第423話 マーマイト大革命
「余の自慢のコレクションを見せてやろう!」
「いえ、結構です」
「遠慮するな!」
「遠慮とかではないです」
「そなたに拒否権があると思うか?」
「あるに決まってんだろド阿呆!」
相変わらず我らが生物天災イグニス・マーマイト皇帝陛下は面倒臭さに定評がある。世界初の民間向け自動車の輸出産業で世界的に荒稼ぎしまくっているマーマイト帝国は今、産業革命真っ盛りな空前の好景気が到来している。自動車バブルで夏の台風にも負けない金貨の嵐が吹き荒れ、自動車工場で働きたい出稼ぎ労働者が大量に流入。ゴルド商会もそれに便乗してメチャクチャ荒稼ぎさせてもらっているため、イグニス様も父さんもガッポガッポの大儲けで笑いが止まらない状況だ。
なお異世界に自動車の概念を持ち込んで荒稼ぎ、という事態に転生者である俺が一切関わってないのが彼らのすごさをより際立たせているね。古代文明の遺産である飛空艇を解析して現代的な飛空艇を開発した先人たちといい、そこからさらに独り乗りの空飛ぶバイクみたいなものを現在進行形で開発している帝国技研の科学者たちといい、この世界の現地民らのバイタリティはかなりすごい。もはや転生者であることのアドバンテージが全然ないのだから、頭のいい男たちってこっわ。
「聞かれもしないうんちくを頼まれもしないのに垂れ流す男はワインに限らずどの界隈でも嫌われますよ!」
「何を言うか。余の美声に酔い痴れぬ者などそんなにはおらぬぞ!」
「そんなには、と言ってる辺り、少しは謙虚になりましたか」
「そなたと長年一緒にいれば嫌でもそうなろう。」
呵呵大笑しながらイグニス様が俺を王宮の地下にあるワイン保管庫に連れ込む。ほとんど強引に引きずり込まれたようなものだ。本当に乱暴なんだから。
「ぎゃー! さらわれるー! 助けてバージル!」
「御冗談を。あっしごときが世界に名だたる皇帝陛下様相手にどうにかできるわきゃないでしょうが」
「薄情者ー! 薄毛者ー!」
「坊ちゃん、俺の頭は薄毛じゃなくて無毛って言うんですよ」
「自分で言ってて悲しくならない?」
「別に? あっしが何年ハゲやってると思ってるんで。坊ちゃんと初めて会った三十路の時から既にツルツルだったでしょう」
ヒラヒラと手を振りながら、あっさり俺を見捨てるバージルに見送られ、俺はイグニス様に無理矢理ワインセラーの奥深くへと連れ去られた。おのれ護衛の務めを放棄しおって! とはいえ景色は壮観である。自慢するだけあって、だだっ広いワイン保管庫には美術品よろしく大量のワインが見渡す限りずらりと陳列されていた。温度管理も完璧だ。
「どうだすごかろう! 我が父の秘蔵のコレクションを根こそぎ簒奪してやったわ! そこへ余のお気に入りを足したものだから、拡張工事を余儀なくされたぞ!」
「お父さん泣いてません?」
「フ。幽閉先の修道院では一族郎党揃って毎日喜びの涙を流しておるわ! 禁酒禁煙が当たり前の修道院では酒よりもっと健康にいいものが飲めるでな!」
「シンプル可哀想」
思えば帝位を簒奪した際に自分を忌み子とおそれ忌み嫌い冷遇した家族を皆殺しにせず生かしたまま幽閉するに留めさせたのは俺の影響だって言ってたっけ。別にイグニス様になんかした覚えはないのだが、彼の中で心境の変化が何かあったのだろう。そこら辺突っ込んで尋ねたことがないのでなんとも言えないが、血が流れないに越したことはない。赤ワインは潰れたトマトと並んでよく血にたとえられるが、俺は血生臭いのは苦手である。ホラー映画とかも超苦手だし。だから血が出ない石化を選ぶんだね? ってやかましいわ!
「どんだけすごくても俺には意味ないんですけどね。なんせほら、甘くないと飲めないから!」
「確かに。余は辛口のワインばかり好んで飲んでおるからな。甘口のワインも飲めなくはないが、どちらかと言うと断然辛口派だ」
「辛口ワインねえ。何度か飲みましたけど、どうにも苦手なんですよね。辛いのも渋いのも酸っぱいのも苦手。さすがにしょっぱいワインにはまだ出会ってませんけど」
「嫌がるのを無理強いするつもりはない。本当に美味い辛口ワインを取り出したとて、それがそなたの口に合うか否かは別の話。今宵はそなたのために帝国傘下の国々より献上された選りすぐりの極上甘口ワインを楽しませてやろうぞ! さあ我が甘露に溺れるがよい!」
「甘露に溺れるっていうか、甘露で溺れて豚の甘露煮になりそう」
イグニス様はゴールドなんちゃらかんちゃらレクイエムってやたら長い名前のワインの瓶を持ち出し、ふたりで薄暗い地下室を出る。俺たちが戻ってくると、王宮の人に頼んで軽食を用意してもらっていたバージルが驚きに目を丸くした。
「お帰りなさい。お早いお戻りで。てっきり2、3時間は出てこないもんかと」
「長々と語らうのも悪くはないが、どうせ語らいを楽しむなら飲みながら楽しもうと思ってな!」
「そいつはまあ、正解でしょうね」
あんたの相手をするのは素面じゃ大変そうだもんな、と言葉でなく表情で語るバージル。わりと不敬だが、イグニス様は笑って流した。
「来るがいい! 貴様も相伴に与るを許す!」
「いいんですかい? そいつは御馳走様です!」
「ついでに極上の接待要員も……冗談だ。そのような顔をしてくれるな」
わりとガチめの睨みを利かせると、肩を竦めるイグニス様。そんなあ、折角の帝国美女軍団の波状攻撃に溺れるチャンスなのに、と露骨にガッカリするバージル。英雄色と酒をなんて言うが、男だけで飲んでも退屈だから女を呼ぼう、とか言い出す奴とは絶対美味い酒を飲めないと思う俺。今時の若者を舐めるなよ。軽率に手を出したら10年後20年後に不同意性交云々言い出されて一方的に起訴されて多額の賠償金や停職処分ですべてを失いかねないから生涯童貞のままの方が安全でいい、という共通認識を持ってる草食男子を超越した絶食断食世代やぞ。そりゃ少子高齢化にもなるわ。逆にそんな時代にガンガン女好きを公言してるバージルはすごいな。逆に大物かもしれん。
「イグニス様もバージルも、なんだっていい歳こいて色ボケが治らないんですかね?」
「そりゃあ坊ちゃん、突っ込むだけ野暮ってもんですぜ。俺は60過ぎの爺さんになっても永遠に鼻の下伸ばしますよ」
「なあに、成人を過ぎてようやく酒の味を覚えたのだ。いずれ色を知る時も来よう?」
くっくっく、とふたりで顔を見合わせて悪い顔をする黒獅子とハゲ親父。天上天下唯我独尊男と少年のハートを忘れない引退した元冒険者の板挟みになりながら、俺はハリウッド映画よろしく酒瓶でぶん殴ってやったら色ボケが治るだろうか、と深々ため息を吐くのだった。





