第25話 濁った眼をした女嫌いの金髪子豚
「全ての始まりとなる零番目の属性、無属性。そして、無属性魔法の適合者かもしれないお兄様、ヴァニティ・ゼロ。こうなると、ゼロ公爵家の歴史そのものが俄然怪しくなりますわね」
「偶然にしてはできすぎている気がしないでもないからね」
「できすぎた偶然や都合のいい奇跡を、世間では運命と呼ぶらしいですよ」
「運命、ですか」
「ではこうして僕達が同い年に生まれ、学院で巡り合ったこともまた、運命と呼べるのかもしれないね?」
「ご冗談を。お三方はともかく、俺は運命なんてものに選ばれる器じゃありませんよ」
「もう、ホーク君はまたすぐそうやって自分を悪く言う」
「事実を客観視しているだけです」
ピクルス・ブランストンはこの国の第三王子である。それ故、幼い頃から綺麗なものも醜いものも、人も物も沢山見て育った。王族に生まれたこと、三番目の男児として生まれたこと。妾である母が第一夫人たる王妃と仲が悪いことも、ふたりの兄達とギクシャクしていることも、様々な要素が複雑に入り混じってそうなっていることを、彼は十歳にして理解していた。
王族、貴族、王宮、学院。ありとあらゆるしがらみだらけの窮屈な人生に、息苦しさを感じないと言えば嘘になる。だからだろうか。ホーク・ゴルドという友人との付き合いは、気楽で心地よかった。彼は男爵家の令嬢と婚約こそしているものの、平民であり、商人である。
しかしながら、父親が多額の寄付金を弾んだことと、裏で手を回したこと。そして将来的に男爵家に婿入りするのであれば、という理由で貴族の子供達が集められたA組に配属されたことにより、入学当初はかなり悪目立ちしてしまっていたものだ。いわく、爵位を金で買った卑しい成り上がり。伝統ある王立学院の看板に泥を塗った恥知らず。
ピクルスも、ゴルド商会にまつわる悪評はよく聞かされていた。社長のイーグル・ゴルドは傲慢で、陰湿で、金さえあればこの世の全てを思い通りにできると思っている、尊大な卑劣漢。そんな悪意を広めている貴族達はしかし、いずれもゴルド商会に借金をしていたり、なんらかの担保と引き替えに融資を受けている者達が圧倒的に多かったのである。
つまりは、たかだか平民の商人ごときに金を借りなければならず、しかも頭を下げなければならないという屈辱を、悪評を広め陰口を叩くことで発散していただけの、恩知らずの集まりなのだ。当然その矛先は、社長の息子であるホーク自身にも向けられる。愚かで、浅はかで、傲慢で、女好きの、黒豚などと呼ばれる父親ソックリの醜悪な子豚。
くだらない誹謗中傷だ、と思いつつも、しかしまあ、そんなにも父親に甘やかされ、溺愛されて育った子供であるならば、人格は歪むだろうな、とも考えていた。だから実際に本人に出会った時は、なんとも驚かされたものだ。
『ねえ、君達何をしているの?』
目立たず、主張せず、彼は心底どうでもよさそうに、冷めた眼差しで周囲を見下ろしていた。その冷ややかな眼差しには見覚えがあった。鏡に映る、自分の目によく似ていたからだ。だからだろうか。貴族の子供達に呼び出され、囲まれて袋叩きにされそうな彼を、助けてしまったのは。
第三王子の取る態度としては、悪手だ。貴族の子供達を取りまとめ、上に立つ者として彼らを従わせる。そのために、彼をA組の共通の敵として、結束するための踏み台として利用することもできた。だが、そんなくだらない手段を選ぶのは、愚か者だと彼は思った。
「ねえホーク君、僕達、もう友達だよね?」
「一介の平民にはあまりに畏れ多いお言葉にございます、殿下」
「本音は?」
「ただでさえ面倒な立場に置かれている俺を、これ以上面倒事に巻き込みかねない不要な発言はお控え頂けると心底ありがたく」
「あはははは!やっぱり僕、君みたいな友達がいてくれると嬉しいなあ」
気兼ねなく、肩の力を抜いて、本音を言い合える本当の友達。取り巻きとは違う、自分に敬意を払いながらも、決して媚びることのない貴重な相手。
「おふたりとも、仲がよろしいのは大変結構ですけれど、今は無属性についてもう少し真剣にお考えくださらない?」
「ああ、その件についてひとつ考えていたことがあるのですが」
「なんでしょう?」
「無が有る、って、一体どういう状態なのでしょうね?」
「無が、有る?」
「ええ。何もないからこその無であるはずなのに、その無がヴァン様の中に有るというのはなかなかに哲学的な考えだと思いませんか?」
「言われてみれば、確かに」
「少し奇妙な感覚ですわね」
「属性魔法の資質を鍛える場合、体内に取り込んだエレメントをその属性に近しいものに馴染ませるのがよいと言われていることは既にご存じのことと思いますが」
風属性なら風を浴びる。水属性ならば海や川で泳いだり、雨を浴びたりする。火属性ならば、焚火の傍で瞑想を行う。雷属性ならば、雷雨の日に屋外で瞑想を行う等々、様々だ。
「ヴァン様は自分自身には魔法の適性が無いものと思い込んでいらっしゃる。だからこそ体を鍛え、魔法無しでも戦えるような強さを求めていらっしゃるわけで。しかし、自身のエレメントを無駄なもの、意味の無いもの、有りもしないものと強く思い込み続けることこそが」
「無属性魔法の適合者としては、何よりの訓練になり得る?」
「あまりに斬新すぎる発想だ……驚いたよ」
「あくまでもただの仮説ですがね。ドーナツの穴はドーナツなしでは成立し得ない。バームクーヘンの穴も同様です。無を無たらしめるものは何か?あるはずなのに、無い。何も無いがあるというのは実に哲学的で、論理的に矛盾している。実に興味深いと思いませんか?」
クスクス笑いながら、お茶請けにとローザが持参した、今王都で人気の洋菓子店のドーナツを手に取り、ふたつに割って、片方を頬張るホーク。
「さて、この状態で、ドーナツの穴はどうなってしまっているのでしょうか?半分になった?穴ではなくなった以上、穴は消えて無くなってしまった?おふたりはどう思いますか?」
なんとも度し難い存在だ、と、ローザ・ゼロは目の前の級友を見てしみじみ思う。
初めは、忸怩たる思いでいた。最愛の兄があのようなことになってしまったというのに、何故彼のような平民がA組に入学してきたのだ、と。一種の逆恨みのような悪感情と共に、彼を偏見の目で見ていたことは、恥ずかしながら認めざるを得ない。
だが、婚約者たるピクルス王子が彼を面白い子だと言って接近し、あきらかに嫌がっている様子の彼に付き纏い始めた頃から、何故そこまで、という疑問を抱き、彼の人間的本質がどのようなものであるかを、自分の目で見極めてやろう、と接近したのだが。
『まあ、伝説の十二番目の属性だとか、本来ならば存在しないはずの零番目の属性だとか、色々言われているらしいですからね。そう簡単には見付からないのでは?』
だが、そんな彼の口から何気なくこぼれた発言こそが、彼女にとって世界で一番大切な兄を救うやもしれないきっかけになったのだから、人生とは不思議なものだ。偏見や悪意の色眼鏡を外して見れば、彼は実に独創的で、個性的な視座を持つ興味深い人間だった。
無属性魔法に対する考え方もそうだ。ピクルスやローザが思いもよらなかった観点から、無というものの存在を真剣に考察している。兄の体内に無が有るとは一体どういうことなのか。そんな根本的なことにさえ、自分は考えも及ばなかったというのに。
彼の目には一体、この世界は、自分達は、どのように映っているのだろう。
『……いいでしょう、ビジネスのお時間です』
『ヴァン様はあなた様のことを非常に気にしていらっしゃいましたよ。感謝と申しわけなさとがおおよそ6対4ぐらいで入り混じっているような感じでしたが。ああ、そうそう、ヴァン様よりローザ様宛てのお手紙をお預りしております。お返事を出したいのであればなるべくお早めに』
『女神教の王国支部長と話をつけて参りましたので、炊き出しの一件に関しては恐らく問題ないかと。彼が来なければ炊き出しそのものが中止になり、それで損をするのは下町やスラム街の住人達だということをお伝えしておきましたので、遠慮して来ない、といった事態は防げるかと』
彼は驚くほど大胆な態度と綿密な計画をもってして、ローザが期待していた以上の成果を上げてくれた。なるほど、これはピクルス様が興味を惹かれるわけだ。そして何より彼は、ローザ自身を一度もいやらしい目で見ないのである。下は同年代から上は六十すぎの狒々ジジイまで、ありとあらゆる世代の男達から情欲にまみれたいやらしい、汚らわしい視線をぶつけられることが多く、男性の性欲というものにほとほとウンザリさせられていたローザにとっては、衝撃だった。
自分にはピクルス様という婚約者が、彼にはサニー・ゴールドバーグという婚約者がいるからであろうか、とも思ったが、婚約者がいても露骨にいやらしい視線をぶつけてくるような不躾な男は星の数ほどいる。中には、王子様に振られたら愛人にしてやるから言え、などと下品で下劣な冗談を飛ばしてくる、貴族とは到底思えないような卑しい言葉をぶつけてきた男もいた。
それに、だ。彼と婚約しているサニーの方は満更でもなさそうな好意を彼に寄せているようであるというのに、肝心のホーク自身はいっそ冷酷さすら感じさせるほど、自分自身に対してドライなのだ。まるで、『自分が他人から愛されることなどあり得ない。絶対にあり得るはずがない』とでも頑なに思い込んでいるかのような、ゾっとさせられてしまうほどに昏い目は、恐怖すら感じさせる。あまりにも低すぎる自己評価と自己肯定感は、いっそ自己嫌悪の域だ。
そんな彼が、いくら公爵令嬢の頼みとはいえ、自分達兄妹のために協力し、尽力してくれる理由がサッパリ解らない。だからこそ自分もピクルス様も、未だ彼を取り込めずにいる。率直に言えば、自分達は彼の信用を得られていないのだ。自分達を見る彼の目はあまりに淡白で、しかし拒絶されているわけではなさそうだ。同じ十歳児だというのに、まるで年上の大人を相手にしているかのような、不思議な違和感。やり辛い、と思ってしまう。
警戒心の強い野良猫がほんの少しだけ近寄ってきて、用意した餌の匂いを嗅いでくれただけ。用意された餌に毒物でも入っているのではないかと、用心深く探るような距離感で、それを詰めようとすれば即座に尻尾を巻いて遠ざかってしまう。今まで人付き合いをするのに、向こうから積極的に近付いてきてくれる者ばかりとしか接して来なかったローザにも、ピクルスにも、自分達と仲よくなることを内心嫌がっているような、放っておけば遠ざかっていくばかりの偏屈な変人を相手に仲よくなる方法が、皆目見当もつかなかったのである。
『あはははは!やっぱり僕、君みたいな友達がいてくれると嬉しいなあ』
先ほどの、婚約者の言葉が脳裏をよぎる。お友達。利用し合うだけの関係ではなく、対等に本音を言い合い、屈託なく笑い合える友人になれたならば、ああ、それは、さぞ面白いだろう。
男といえば家族か、婚約者か、使用人か。あるいはそれ以外の、自分をいやらしい目で見てくるケダモノ共か、利用してやろうと企む貴族達か、あるいは媚びを売ってくる者ぐらいしか知らない彼女にとっては、彼はそう、初めての、男性のお友達、になるのかもしれない。
正直に打ち明けてしまえば、公爵令嬢たる自分には、この学院でサニーと仲よくなるまで、女友達さえひとりもいなかった。取り巻きか敵か。そういった類いの、信用の置けない女達ばかりが周囲には大量に溢れ返っており、屋敷のメイド達も、友人と呼べるほどの親しみはなく、心の底から友達だと呼べる相手など、正直、ひとりもいなかったのだ。アル・グレイは友人と呼ぶには遜りすぎているし、何より自分に恋慕しているため、対等な関係にはなりようもない。
ああ、だからだろうか。今は素直に言える。
ホーク・ゴルド。
私は彼と、友達になりたいのかもしれない。