第46話 金の満月金の老竜、金の髪の金の亡者
勘違いされると困るのだが、俺は別に宗教に過剰な嫌悪感や悪意は抱いていない。それが誰かの心の救いになるのならば、信仰上等だからだ。俺だって前世でコンビニのトイレに駆け込んだ時にちょうど空いてた時や、ガチャでSSRを引き当てた時は神よ!!って神様に感謝を捧げたりもしていた。
あくまで俺が嫌いなのは、よその神様を排除して自分たちの神や信仰を強要しようとするイカれた連中や、信者から金を巻き上げようとするカルトなどのクソみたいな連中であって、『他人に迷惑かけなきゃ何信仰しててもそいつの自由』というのが主な俺の宗教観だ。
だから、別に女神教の真実!!とかいってハインツ爺ちゃんの話を暴露してやろうとか、それによって女神教をぶっ潰してやろう!みたいな、そういう気持ちは全然ないのだ。
実際、下町やスラム街で炊き出しを行っているシスターたちや、それによって救われている浮浪児や浮浪者たち。女神の教えを守り、女神に感謝し、穏やかに生きる人々のことまでは否定したくないのである。ただ、それを向こうが信じるかどうかはまた別として。
「とまあ、そんなことがありまして。今のところ女神教の教会からは何のアプローチもないので、しばらくは大丈夫そうかなと」
「ふむ。そなたも中々に血の気が多きことよ。だが、よい。若人とは時にぶつかりあうものだ。己を貫くために必要な戦いというものは、いつの世も何者にも存在するのだからな。納得のゆくまで、存分に争うがよかろう」
人間は己の信じたいものだけを信じ込んで生きる生き物だ。『こうと決めつけて見たら何もかもそうとしか見えなくなるのは当たり前だ』と前世で学校の先生に教わった通り、人間の思い込みや偏見や色眼鏡というものは酷く強固にできている。
「人は愚かだが、人の全てが愚かではない。また、今愚かである者が、必ずしも生涯愚かであり続けるという保証もない」
時間も空間も容易く超越するハインツ爺ちゃんの背に乗って、俺は夜空を飛んでいる。テレパシー魔法やワープ魔法といったものを駆使して、俺は彼の教えを毎晩受けていた。
なお、勉強中は師匠と呼ぶように言われたので、そう呼んでいる。弟子を取るなど、何千年ぶりであろうかと、とても感慨深そうにしていた。
『今宵はよき夜であるな。余は夜の散歩としゃれこむつもりであったが、そなたさえよければ、共に行くか?』
『いいんですか?ぜひ!』
今夜は満月だ。前世では肉眼で見たことのなかった満天の星々と、今にも落ちてきそうな巨大な満月。月は、魔力やエレメントと密接に関係があるらしい。
魔物が月にあてられて狂うとかありがちな設定だけど、それは太陽が放つ光や炎のエレメントを月が反射して、地表に降り注ぐ量が増減するからその影響が及ぶのだとか。光属性の適合者なら満月の夜が近いほど、闇属性の適合者ならば新月の夜が近いほど、力も増すという。
この世界のこと、魔法のこと、女神のこと、人間のこと。知れば知るほど奥深いそれは、人間という存在がいかにちっぽけなものであるかを俺に実感させてくれる。
ブランストン王国だってそうだ。俺からしてみればとても広大な大都市だと思っていても、実際こうして巨竜の背に乗って、グングン空を飛んでいると、眼下に広がる人間の生活圏など、この広い世界から見ればほんのちっぽけな一部を切り取っているだけに過ぎないことがよくわかる。
「余は人間が嫌いではない。女神の作り出したものに対する悪感情をかつて抱いていたこともあったが、恨みも憎しみも、数万年の間にもう擦り切れてしまった」
数万年。言葉にすればほんの僅かでも、きっと前世も含めて二十年ぽっちぐらいしか生きてない俺なんかには、想像もできないような長い長い歳月だ。リンドウが数百歳と言っていたから、きっとこの人は何万年もの間卵を守りながら、たった独りで生きてきたのだろう。
「善人がおり、悪人がおり、時として余には想像もできなかったような代物を作り出す。繁栄し、滅び、流転し、また繁栄し、そして衰退しては次の国が興る。始まりは違えど、今ではこの世界に根付いた生命の一部よ」
生ぬるい夜風が気持ちよく俺の全身を撫でていく。本来ならもっと、それこそジェット機ばりに高速飛行できるんだろうに、俺に気を遣ってか風の上を滑るようにゆっくりと師匠が夜空を行く。
「人の世には、時折えらく興味深い変わり者が現れる。そなたのような、な」
「だから、俺を弟子にしてくれたんですか?」
「そうだ。余を邪竜と貶めつつも恐れるのが人間ならば、それをくだらないと笑い飛ばすのもまたそなたのような人間よ」
たったひとりかふたりだけを見て、それが人間の全てだと決めつけるのは愚かしいこと。それは、女嫌いであった前世の俺にも言えたこと。全ての女を嫌っていたわけじゃない。女にだっていい奴はいるし、男にだってどうしようもないクソ野郎はいる。
目の前の相手がそうであるのか否か。それは、自分の目で見極めるしかない。
「邪竜だの、闇属性だの、国だの、家だの。そういったものは所詮、いつか薄れて忘れ去られるただの記号にすぎん。忘れるな、弟子よ。そなたは自由だ」
「はい、師匠」
夜の散歩が終わり、トルーブルー山の山頂にある竜の神殿に戻ってくると、師匠は竜から竜人の姿になった。竜の姿であることも、竜人の姿を取ることも、師匠はどちらも自分自身だと、その違いを楽しんでいる。
「今夜はありがとうございました師匠。俺、あんな風に空飛んだの、初めてで、すっげえ感動しました」
「そうか。そなたが楽しんでくれたのならば、余も嬉しく思う」
師匠に教わり、使えるようになったワープ魔法で作り出したゲート。遠い遠い世界の果てとブランストン王国にあるゴルド邸の俺の寝室を、一瞬で飛び越えるワープゲート。それを潜ろうとして、俺はふと立ち止まる。
「ねえ、なんかものすごくフラグ臭い感じのイベントっぽい雰囲気だったけど、大丈夫?師匠、突然死んだりしちゃわない?」
「何を言っておるのかはわからぬが、この世に死なぬものなどあるまいよ。人も竜も、あの太陽も月もこの星でさえも、いつか寿命が尽きる時は必ずやってくるのだからな。そなたもそなたの家族も、余もリンドウも、不慮の出来事でいつ死ぬかなど誰にもわからぬ」
「そりゃまあ、そうなんだけど」
でも、それをなるべく先送りにするためにできることがあるなら、やっておくに越したことはないよね、うん。
「おやすみ師匠」
「ああ、おやすみホーク。よい夢をな」
師匠と別れ自室に戻った俺は、人生初のドラゴンの背に乗って空を飛ぶ、という体験からの高揚感に心浮かれたままベッドにもぐりこんだ。すごいな異世界。リアルドラゴンライダーだ。今夜は興奮して寝つけそうにないや。