使おうとしてはいけません。闇属性でしたら、手の平の中のものを闇で覆い隠して見えないようにするとか、闇のベールで日除けを作り出すとか、そういった危険性の低いものから試していくのがよいと、先生は思います」
そう言いながら、ミント先生は鞄から取り出した一冊の書物を俺に手渡してくる。
「こちらは、私が中等部の頃に使っていた、闇属性魔法の基礎参考書です。こちらをお貸ししますので、まずは闇属性魔法にどんなものがあるのか、闇属性魔法でどんなことができるのか、ホーク君自身がそれを使ってどんなことをしたいかなどを、一緒に学んでいきましょう」
「はい先生」
「約束してほしいのは、決してひとりで魔法の実技練習をしないでください、ということです。不慣れなうちは、自分自身の魔力や体内に取り込んだエレメントの制御が覚束ないせいで、魔法が暴発したり、暴走したりといった、不幸な事故が起こる可能性がありますので。それを止められる大人が傍にいないと、魔法がホーク君自身のみならず、ご家族や建物を傷付けかねませんので。絶対に軽率な気持ちで、ひとりで魔法を使おうとしないと、約束出来ますか?」
これは俺に限った話ではなく、王立学院とやらに入学するまで魔法を碌に使ったことがない生徒が入学試験や授業で魔法を暴発させて、騒ぎになるのは毎年の恒例らしい。平民達の中にも、魔法の暴発事故や、子供同士の喧嘩から魔力の暴走に繋がって、時に死傷者が出ることもあるのだという。
そうなってしまえば、傷付けられた側も傷付けてしまった側も、不幸にしかならないだろうからな。真剣な面持ちで俺を見つめてくるミント先生は、きっといい先生なのだろう。小学生の頃、散々苦渋を飲まされたヒステリッククソババア教師とは大違いだ。
「解りました。決してひとりでは練習しないと約束します。ひとりではない、といっても、護衛のオリーヴが傍にいる時などは、どうです?」
「俺も一応は金属性魔法の使い手ですので、もしもの際は対処出来るかと。最悪、坊ちゃんを気絶させてでも止めますよ」
「それもあまりいいことではありませんよ?術者を気絶させたところで、発動してしまった魔法は制御を失い暴走するだけですから」
「では、子供が魔法や魔力を暴走させてしまった際の対処法をご教授願えますか。坊ちゃんに何かあった時に、俺達護衛が何もできずに見ているだけ、では困ってしまいますから」
「分かりました。では授業が終わった後で、オリーヴさんにも特別授業、ですね」
「追加料金が必要であればお支払いしますので、俺からもお願いします」
なるほど、確かに魔法は言葉ひとつで簡単に人を殺せる力だ。それが制御できずにぶちまけられたり、子供の喧嘩に用いられたりしたら、大変なことになるのは目に見えている。というか、物騒だな魔法。当然と言えば当然だが、呪文ひとつで簡単に人を殺せてしまう力をこの世界では誰もが持っているとか、冷静に考えると恐怖でしかないぞ。
日本がいかに平和だったのかをヒシヒシと感じさせられるな。銃社会、というのはこういった恐怖と隣り合わせの社会だったのだろうか。海外旅行なんて人生で一度もしたことがなかったから知らないが。
「なるほど、確かに実技練習は、ミント先生の前でしかやらない方がよさそうですね」
「そうしてもらえると先生は嬉しいです。魔力を暴走させてしまったり、頭に血が昇って魔法でメチャクチャやり始めた子供は、武力か魔法で鎮圧するほかありませんので。先生はホーク君がそんな風になってしまうところは、見たくありません」
「解りました。先生の指示に従います」
「納得してくれてありがとう、ホーク君」
そんな訳で、ミント先生の指導の下、魔法を学ぶことになった俺。実際に付き合ってみると、ミント先生は実に有能な教師だった。相手が子供だからと侮るでもなく、解りやすい言葉で噛み砕いて説明しようと一生懸命になってくれるし、質問をすれば納得のいくまでしっかり答えてくれるし、何より大学生とは思えないぐらい大人びていて、しっかりとした常識と良識がある。
最初は美人な女教師ということで、どうなることかと不安であったが、彼女に限ってはそういった心配ははしなくて済みそうだ。俺が女嫌いなのは、前世で碌でもない女とばかり関わってきたせいで、ブサメンな俺が女性と関わると碌なことにならない、という失敗談や経験則から来るものであり、容姿で俺を差別したり、嘲笑したりはしない彼女に師事することは、全く苦痛ではなかったのだ。
これはなかなか、いい先生に巡り合えたのではなかろうか。