第370話 ホークのいない深夜
ゴルド邸の人間にはお祭り好きが多い。自他共に認めるお祭り野郎のクレソンとバージルは言わずもがな。カガチヒコも故郷にいた頃は夏祭りを楽しんでいたし、ホークも暑いのは嫌いだが豚さん柄の可愛い浴衣を着て花火大会に行くのは大好きだ。イーグルにとって祭り時は稼ぎ時だし、アリーとマリーもオレガノも、街で行われるお祭りには喜んで行く。
「オラオラオラァ! そう簡単にくたばってくれるなよォ!」
夕食後。風呂に入る前にエアコン魔道具の利いた部屋でダラダラゴロゴロしていたところをオリーヴから『悪党相手に存分に暴れていいと言ったら来るか?』と誘われ一も二もなく転移魔法ですっ飛んで来たクレソンは、高級レストランを包囲する悪漢どもを雑草でも刈り取るように蹴散らし始めた。
喧嘩と乱闘は彼の大好物だ。まるでお祭りではしゃぐ子供のように、気合いを入れて暴れ回る。独り暴れ神輿よろしく無造作に降りかかる猛烈な暴威の雷嵐に、悪漢どもは悪態を吐きながらぶっ飛ばされるよりない。
「なんだあいつは!?」
「相手はたかが獣人1匹だろうが! 囲んで殺せ!」
「無理です! 突破されます!」
地面を蹴って壁を蹴って空中を蹴って、掴んで殴って蹴って噛んで砕いて。圧し折って叩き潰して捻り潰して握り潰して縊り殺して。存分に体を動かしていい機会は身内とやる鍛錬以外はあまりないため、クレソンはノリノリで大暴れしながら何台も停められていた敵の馬車さえも粉砕して雇用主の敵を粉砕していく。なお罪のないお馬さんたちは無事である。馬を殺すとうるさいのがいるからだ。
飛び散る返り血さえも一瞬で蒸発させる悪鬼の如き猛獣に、この場にいるという致命的大失敗を犯してしまった悪漢たちは悲鳴を上げる間もなく軽々と吹き飛ばされていく。ゴルド商会にだけは絶対に手を出すな、という暗黙の了解、この国で悪人が生きていくための不文律を無視した末路がコレなのだ、と彼らは高すぎる勉強代を支払わされる羽目になった。
「撃て撃て撃てえ! 近付かせるな! 撃ち殺せえ!」
「遅ェ! 弾幕ばら撒くならその100倍は撃ってこいや!」
四方八方から降り注ぐ銃弾もなんのその。雷と同等の速度で縦横無尽に駆け回る猛獣が致死量の紫電を撒き散らしながら空中で弾丸を鷲掴みにし、力士が塩でも撒くように握り締めたそれらを空中にぶん投げればバラバラと銃弾の雨が降り注ぐ。とはいえただ落ちてくるだけで殺傷能力はないのだが、相手からすればその所業自体が十分な恐怖である。
「あー! いい汗掻いたぜ! やっぱクソあっちい夏は汗だくになるまで体動かして、その後風呂でサッパリするのが最高だよな!」
「お疲れさん」
「おうオリーヴ! で、こいつらはなんなんだ?」
「それを今から調べるのが俺の仕事だ」
ゴトン、とクズ鉄と化した武装馬車の残骸が崩落し、解放された馬たちが夜の街に消えていく。その場に立っている者がクレソンだけになったところで、店の中からオリーヴが姿を現した。
彼は死屍累々たる惨状を無感動に一瞥し、クレソンが首根っこを鷲掴みにして引きずっているリーダー格だった気絶した男の頭に手をかざす。闇の魔法で相手の記憶や心を読み取るのはホークの得意技だが、ローリエやオリーヴにとってもこの程度は朝飯前だ。拷問もとい尋問にかけるよりも、気絶させて一方的に記憶を読み取った方が手っ取り早い。意識がなければ精神防壁も張り辛いから猶更である。
「なるほど。概ね理解した」
「次はどこのどいつをぶちのめせばいいんだ?」
「それを決めるのは旦那様であって、俺じゃない」
「じゃあ、さっさと訊いてこいよ」
「言われるまでもないさ」
ドサリ、と地面に転がされた悪漢どものリーダーから興味を失くしたふたりは、冷房の利いた店内に入っていく。遠くから通報を受けて駆け付けてくるであろう警察の馬車が到着するのも時間の問題だが、その頃にはもうイーグルたちの姿はどこにも影も形もないであろうことは、言うまでもあるまい。
――
「自主的に残業か? 精が出るな、オスカー」
「これは社長」
ゴルド商会本店。その廊下。節電と経費節約のためにやや薄暗い廊下の途中で、幹部社員のオスカーはとっくに帰宅した筈のイーグル・ゴルドの存在に気付き、恭しく一礼した。
彼は20年以上前からゴルド商会で働く古参の幹部役員であり、イーグルにとっては馴染みのある人物である。とはいえ友人付き合いと呼べるほどのプライベートなものはなく、あくまで社長と幹部役員としての間柄を上回る繋がりはない。
「オスカー、お前はこの26年間よく働いてくれた。その働きに見合うだけの給金は支給してきたつもりだ。横領も着服も誤魔化しもしないその誠実な働きぶりは、評価に値する」
「ええ。社長にはとてもよくして頂いておりますよ」
「だが、お前はワシの信頼を裏切った。よからぬ連中と手を組み、エアリアルバイクの利権を盗み出そうとした。その報いを受ける前に、理由を白状するつもりはあるか?」
「"あの"社長が随分とお優しくなられたことで。長年我が社のために尽くしてきた私めに、情けをかけて頂けるのですかな?」
「いや、再発防止のための参考にしたいだけだ。社員の抱える不満を解消するのもいい経営者の嗜みらしい」
色白で小柄な白髪の中年男と、色黒で恰幅のよい大柄な中年男が笑顔で睨み合う。ホークが経営に口出しするようになってからのゴルド商会は、やむを得ない場合を除いての残業を徹底的によしとしないクリーンな企業であるが故に、定時後に会社にいるのは夜勤の人間と夜警の人間だけだ。
つまりは、それ以外の人間がこんな夜遅くに会社にいること自体があり得ない。襲撃者からそれを命じた者の元へ。更にその者に命令を与えた者の元へ。オリーヴが迅速かつ丁寧な仕事ぶりで全ての情報を集め終え、黒幕であるオスカーの存在を突き止めるまでに左程時間はかからなかった。
「……悪党どもに家族を人質に取られてやむなく、と申せば社長は信じてくださいますか?」
「それが真実であればな」
イーグルの目が細められる。息子にはソックリそのまま受け継がれたが、娘には受け継がれなかった碧眼。砂漠の晴れた青空を映し出したように、濃いブルーの瞳が部下を射貫く。
オスカーはそんな上司の視線から逃れるように、懐から何かを取り出した。それは小瓶だ。急いでフタを開けようとしたが、彼がフタに指をかけるより早く、1発の銃声が鳴り響く。呆然とする彼の手から弾き飛ばされ、空中で破砕した小瓶。中身の液体が飛び散り、ガラスの破片と共に床に散乱する。
「ぎゃあ!?」
「逃さん」
自害用の毒を飲むことに失敗し、逃げようとしたオスカーの身柄を拘束したのは、暗がりから飛び出してきた一匹の黒毛の山犬だった。オリーヴは彼を転ばせ床に抑え付けると、その腕をねじり上げて躊躇なく折る。両腕の次は両脚を。無力化に成功した彼を床に転がし、オリーヴは立ち上がる。
「ひい!? ひいいい!? 痛い、痛いいいい!」
「やれやれ。これでも重用してきたつもりなのだがな」
「昔はそれでよかったのかもしれませんが、人は心変わりする生き物です。彼にも心境の変化があったのかもしれません」
「お前たちもいずれそうならんといいが」
「この世に絶対はありませんが、俺もそう願いますよ」
人は嘘を吐く生き物だ。それは生きていく上で必要な嘘も含む。たとえば社交辞令や愛想笑い。イーグルは手の平に魔力を込め、くぐもった悲鳴を上げるオスカーの額に手をかざす。
どうやらオスカーはホークのことが大嫌いらしい。商品開発部の部長と一緒になって仲よく僕の考えた最強のデブ飯やデブスイーツを考案してはしゃいでいる姿がただ遊んでいるだけのようで気に食わなかったし、弱者から徹底して搾取する旧来のやり口、即ち私利私欲に塗れた悪徳商人として、犯罪スレスレの悪辣な手段でのし上がってきたイーグルが推奨していたブラック企業としての在り方に諂い、セクハラ三昧パワハラ三昧で甘い汁を啜ってきた彼は、ホークがゴルド商会の経営を徹底的にホワイト化させていくことに不満を覚えた。
要するに、自分さえよければそれでいい、他人を利用して部下を踏み台にして、自分だけが幸せであればそれでいい、というやり方が骨の髄まで染み付いてしまった彼は、『いやさすがにそれはダメでしょ。これからはそういうの赦されないからね?』と主張する若社長と反りが合わなかったのだ。
このままイーグルが会社を息子に引き継がせた先の未来で、綺麗事ばかり抜かすホークと仲よくやっていくつもりがなかった彼は、早めの退職金をガッポリせしめんとゴルド商会を狙う悪党どもの計画した悪事に加担した。それはホークとイーグルへのあてつけも兼ねていたのかもしれない。
なお人質に取られた家族はいないようだ。奥さんには20年以上前に愛想を尽かされて離婚。子供とは教育に悪いからと面会謝絶状態。仕事しか生き甲斐のない孤独な晩年を過ごしていたようだが、それに関しては自業自得なので同情には値しない。加えてそれが原因で部下に八つ当たりし、憂さ晴らしのためにパワハラ・モラハラ・セクハラ三昧だったとくれば猶更だ。
「ワシが嫌いだからワシを裏切る、というのも赦せんが、ホークちゃんが嫌いだからゴルド商会を裏切る、というのはもっと赦せん。どっちにしろ赦さんことに変わりはないが」
ゴルド商会がマーマイト帝国から仕入れた空飛ぶバイクはブランストン王国軍に優先的に流すことで既に話がついている。それを横取りされ納品できませんでした、ではゴルド商会の面目丸潰れだ。今回オスカーを抱き込んで攻撃を仕掛けてきた連中の目的もそれだろう。仕入れようとした大口商品を横から強奪し、同時にゴルド商会の面子を潰す。
後は盗んだ品を悪用するなり転売するなり。或いは今度は仲間割れを起こして潰し合いになる可能性もあるが、どちらにせよ杞憂である。何故なら今頃、連中のアジトにはゴルド商会警備部という名の強力無比な私兵を率いたクレソンが、全てを叩き潰すべく嬉々として乗り込んでいる頃合いだからだ。
「莫大な退職金を棒に振ったな、オスカー。妙な欲を出さず、定年までおとなしくしていれば、人並み以上の老後を送れたものを」
「わ、笑わせるな! あんただって同罪じゃないか! 一体どれだけの人間があんたのせいで不幸になったと思う!? それなのに今更こんなっ! 私はあんたの真似をしてきただけだっ! 裁かれるべきはあんたもだ! この偽善者め!」
「偽善? 違うな。ワシがホークちゃんの望むがままにホワイト経営を是とする最大の理由はあくまで可愛い可愛いホークちゃんに嫌われぬよう、愛されるよう、優しく理解ある最高のパパであり続けることだけだ。それに伴う風評の改善は存分に利用させてもらうが、善悪の実所在に興味はない。虎の威を借りてなお浅はかな猿真似しかできぬ小悪党風情には理解できんだろうがな」
あまりにも平然とバッサリ切り捨てたイーグルに、絶句するよりないオスカー。呆然とする彼に猿轡を噛ませ、『旦那様らしい』と呆れ顔のオリーヴ。宇宙一の親バカ親の称号は、伊達ではないのである。





