第427話 演目・馬車馬になった女
「これはわたくしの友人が本当に体験したお話でございます。彼女は幼い頃から怠け者の少女でした。働きたくない、一生親に、或いは旦那に養われて生きていたい。そんな寄生虫が如き思想を持つ彼女はしかし、顔だけはよかったため多くの男性を魅了することができたのでございます。成人後、いわゆる結婚詐欺師を生業をし始めた彼女はある時、さる貴族の屋敷に仕える馬丁の男を新たな獲物に定めました。大層気前のよい旦那様から給金を弾んで頂いている独身のば馬丁ならば、さぞたんまり貯め込んでいるに違いないと。ですが、それが彼女の身に降りかかった恐ろしい悲劇の始まりでございました」
どこかで聴いた話を臨場感たっぷりに演じ始めた役者たちの鬼気迫る熱演に、観客は固唾を呑んで恐怖を堪能する。が、俺の背筋を伝うのはゾクゾクした恐怖よりも冷や汗と脂汗であった。クレソンは大爆笑しそうになるのを懸命に堪え、ローリエは涼しい顔で俺の汗をハンカチで丁寧に拭ってくれる。
「憐れな馬丁の男を騙してまんまと大金をせしめ逃げ出し、その大金で豪華な家と高価な服を買って着飾り大勢の注目を浴びる存在となった彼女は素敵な恋人を得たものの、馬丁の男を裏切り逃げ出した日から夜な夜な奇妙な悪夢に苦しめられることとなりました。夢の中では馬車馬になった彼女が、馬丁の男に丁寧に世話されながら馬車馬としての人生を送っているのです。最初はただの妙な夢だと笑い飛ばしておりましたが、それが毎晩続き、三日、一週間、ひと月と続く頃になると、彼女は次第に酷く焦燥していったのでございます。夢の中で送らされる、なんの変哲もないごく普通の馬車馬としての人生は、普通だからこそ酷く奇妙な現実感があり、彼女は自分が馬になった夢を見ている人間なのか、或いは人間になった夢を見ている馬なのか、徐々にわからなくなりつつあったのでございます」
「嫌! 嫌あ! わたくしは人間なのよ! 馬車馬なんかじゃない! 放して!」
「落ち着け! 君は誰がどう見ても人間だ! 落ち着いて、その包丁を手放すんだ!」
包丁で自分の体を突き刺そうとする彼女を恋人が懸命に取り押さえる。だが、そんな恋人の狂乱する姿に恐怖し愛想を尽かした恋人の男はやがて、彼女を捨てて逃げ出してしまった。それからも彼女は大金を餌に多くの美男子を釣り上げたものの、そのいずれも悪夢に怯えうなされ苦しみ発狂する彼女の姿に恐怖を覚えて我先にと逃げ出していく。語り部のおどろおどろしい朗読と、それを臨場感たっぷりに熱演する女優らの演技はなるほど恐怖を感じさせる素晴らしい芝居だ。
「たかが夢と侮ることなかれ。皆様とて現実と変わらぬ悪夢に苦しめられ飛び起きた経験はおありでしょう? 人間の睡眠時間はおおよそ8時間程度。1日24時間のうちの8時間、1/3を馬車馬になった夢を見て過ごす。それがどれ程の恐怖か、皆様お分かりになりますでしょうか。夢の中での彼女はなんの違和感もなくそれが当然であるかのように馬として振る舞い、馬として生き、馬として飼い葉を食べ、馬として扱われる。人間としての尊厳が夜毎削り取られるように剥がれ落ちていく恐怖。ああ、どうせ夢なのだから、起きた途端に忘れてしまえればよいのに! ですが、夢の中の記憶は鮮明に彼女の脳にこびり付いて離れはしませんでした。そう、彼女は寝ている間も意識をハッキリと保った状態を余儀なくされ、事実上一睡もしていないのと同じ極限状態に追い込まれてしまったのでございます」
「夢よ、夢! あんなものは所詮ただの夢! 目が覚めれば消えてなくなる一夜の悪夢!」
「次第に眠ることを恐れるようになった彼女は、睡眠時間を削るようになりました。眠らなければ悪夢に苦しめられることもない。6時間、5時間、4時間、3時間。ですが、そのような無理をしていては体に祟るのも当然でございます。夜寝ないからといって寝不足になり、昼間気絶するかのように眠りに落ちてしまえば待ち受けているのは働き者の馬車馬としての人生。寝て起きて、寝ては起きての繰り返し。果たしてどちらが現実でどちらが夢なのか。人になる夢を見られなくなってしまったらその時は!」
「嫌ああああああ!」
主演女優の絹を裂くような絶叫。鬼気迫った迫真の演技に、観客が悲鳴を上げどよめく。うん、大丈夫。貴族の家に仕える馬丁って言ってたし! うちは貴族じゃないから! たぶん人違いというか、他人の空似というか! それにほら、彼女は大金をせしめて逃げることには失敗したわけだから! お芝居の主人公は成功してるわけだから、この物語はフィクションです! え? 本当に起きた怪奇現象? うんうん、そういう建前なんだよね? わかるわかる。
「お願い! お金は返すから! どうか私をゆるして頂戴!」
「ですが、彼女が馬丁の男に会いに行くと、彼は既に自ら命を絶った後でございました。結婚詐欺に遭い全財産を失った馬丁は、生きる気力をも失い命をも喪ってしまったのでございます。彼女は怖れ、怯えました。これはきっと自分を恨んだ馬丁がかけた呪いに違いない。光の魔術師に解呪してもらえばきっと悪夢も終わるはず!」
「落ち着いて聞いてください。あなたには呪いなどかけられておりません」
「嘘よ! 嘘! 嘘吐き! 私は呪われているのよ! 自殺した馬丁が私に呪いをかけたのよおおおおお!」
セーフ! 圧倒的セーフ! バージルは死んでないから! 今でも元気に生きてるから! やっぱりバージルとは無関係の、ただの怪談話だったんだよ。いやあよかったよかった。これで安心して観てられるね! 俺は炭酸水の注がれたグラスを手に取りグビリと渇いた喉を潤す。いやいやマジで怖かったよ。やるね脚本家。あれかな? 美女が動物に大変身しちゃう話が好きな脚本家さんなのかな? 世界は広いからね。うん、多様性の時代だから。他人に趣味嗜好にどうこう言うつもりはないから!
「やがて複数の被害者男性から訴えられ結婚詐欺の罪で逮捕された彼女は刑務所に送られました。真面目に刑務作業に励む勤勉な模範囚になった彼女は、以前の怠け者だった姿とは打って変わって真面目な模範囚として今も働いているのです」
「馬車馬として働くぐらいなら、人間として働いていた方がよっぽどマシだわ!」
「ですが、それで彼女の悪夢が終わったわけではありません。彼女は今も刑務所の中で、夜な夜な自分が馬車馬になった夢を毎晩見続けているのです。馬の寿命はおよそ20年から30年。30年後、50歳になった彼女が夢の中で馬車馬としての人生を終えた時、果たして彼女は悪夢から解放されるのでしょうか? それとも、もう二度と人間になった夢を見ることはないのでしょうか? その答えは、今はまだ誰にもわかりません」
閉幕と共に第1幕が終わり、拍手喝采が巻き起こる。俺も惜しみない拍手を送った。いやあ怖かった。本当に怖かったよお!
「ガハハハ! なかなか面白い見世物だったなァご主人よォ! ま、隣で百面相してるオメエを眺めてる方が俺ァ愉快だったが!」
「大丈夫ですか坊ちゃま。御気分がすぐれないようでしたら」
「平気平気、大丈夫だよローリエ。あとクレソンは後でお話ね」
真夏の夜の怪談オペラ~本当に起きた怪奇現象~は複数の話をまとめたオムニバス形式の短編集らしく、休憩時間を挟んで第2幕が始まる。第1幕のタイトルがあんまりにもあんまりだったんで第2幕以降がどんなタイトルだったのかが頭からぶっ飛んでしまったため、俺はワクワクしながら第2幕が始まるのを待った。
「皆様大変長らくお待たせ致しました。これより第2幕を開演致します」
『第2幕 メイド服を着た雪女』
「いやいやいやいや! 違うよね!?」
「ブハッ! いやいやもしかするともしかするかもだぜェ?」
思わずローリエをガン見してしまった俺と、心当たりはないようで困惑するローリエと、大爆笑不可避のクレソン。俺たちのホラーナイトはまだまだこれからだ!
真夏の夜の怪談オペラ~本当に起きた怪奇現象~
上映プログラム
第1幕 馬車馬になった女
第2幕 メイド服を着た雪女
第3幕 蘇る角猿伝説~消えた最愛の~
第4幕 死神犬の伝説
第5幕 猛虎怪獣vs単眼巨人~地上最大の決戦~