第24話 便利な闇の魔法は抗鬱剤代わりになる
無言で馬車に揺られ、屋敷に戻る。クレソンもオリーヴも何か物言いたげな視線をチラチラと向けてきているのだが、今は彼らと話をしたい気分ではないので、無視した。
「おや、お帰りなせえ坊ちゃん。なんか暗ーい顔して、どうしやした?」
「ただいまバージル。なんでもないよ。ローリエはどこにいる?」
「メイド長ですかい?確かさっき厨房の方で見かけたような」
「そうか、ありがとう」
「またあの小僧に会ってきたんですかい?」
「そうだ。気になるのか?」
「まあ、なかなかに見所のある子供でしたからね。ああいうまっすぐな子は、つい応援してやりたくなりやせんか?」
「そうか、そう思うのなら、休日にでも個人的に会いに行ってやればいい。きっと喜ぶだろう」
「……坊ちゃん?どうなすったんで?なんか様子が変ですぜ」
「どうもしない」
バージルの顔も見ていたくなくて、クレソンとオリーヴには自由にしているよう告げると、ひとりで厨房に向かう。その途中、ローリエと廊下でばったり出くわした。
「お帰りなさいませ、坊ちゃま」
「ああ、ただいまローリエ。君の情報は役に立った。感謝する」
「左様でございますか。それはようございました」
あからさまに『私は裏社会の住民です』と言わんばかりの、暗殺者めいた音もなく一部の隙もない足取りでメイド仕事をしている彼女に、試しに情報収集を頼んでみたところ、驚くほど呆気なく彼女はそれに応えてくれた。公爵家の内情、ヴァン君の周辺事情、女神教についてと、十三使徒のひとりであるというガメツ・ゴーツク神父のことなど。それらの彼女が集めてくれた情報を参考に、俺はローザ様の計画を実行していったわけだ。いつの時代も、情報を制する者が勝利を掴む。
それにしても、本当に何者なんだろうな彼女は。別に何者でも構いはしないのだが、俺が前世の記憶を取り戻したあの日から五年。彼女が未だこの屋敷で働き続けているということは、あきらかに俺や父へのなんらかの意図をもって監視している、と考えた方が自然だろう。いつスカートの下から拳銃だのナイフだのピアノ線だの爆弾だのが飛び出してこないかヒヤヒヤしてしまう。
現状、護衛達を全く信用できなくなった今、彼女に襲いかかられたら自衛する手段が闇属性魔法ぐらいしかないのだが、まあ……いっか、死んじゃっても別に。俺が死んだところで悲しんでくれるのは父ひとりぐらいだろうし、彼女がどこかしらからの命令を受けて俺を始末することになったら、必然的に父も粛清されるだろう。ふたり揃ってあの世逝きになれば、現世でも親より先に死んでしまうという親不孝で父を泣かせるようなことにはならずに済む。できれば苦しまずに殺してほしいなあ、ぐらいの感慨しか湧かない。
「坊ちゃまは、何も仰らないのですね」
「その必要もないからな。お前がメイドとして我が家に仕えているうちは、俺は主人としてお前に仕事を頼むだけだ」
「……そこまでお解りでありながら、わたくしを追い出さないのですか?」
「優秀なメイド長を解雇する理由がどこにある?辞めたいなら辞めればいいし、そうでないなら好きなだけここにいればいい」
「……はい。……お夕飯の前に、何か温かいお飲み物でもお持ちいたしましょうか?」
「?」
ああ。
「俺はそんなに酷い顔をしているか?」
「ええ。差し出がましいとは思いましたが……」
そんなにか。
「いや、いい。そうだな、部屋に持ってきてくれ」
「ホットミルクでよろしいでしょうか?」
「なんでもいいよ。よろしく頼む」
ローリエと別れ、自室に向かおうとすると、自由にしていてよいと伝えたはずのクレソンとオリーヴが現れた。
「おうご主人、将棋の続きやろうぜ!」
「悪いけど、疲れてるんだ。また今度にしてくれ。どうしてもやりたければ、オリーヴかバージルを誘うといい」
「坊ちゃん、待機任務は」
「今日はいいや。ふたりとも、好きに過ごしてくれてて構わないよ」
「だが、お傍に誰もいないというのは……」
ふたりをスルーして、暗い部屋にひとりで入る。灯りをつけようか迷ったが、そんな気分でもなかった。上着を脱いで、掛布団の上からベッドにうつ伏せに倒れ込む。
解っていたことだ。俺は、この世界の主人公じゃない。ローザ様はヴァン君のために動いている。ピクルス王子はヴァン君兄妹のため、彼女に協力している。俺はそのために都合よく使われているだけの、便利なサブキャラでしかない。ヴァン君のように、誰からも好かれ、愛されるような、そんな器じゃないんだ。それをこの五年間、忘れてしまっていただけ。
前世、俺はいわゆるチーレム系の作品が嫌いだった。なんの魅力もない平凡な一般人が、ある日突然なんの努力も苦労もなくものすごい力を手に入れて、絶対に浮気も目移りも心変わりもしない、人形のような美少女達に囲まれていい気になってイキリ散らしている姿には、気持ち悪さすら感じていた。だけど、実際に異世界転生者になってみて、なんとなく解った。
そいつらは、主人公の不安を紛らわせるために、そう言わされていたのだろう、と。
あなたが好きです。あなたを愛しています。あなたは大切な人です。あなたが一番です。そんな台詞を、日常生活の中で常用する日本人はあまりいない。だから、何も言ってもらえないと不安になる。信じられなくなる。だって、本当はみんな知っているから。自分なんかがそんな風に大勢から愛されるわけがないと、人から好かれるはずがないと、心の奥底では理解しているから。
ふとした瞬間冷静に我に返り、没入感を損なったが最後。一気に現実に引き戻されてしまいそうになるから、だからきっとヒロイン達は口を揃え、態度で示し、主人公の不安を解消してやるために、都合のいい夢や妄想の中でさえも、心のどこかでは自分を信じきれない男達のために、分かりやすく安心感を与えるべく、言うのだ。私達は、あなたが好きです。あなたを愛しています、と。
「闇よ。ホーク・ゴルドの……金田安鷹の名において命じる。」
俺が女よりももっとずっと、何より大嫌いなもの。それはきっと、自分自身。
「闇よ、闇よ。俺の心の中に巣食う惨めな劣等感や、卑屈なコンプレックスや、鬱屈とした辛く苦しい気持ちを全部、全部、闇の底に沈めてくれ。二度と見えないように、思い出せないように、嫌いなもの、醜いものを全て、暗い闇の奥底に閉じ込めて……施錠しろ」
呪文を唱え終えた瞬間、それまでの胸の痛みが嘘のように、ふっと心が軽くなった。まるで肺の中にズッシリと詰め込まれていた漬物石が消え去り、体が軽くなった気分だ。便利だな闇属性魔法。今日一日ずっとドロドロ渦巻いていた悪感情があっさりスッキリ跡形もなく消えてサッパリしてくれて、なんだか一気に全てがどうでもよくなった。ウジウジと思い悩んでいた自分がバカみたいだ。本当に便利だな、魔法。いくら闇属性魔法だからって、心の闇まで操作できるとか、これ逆に増幅する方向にも使えるんじゃなかろうか。ヤバいな、悪用し放題だな。しないけど。
まるで即効性の抗鬱剤を飲んだような劇的な豹変ぶりに、我ながら驚愕してしまう。もっとも、ただ封じ込めただけだから根本的な解決にはなっていないのだろうが、それでもなんら問題はない。臭いものにはフタを。見たくないものからは目を逸らして、見ないフリを。それが人生賢く生きるコツだ。というか、暗いなこの部屋。さっさとベッドから起き上がった俺は、灯りをつける。暗い部屋にいたら気分が余計に滅入るだけだろうに、そんなことにも気付けないぐらい落ち込んでいたんだな、さっきまでの俺は。
まったく、美少年や美青年が苦悩している姿は絵になるが、デブスが思い悩んでいても、誰も得しないゾ。
「坊ちゃま、ローリエでございます」
「ああ、入ってくれ」
「失礼致します」
手にポットとカップの載ったトレイを持った彼女は、俺の顔を見るなり目を瞬かせた。よっぽど酷い顔をしていたのだろうな、さっきまでの俺は。でももう大丈夫。魔法の力で解決した。まあ、問題を先送りにすることを解決と言えるかは疑問だが、少なくとも不毛な被害妄想ループとかいう負の連鎖からは脱却できたので、よしとしよう。俺みたいな可愛げの欠片もない肥満児が暗い顔をしていたところで、世間はこれっぽっちも同情しちゃくれない。いつだって、自分の機嫌は自分で取るしかないんだ。