第382話 死の午餐会へようこそ!
「あなた!? 嫌ああああ!」
ガシャーン! とグラスの割れる音と共に、旦那が目の前で血を吐きながら床に倒れるのを目撃してしまったアンブローシア夫人から、絹を裂くような悲鳴が上がる。彼女の手からもグラスが落ち、ふたつのグラスが割れ床にガラスの破片と酒が飛び散った。
「全員動くな! ホーク!」
「分かってますって!」
イグニス様の一喝により、狼狽した一同が動きを止める。イグニス様は獣人用の特大ナプキンで口元を覆う即席マスクを作ると、床に倒れて血まみれの口をモゴモゴさせながら悶絶するMr.バクスターに駆け寄り、胸と喉を掻きむしって暴れる彼の体を抱き起こした。俺も同様に子供用のナプキンを顔の下半分に巻き付け、急いでふたりに駆け寄り解毒魔法を施す。
「ホーク・ゴルドの名において命ずる! 光よかの者に癒やしを! 毒なら解毒! 呪いなら呪い返し! それと胃の中にあるもの全部そこにあるゴミ箱の中に転移!」
「あ、あなたたち! 一体どういうつもり!?」
「なんなのだこれは! 何が起きているのだ!」
「何々!? どういうことなの!?」
「まだ判らぬ! だが、誰かがMr.バクスターに毒を飲ませたことは確かなようだ! 全員その場を動くなよ! それと、気分が悪くなった者は即座に申し出るように!」
「気分なら最悪よ!」
「バカね! そういう意味じゃないわよ!」
それまでの和気あいあいとしたムードは一変。誰もが目の前で起こった信じられない出来事に驚き、慌てて自分たちの持っていたグラスをテーブルに置く。もしかしたら自分のグラスにも毒が!? と疑心暗鬼になる者。なんでこんなことに!? と怯える者。わけが解らない! と喚きたてる者。反応は様々だ。
アンブローシア夫人は床の上で旦那が血反吐を吐いてのたうち回ってる姿が余程ショックだったのか、目を見開いてそのか細い両手で口元を覆い、悲鳴を上げることもできずに震えている。
「よし! 容体が安定してきました!」
「よくやったぞホーク! ヘルマン医師! 彼の診察を頼む! 奥方は夫人の介抱を!」
「わ、分かった! 道具がないため簡単なものしかできないが!」
「分かりましたわ!」
「なんなのよもう!? 一体何がどうなってるのよ!?」
「皆の者落ち着け! 幸いにも彼は一命を取り留めた! 動揺する気持ちは解るが、慌てず騒がず次の指示を待つのだ!」
イグニス陛下の有無を言わさぬ一喝に、師匠とヴァイン夫妻以外の全員がビクリと身を竦ませる。
「ライベントス殿。すまぬが急ぎ警察への通報を頼めるだろうか。それと救急馬車の手配を」
「かしこまりました!」
師匠に言われ、老給仕ライベントスが駆けていこうとして。
「ま、待て!」
息も絶え絶えに待ったをかけたのは、他ならぬMr.バクスターだった。解毒の魔法が効いたためか、喉がまだ熱っぽく息苦しそうだが冷静さを取り戻したらしい。彼は血の滲んだ唇を震わせ叫ぶ。
「こんな事件が、ゴフッ! 起きたと知れれば! ハアハア! 輝かしきグルメマスターズの権威に、瑕がつく! ライベントス! 警察はなしだ! 救急もだ! これは命令だぞ!」
「Mr.バクスター! ですが……!」
「うるさい! ゲフッ! 毒がなんだ! フグ毒で死にかけたことも、ガフッ! キノコの毒で死にかけたことも、一度や二度ではないっ! 頼みます、皇帝陛下! 警察は、どうか呼ばないでください!」
Mr.バクスターの文字通り命懸けの熱弁に、場の空気は非常に緊迫した危いものとなった。そりゃそうだろう。楽しい筈の会食が一転して凄惨な殺人事件の現場になりかけたのだから。だがそれ以上に彼のギルドマスターとしての覚悟に胸打たれたのか、はたまた呆れて言葉もなくなったのか、全員が押し黙る。
「諸君、少しよろしいだろうか」
軽いパニック状態に陥りつつあった空気を断ち切ったのは、イグニス様の渋い美声だった。こういう時、イケボの男ってのはずるいもんだ。有無を言わせぬ力強さで、一瞬で混乱した場の空気を呑み込んでしまう。それができなければ皇帝として人の上に立つことは難しかろう。彼は慣れた様子で優雅に周囲を見回す。
「余は国際探偵ライセンスを持っておる。Mr.バクスター。ここは数々の難事件を解決してきた名探偵余に事件解決を一任してみるというのは如何だろうか。少なくとも警察の協力なしに、混乱したままの諸君らの力だけでこの事態を収束する目途は立たんだろう?」
「……」
皆が困惑したように顔を見合わせる中、何かを言おうとしたのはアンブローシア夫人だった。だが、具体的な言葉にできなかったのか数回口をパクパクさせただけで、何を言うでもなく口ごもってしまう。
「案ずるでない。余はきちんと守秘義務とお約束を守るできる探偵ゆえ、配慮には事欠かんとも。如何であろうか、Mr.バクスター」
「感謝致します、皇帝陛下。何卒よろしくお願い致し、ます」
「あなた!?」
「落ち着け! 気を失っただけだ! 呼吸も脈もある! 問題はない!」
自分が殺されかけたというのに剛毅なものだ。イグニス様から妥協案を提示され、それを呑んだことで気が緩んだのか、Mr.バクスターはガックリと気絶してしまった。
その後混乱の中、ヘルマン医師の診察により俺の解毒魔法のお陰で彼の命には別状がないことが伝えられ、それから彼の協力を得て取り急ぎ毒物検査を行った結果、毒物が検出されたのはMr.バクスターのグラスからだけで、他のグラスや酒瓶、コルク等からは一切検出されなかったことが皆に告げられる。
「さて。ギルドマスターから直々に依頼を受けた以上、余の指示には従ってもらう。まずは全員、所持品検査だ! この期に及んでよもや嫌だなどとは言うまいな?」
反論の声は、どこからも上がらなかった。
――
「へ、陛下! すみません! まさかこんなことになるとは!」
「落ち着けマカロニ。そなたのせいではない。それに、余は知っての通り世界一の名探偵であるぞ? 斯様な事件に巻き込まれるなど日常茶飯事よ。この程度の事件、すぐに解決してやろうとも! うろたえずに期待して待つがよい」
「逆説的に、探偵が来たせいで事件が起きたのでは?」
「その言葉、そっくりそのままお返ししてもよいのだがな。卵が先か鶏が先か。いずれにせよ未遂とはいえ殺人事件が起きてしまった以上、解決に乗り出さねば国家公認の国際探偵ライセンスが泣くというもの! さあいつもの如くに行くぞ、我が助手よ!」
「協力するのは吝かじゃありませんけどお!」
やはり最後は国家権力。国家権力で問答無用のゴリ押し戦法を取るのが一番頭のいい効率的なやり方なのか。なんであんな子供が、という視線を浴びつつ、俺はまたしてもイグニス様と共に事件解決に乗り出すのであった。
「我もやるぞ」
「うん?」
「弟子だけで仲よくして、師匠が仲間ハズレでは寂しいではないか。我も仲間に入れるべきだ」
師匠はそう言って、イグニス様に引っ立てられそうになった俺をひょいと両手で猫でも抱き上げるみたいに持ち上げた。身長3mの師匠に抱き上げられると身長2m50cmのイグニス様を見下ろせる形になるのはなかなかに新鮮だ。
「では、3人で頑張りましょうか」
「うむ! 黒金探偵団、結成だ!」
「「おー!」」
そんなわけで、今回は3人で捜査することになった。周囲の『ほんとに何がどうなってるの?』という困惑した空気は些かアレだが、そこはほら、華麗に事件を解決すればなんだかんだで終わりよければ全てよしの精神でチャラになるだろうからたぶん大丈夫、の筈。今のところはまだ死人も出てないし?





