第239話 豚者の贈りもの Fromオークウッド
毎年12月25日は女神降誕祭である。この世界に女神が降臨した記念すべき祝日。その前夜祭たる12月24から25日にかけては家族や友人たちで集まり、盛大にお祝いするのが恒例であり、俗に聖の6時間と呼ばれる24日の21時から25日の3時までの6時間の間に子作りをすると、女神に祝福された丈夫で健康な男児を授かる、というのが通説だ。
よってこの世界では、9月生まれが結構多い。みんな女神の加護にあやかりたいのだろう。それはさておきこの世界にもやっぱり降誕祭にプレゼントを贈り合う習慣や、24日の夜によい子の枕元へサンタクロースが来るという伝承は存在し、改めてサンタの強さを思い知らされる所存だ、とホークがぼやき始める12月の初め。
だがDr.オークウッドにとって、降誕祭などどうでもよい些事であった。少なくとも、彼に出会うまでは
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「そういえば、もうすぐ降誕祭ですねえ」
「はは! 今年も我々はラボで研究三昧ですから、関係ありませんがね」
「たまには今時の若者らしく、青春してきたらどうなのですか君たち」
「ご冗談を。私は科学と魔法に人生を捧げた身ですから。子供はホムンクルスで自作するのが将来の夢ですし」
「僕もですよ。女性にかまけている暇があったら少しでも自動車の開発研究を進めないと」
「帝国技研は既に戦車の試作段階にまで入ったのでしょう? こちらも負けてはいられませんからね」
研究の合間。バターオイルを溶かしたミルクコーヒーを片手にぼんやり物思いに耽る我輩の耳に、我が同輩たちの楽しげな会話が届く。
「そういえば、オークウッド博士はホークくんちの降誕祭パーティに招かれてるんですよね?」
「教授、パーティとか死ぬほど嫌いだったのに、わざわざ蝶ネクタイまで新調しちゃって、一体どうしちゃったんですか?」
「いやいやゴルド商会だぞ? あんだけ大金援助してもらってる大口のスポンサーなんだから、さすがに顔出しとかなきゃまずいだろ」
「ええ、そうですね。……我輩、気付いたのですよ。今まではただひたすらに知識を詰め込んで、それをいかに応用し組み合わせて新たな形でアウトプットするかに没頭するばかりの研究者人生でしたが。時には一見無駄に思えるものをこそインプットして、全く別の分野や角度から新鮮味を味わうこともまた、研究者としては大事な要素なのだとね」
キョトンとする同輩たちを前に、我輩はバターオイルでまろやかになったミルクコーヒーを飲み、微笑する。我輩のマッドではない笑顔はあまり見慣れていないであろう同輩や学生たちは、意外そうに『おー!』と歓声を上げた。
「はー。とても教授とは思えないお言葉」
「でも、俺はなんか解る気がします。あの子が大学院に来てから、自分たちの視野がいかに狭窄だったかを嫌って程思い知らされましたからねえ」
「一見無駄に見えることも、かあ。……ねえストンヘンジくん。今日のお昼は私と12月限定の激辛チキン食べに学食行ってみる?」
「うえ!? お、俺ですか!?」
「なーによ、そんなに驚くことないじゃない。行くの? 行かないの? 嫌なら無理にとは言わないわよ」
「いえ! 行きます行きます!! お供させてください!」
熱したホットミルクを足して少し熱さを取り戻したバターコーヒーを啜りながら、雪の降る窓の外を見上げる。ふと亡き母のことを思い出した。
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『ねえお母さん! サンタクロースはどうやって世界中の子供たちの枕元に一晩でプレゼントを送り届けることができるの? どうしてソリが空を飛ぶの? なんでトナカイが空を走れるの? 普段どこに暮らしてるのかな? そんなに沢山のプレゼントを購入する費用はどこから調達しているのかな?』
『それはね、きっと世の中には私たちには考えもつかないような、素敵な魔法や奇跡があって、そんな不思議な力でサンタさんは、みんなに笑顔とプレゼントを届けているのよ』
『ふーん。そうなんだ。どこに行けばその仕組みが詳しく解る? 誰に訊けば、どうやったら解るの? 僕、知りたいなあ!』
『それじゃあ、いーっぱい勉強して、偉ーい学者さんにならなきゃね』
我ながら、小賢しいばかりの子供だったと思う。だが母は、我輩の質問責めにウンザリすることもなく、ひとつひとつを丁寧に、真摯に向き合って、彼女なりの答えをくれた。偉い学者になれば、母に楽をさせてやれる。たぶん、きっかけはそんな些細なことだったように思う。
我輩は必死に勉強して、奨学生になり、貴族連中のイジメにも負けずに大学院への進学の権利を勝ち取った。母はとても喜んでくれて、ああ、そうだ。すっかり忘れてしまっていたが、遠い昔、我輩にも、母とふたりで降誕祭をささやかに祝った過去があったのだ。
思い出せば、母はいつでも我輩の味方であり、笑って背中を押し出してくれる人だった。女手ひとつで続けた無理と、子供の目にも度を越したヘビースモーカーが祟り、あまりにも呆気なく、随分と早くに肺の病を患って逝ってしまったが、病床の母の顔は泣きたくなるぐらいに穏やかで。
貧しくとも、清らかな人であった。正しくあることを、ごく当たり前のように貫く強い人だった。だが、正しさだけを振りかざすような真似は、断じてしない人であったのだ。口よりもまず手を動かすこと。思考するのをやめないこと。お綺麗な倫理が助けてくれないのならば、汚い手段でもって自らを助くことをよしとすること。母から教わったことは、今にして思えばあまりにも多かったように思う。
『ねえオークウッドちゃん。母さんね、今少しも痛くも辛くもないの。あなたが作ってくれた薬のお陰よ。ありがとうね』
『母さん、ちょっとだけ先にお父さんのところに逝くから。オークウッドちゃんはなるべくゆっくり来て、ね? 人生には、辛いことも沢山あるけれど、それ以上に素晴らしいことだって沢山あるの。いつか、あなたの心を惹き付けてやまないような、素敵な人に出会えるかもしれない。その時は、母さんを愛してくれたみたいに、その人のことを大切に愛してあげて、ね?』
病室を脱走した母が、長年通い詰めたラーメン屋でふたりきりの最後の晩餐を過ごし、我が家にて結局やめられなかったと笑いながら煙草を吸いつつ窓辺で息を引き取る最期の瞬間まで、母は笑顔を絶やさなかった。どれだけ科学や魔法が発達しても、救えない命はまだまだある。無理な延命処置は、母の望むところではなかったのだ。
母という唯一の理解者にして未練を亡くした我輩は、それから研究にのめり込むようになった。温かな食事は冷めたサンドイッチやスコーンになり、冷めたコーヒーが我輩の血液となった。我輩の好物が鮭やホウレン草や蜂蜜であることなど、もう何十年も忘れていたように思う。
『ホーク・ゴルドです。よろしくお願いします』
『オークウッド博士! おはようございます!』
それを思い出させてくれたのは、君でしたね、ホークくん。君はまさに我輩にとっての曙光であり、囁きの悪魔であり、理解者であり、初めての友でありました。我輩の知的好奇心を刺激してやまぬ存在。他人の存在なぞどうでもよいと一顧だにせずにいた我が意の肩を掴んで、目が覚める程の猛烈な革新的ビンタをくれるかのように、孤高の頂に在った我輩の自意識を揺さぶった不思議な子。
今年は君に、何を贈りましょうか。去年のハニーレモンの大瓶は大層喜んでくれたようですから、今年も何か美味しいものを贈りましょうか。それとも、手作りのショートブレッドでも焼きましょうか。思い出の中の母の味を再現できるかはわかりませんが、挑戦する価値はあるのでしょう。
もしも我輩の愛した母の味を再現することに成功したならば、その時はホークくん。真っ先に君に、それを味わってほしいのです。
オークウッド博士やイグニス陛下の公式ヴィジュアルを熱望する声を複数頂いておりますが、2巻が出たら表紙はこのふたりとハインツ師匠になるんじゃないでしょーか。2巻、出たらいいなあ……





