第384話 黒と金のマリアージュ
今回の事件を順番に振り返ってみよう。まず犯人は会長のグラスに紅紫鈴蘭から抽出した毒液を塗布し、彼が死ぬことはないにしても苦しむよう仕向けた。
会長があらかじめ秘蔵の酒を振る舞う話は事前に厨房、並びに今夜の料理の一切を手配したDr.ヘルマン・ヴァインに話が通っていたため、酒瓶はクーラーに、グラスは晩餐会が始まる前にきちんとカートに並べてその上から清潔な布をかぶせられた状態で厨房の隅に準備され置かれており、誰でも近付ける状態ではあったらしい。ただ厨房には料理人たちがいたし、給仕らもちょくちょく出入りするため、わざわざ誰かが白い布を捲って何か細工をしていれば他の誰かが気付いただろう、というのが彼らの証言による見解だ。
昼前になると、続々とグルメマスターズの会員とその同伴者が午餐会のためホテルのレストランに集まり、予定の時刻になったため月一の定例会食が始まった。が、件の酒を振る舞うのは遅刻癖のある音楽家のMr.マカロニが到着してからにしようとMr.バクスターに言われた老給仕ライベントスはそれを承知。この時点で彼は、不備がないか最後の確認をするためにカートに近付き、白い布を捲って確認作業をしたらしい。毒を仕込むには絶好のチャンスだ。
やがていつものように遅れてやってきたMr.マカロニがまさかの現役の皇帝陛下であるイグニス・マーマイトなんて歩く超劇物を連れてきやがったせいで、秘蔵の酒どころではない大問題に直面する羽目になったが、幸いにもそれらの問題は陛下の恐るべきコミュ力ですぐに解決。
今最もHOTな覇権国家のCOOLな皇帝陛下相手に美食ギルドのギルドマスターとしての面子を見せねばと張りきったMr.バクスターから指示を受けた老給仕ライベントスは、ホテルの地下にあるクーラーで冷やされていた件の酒瓶を持ち出してきてカートに載せ、かぶせられていた白い布をどかし、ホールに運んできた。
そこで彼は皆が見ている前で栓を抜き、グラスに注ぎ、それを配って回った。注ぐ順番も配る順番もいつも通りの一般的な貴族社会での礼儀作法に則ったものであり、もし仮に犯人がその習慣を知っていたのならそれを利用して会長のグラスだけに毒を仕込むこともできただろう。
後は俺が見た通りだ。Mr.バクスターが何も知らずそれを飲んでしまったが、イグニス陛下の迅速な対応と俺の回復魔法のお陰……いや、厳密には盛られていた毒が弱かった上、致死量の半分にも満たない少量であったがために、幸いにも死を免れた、と。ただ、血を吐いて倒れ、気絶する羽目にはなってしまったが、それでも命があっただけマシだ。さすがの俺も、即死じゃできることが限られる。
「此度の事件において重要なのは、『どのように』ではなく『誰が』『何故』事件を起こしたのか、という点だな」
ハウダニット推理において大事なのは、『自分ならどうやるか』の観点から考えることだろう。が、奇妙奇天烈奇想天外なヘンテコトリックならともかく、この程度の事件であればやろうと思えば幾らでも方法を思い付く。少なくともローリエやオリーヴならば、いとも容易く成功させるに違いない。
「何故犯人は毒を盛っておきながら彼を殺さなかったのか。ただの嫌がらせ目的だった? 最初から被害者を狙ったものなのか。被害者は誰でもいいから事件さえ起こせればよかった? 彼を苦しめることで夫人を苦しめたい。ライベントス殿に濡れ衣を着せたい。考えたくはないが、被害者自身による狂言の可能性もある。理由は幾らでも考えられるが、どれだけ推論を述べたところで際限がない」
「グルメマスターズに恨みを持つ者。に金で雇われた者か、或いは共感、同情して協力した者。ただの愉快犯。グルメマスターズに入れず悔しい思いをした者。その存在そのものが気に食わない者。証拠品と照らし合わせてひとつひとつ可能性を排除していき、最後に残った真実を掘り当てるのが探偵の仕事だ。そして世界一の名探偵である余には、既に犯人の目星がついておるぞ」
「なんと! この短時間でもうか」
「ほーん。さすがは名探偵」
「フハハハハ! 素晴らしかろう!」
イグニス陛下自身がギルマスから直々に事件解決の依頼を受けた探偵権限で、容疑者たちに事情聴取をしながら所持品検査並びに軽い身体検査を行ったのだが毒液の入った容器は発見されず。俺たちもシェリーの協力を得てレストランや厨房のあるホテルの1階と地下を隈なく調べ上げたものの、怪しいものは何も出てこなかった。トイレに流してしまったか、もしくは外部協力者に託して持ち出してもらったかぐらいか。犯人が軽い身体検査では発見できない体内のどこか深いところに隠し持っている、という可能性は、シェリーが全員の肉体をスキャンしてくれたお陰でないと断言できる。が、その中でひとつだけ気になる点があった。
ちなみに豚獣人の音楽家マカロニさんがあのおとなしそうな顔とオドオドした言動とは裏腹に、体中にド派手なピアスやタトゥーを結構な数施していたことに驚いてしまったが、それは今回の事件には関係なさそうなのでスルーで。
――
「さて。お集まりの諸君。謎は全て解けた」
「本当ですか!」
「ああ。順を追って話していこう」
事件が解決するまで外には出られません、と閉じ込められていた容疑者たちがいい加減が痺れを切らしつつあったレストラン店内にて。イグニス様はいかにも名探偵らしい芝居がかった口ぶりで、大袈裟に皆の注目を集めてみせた。
「此度のギルドマスター毒殺未遂事件。余の素晴らしき観察眼と類い稀なる洞察力、輝ける虹色の脳細胞により冴え渡る推理力によって犯人が判った。実に容易いことだ」
「おお! それで! 犯人は一体誰なのですか!」
まだ本調子ではないためか、あまり顔色がよろしくないMr.バクスターが興奮した様子で椅子から身を乗り出す。彼の隣に座り、夫の手を握るアンブローシア夫人の顔色もあまりよくない。旦那が毒を盛られたのだから当然だろう。
「犯人は……貴様だ!」
「ッ!」
が、イグニス陛下が指さしたのは、そんなアンブローシア夫人だった。皆の視線が一斉に彼女に集まる。
「な、なんですと!? 何故妻が私を!?」
「でたらめです! 証拠はあるのですか!」
「無論、あるとも。実につまらん事件だった」
「つまらない、事件……?」
夫の手を握り締めた、アンブローシア夫人の細すぎる手がワナワナと震える。その手には、キラリと光る高価そうな指輪の数々。
「ああ。余が関わった中でもぶっちぎりで地味な事件だ。いや、ジャパゾン国の温泉郷で起きた子供の悪戯事件もそうだったが、それとタメを張れるレベルのしょうもない事件だったな。もっとこう、痴情のもつれによる夫婦喧嘩などではなく、余に相応しい国家や世界を揺るがすような陰謀渦巻く世紀の大事件を扱いたいものだ」
ため息と共に、イグニス様はテーブルの上に置かれていた赤ブドウジュースの瓶を開け、空のグラスに血のように赤紫色の液体を注ぐ。それをテーブルに置くと、それからいきなり、渾身の変顔を披露した。
「ブッ!?」
「ちょ!?」
「何をふざけているのですか! こんな時に!」
「落ち着け。無論、意図があってのことだ」
皆から口々に非難されるが、変顔をやめた彼は涼しい顔だ。
「ズルズル引き延ばしても仕方がないから簡潔にまとめるが、夫人は夫への大胆なキスで皆の注目を集めた隙に、仕掛け指輪に隠した毒液を旦那のグラスに数滴垂らしたのだ。ちょうど今余がやったようにな。誰か、今余の顔ではなく手元に注目した者はいるか? テーブルに置かれたグラスを見ていた者は?」
「それは……」
皆が顔を見合わせる。無理もあるまい。いきなりあんな顔をされちゃあ、そっちに意識が向くのも当然だ。加えてテーブルの上には料理の皿や花、名札などの飾りが色々置かれているため、余計に手元は見づらくなっている。
「手品などでも使われる、簡単なミスディレクションだな。夫人はまんまと旦那に毒を盛った。理由は恐らく浮気を繰り返す旦那への制裁。それが嫉妬によるものか憎悪によるものかは知らんが、まあ前者であろう。後者であるならばサクっと毒殺して遺産を分捕ってやった方が早い」
「お待ちください皇帝陛下! それは何かの間違いです!」
「間違いなものか」
蒼白な顔で震える妻を庇うMr.バクスターの抗議を無視してイグニス様がパチンと指を鳴らすと、夫人がその手につけていた指輪のうちのひとつがイグニス様の手の中に瞬間移動した。魔法による転移だ。一歩間違えれば指ごと切断されかねない荒業だが、彼がそんな凡ミスをする筈もなく。彼が手の中の指輪を弄ると、宝石がスライドしてそこから小さな穴が現れた。
「この指輪は中が空洞になっている。調べれば紅紫鈴蘭由来の毒素が検出されるであろう。いわゆる決定的な証拠だ」
貴族や王族の女性が身に着ける装飾品の中には、いざという時に辱めを受ける前に自害するための猛毒を隠しておけるよう細工が施されている代物がある。シェリーのスキャンによってアンブローシア夫人が沢山つけている指輪の中のひとつに奇妙に空洞があったことを知った俺は、恐らくそこに毒薬を隠し持っていたのだろうと推察した。陛下は隠し穴の露出した指輪を弾いて天高く投げ、落下したそれがポチャンとグラスに注がれた赤ブドウジュースの中に落ちる。
「無実を証明したいのならば、余がこれを飲んでも構わんな?」
「へ、陛下! それは危険なのでは!?」
慌てて椅子から立ち上がったのはマカロニさんだ。
「あ、あなた様の身に何かあったら、わ、私が殺されます! いえ! その前に私が責任を感じすぎて、罪悪感で死んでしまうかも! お、お願いですから危険な真似はおやめください!」
「何、致死量には遥か及ばぬ少量の毒が、僅かに残存しているやも判らぬ空き容器を沈めただけのちゃちな代物だ。精々が不味い、舌が痺れる程度で済むであろうさ」
皆が驚きと共に、ワナワナと拳を握り締め俯き震えるアンブローシア夫人と、イグニス様の顔を交互に見つめる。
「ほ、本当なのかアンブローシア!? 君が、私に毒を盛ったのか!?」
「……あなたが。あなたが、悪いんですよ! 私というものがありながら、女遊びを繰り返すから!」
ようやく顔を上げたアンブローシア夫人の顔は、愛憎渦巻く情念に満ち満ちていた。





