第337話 湯煙温泉殺人事件2?
「「うわあああああ⁉」」
夜の旅館に響き渡る悲鳴。時刻は夜の9時すぎぐらいだろうか。向かっていた洞窟風呂の方から聞こえてきた野太い悲鳴に、俺は早速かい、とため息を漏らす。
「し、し、し、死体が!」
「男湯に死体が浮かんでやがった!」
バスタオルを腰に巻いただけの、酔っ払ってて赤いんだか青褪めてるんだか、そもそも元の肌が緑だからよく分からんオーク族の爺さんふたりが男湯の暖簾の向こうから飛び出してきたので、とりあえず落ち着け、せめてパンツぐらい穿け、と窘めてやる。
「それで? 死体とは穏やかじゃないですね」
「とにかく、救急馬車!」
「警察もだ! って、おい坊主! そっちに行っちゃいかん!」
廊下で半裸で騒ぎ立てる酔客ふたりに、なんだなんだと周囲の人間たちが集まってくる。俺は爺さんたちに呼び止められるのも構わず、洞窟風呂の男湯に突貫した。が。
「死体なんてどこにもありませんが?」
「んだとお!?」
山肌の一部を刳り貫いて造ったのか、はたまた天然の洞穴を利用したのかは知らないが、高さ3mぐらいの見事な洞窟を見上げながら浸かることのできる洞窟温泉には、死体なんてどこにもなかった。
念のため奥の方にも行ってみたが、奥の方にも洗い場の方にも死体どころか人影ひとつない。重力魔法で半透明なお湯を全て空中に巻き上げてみても、湯船の底に転がっていたのは誰かが落としていったと思しき手拭いだけだ。
「そんなバカな! さっきは確かにここに死体が浮かんでたんだぜ!?」
「そうだそうだ!」
酔ったオーク族のおっさんふたりは入り口付近の湯船を指さしながら、緑の赤ら顔で喚き立てる。
「そもそも、なんでそこまでハッキリ『死体』だと断言できるんです? 胸に刃物が刺さってたとか、頭から血でも流してたとか?」
「なんでって、そりゃあ……」
「……そういや、なんでだ?」
その後しばらく爺さんふたりから話を聴こうとしたのだが、どうにも要領を得ない。被害者は人間だったのか獣人だったのか。何歳ぐらいの男なのか。湯船に浮かんでいたのなら、仰向けだったのかうつ伏せだったのか。目立った外傷などはあったか。
いずれの質問にも、帰ってくるのは『わかんねえ』『慌ててたからよく覚えてねえ』とあやふやな答えが返ってくるばかりで、騒ぎを聞きつけて集まった他の宿泊客たちは、あっという間に興醒めした顔で解散してしまった。
「おっかしいなあ、確かに見たんだが」
「そうそう。風呂から出ようとしたら、死体がこう、プカプカーっとな」
「酒に酔って幻覚でも見ちまったんかねえ?」
「巻き込んじまって悪かったな、坊主」
半分酔いの覚めた顔付きの爺さんふたりと3人で洞窟温泉に浸かり、『なんだったんだ一体』と3人揃って首を傾げる。酔っ払いの戯言、と流してしまってもよいのだが、俺の脳裏に浮かぶのはスモモと呼ばれていたあの狐耳ののっぺらぼう幼女の顔だ。
若女将によれば宿泊客に悪戯ばかりして迷惑をかけているというぐらいだから、この2人に幻覚魔法でもかけて騒ぎを起こさせでもしたのだろうか。だとしたら悪趣味極まりないな。
その後しばらく待ってみたが死体が再び姿を現すことはなく、俺は『ビビらせちまった詫びに』とオークの爺さんたちにフルーツ牛乳を奢ってもらい、スベスベ美肌のホカホカ状態で脱衣所を出た。
「なんだったのかしらアレ」
「気持ち悪うい」
「うん?」
すると、ちょうど女湯の暖簾から出てきた豊満なウサギ獣人の女性2人組と鉢合わせになる。女湯の方でも何かあったのだろうか、と思い歩きながら2人の会話に耳をそばだてていると、どうやら女湯の方ではどこからともなく赤ん坊の泣き声が聴こえてきたらしい。
洞窟温泉に向かう廊下にはのっぺらぼう、男湯には死体の幻覚、女湯には赤ん坊の泣き声の幻聴ねえ?
なんとはなしに何が起きているのかを察しながら部屋に戻ると、そこにはえらく憮然とした表情のイグニス陛下と渋い顔のクレソンが布団の上で胡坐を掻いていた。
「どうしたんですかふたりとも。そんな顔して」
「どうしたもこうしたもんねえよ」
「酔い覚ましにあったかい茶でもと思い、ルームサービスを注文したのだがな。保温ポットの中に茶ではなく、温められためんつゆが入っていたのだ」
「わーお、スゲー間違い」
「取り替えてもらうよう従業員に苦情を言ったんですが、しばらく経つのにまだ戻ってこねえんで」
ビルベリさんがため息を吐いた、その時である。
「キャアアアア!?」
「うん?」
「なんだ? 早速誰かが死体でも見付けたか?」
「それはさっき洞窟温泉の方で……って、楽しそうに縁起でもないこと言うんじゃありません」
また悲鳴か! 今度は甲高い女の悲鳴だ。「行くぞホーク!」と俺を小脇に抱え、陛下が客室を出て悲鳴のした方へ走っていくと、そこには青褪めた顔の若い男女が浴衣姿で廊下に立っていた。
「窓に! 窓に気味の悪いバケモノが!」
「のっぺりした、魚みたいな魔物が!」
「わあああああ!?」
息つく間もなくまた悲鳴。
「て、て、て、手が! 天井から幾つもの白い手が!?」
「わーん!」
「怖いよー!」
部屋の扉を蹴破るように開けて、転がり出てくる浴衣姿の家族連れ。
「うるさいわねー。なんの騒ぎよ?」
「なんだなんだ、一体全体どうしたというのだ」
騒ぎを聞きつけ、他の宿泊客たちも廊下に出てくる。どうやらこの宿全体で、何か不思議な異変が起こっているようだ。
窓に張り付く半魚人っぽいバケモノに、天井から伸びてくる白い手。『魔道具冷蔵庫の中に人間の生首が!』と青褪めている熟年女性や、『寝ようと思ったら布団が血まみれだ!』と騒ぐ酔っ払いのおっさんなど、被害は見境なく拡大しているようだ。
「どうなってやがんだこの旅館は!」
「とにかく地元の警察に通報しましょう!」
火の着いたような騒ぎになる客たちの悲鳴や怒声を聞き付け駆け付けてきた旅館の従業員たちも、大勢の客らに集団で詰め寄られタジタジになっているようだ。
「ええい鎮まれ!! 鎮まらんかあ!!」
だが、そんな彼らの大騒ぎもイグニス陛下の一喝で速やかに鎮圧された。有無を言わせぬ帝王の覇気に威圧され、冷静さを失い声を荒げていた宿泊客も従業員も、全員が身を竦ませて押し黙る。
「よいか諸君! この短時間でこれだけの騒ぎが一度に連続して起きたのだ! そこには何者かの作為的な思惑があると考えるのが自然であろう!」
「何者かって誰だよ!?」
「それはまだ分からん!」
自信満々にふんぞり返って、腕組みしながら力強く断言するイグニス様に静まり返っていた皆が盛大にずっこける。だが脱力した拍子に気も抜けたのか、緊張の糸は切れたようだ。それを狙ってやっているのだとしたら大したものだと思う。少なくとも集団パニック状態は鎮圧されたのだから。
「これは一体、なんの騒ぎですか!」
そうこうしているうちに、大女将であるサンザシさんと女将のコケモモさんが駆け付けてきた。
「それはこちらが訊きたいものだな。大女将、一体この旅館はどうなっておるのだ!」
陛下の問いはこの場にいる、怪異騒動に巻き込まれた宿泊客全員の総意だった。





