第225話 スリー・ダーティ
ホーク・ゴルドの嫌いなもののひとつに雨がある。彼は雨が降ると途端に出不精になるのだ。濡れるのも蒸すのも泥や雨水がズボンの裾に撥ねるのも嫌いだと言う。そんなホークがまず間違いなく外出を渋るほどの力強い雨がザーザーと降り続き、冬並みの低気温になってしまった秋の夜長。クレソンとカガチヒコ、それにバージルの三人は連れ立って傘を差し、白い息を吐きながら夜の繁華街を歩いていた。
目的はそう、娼館である。彼らはゴルド邸で美味い晩飯をたらふく食べた後、風呂を済ませ身綺麗になってから屋敷を出てきたのだ。オリーヴは屋敷の夜警があるため今夜は不参加で、女嫌いのホークは言わずもがな。以前は娼館ひとつを丸々一晩貸し切るなどの豪遊で音に聞こえていたイーグルもまた、最近は妻のアリーに配慮して娼館やキャバクラなどの夜のお店に繰り出すことはめっきりなくなっている。
雷魔法や光魔法で光るけばけばしいネオン看板や、火属性魔法で灯る幽玄な街灯が夜の闇を妖しく照らし、雨で滲んだ色取り取りの光がカラフルに氾濫して、さながら夜の遊園地で行われるパレードのようである。今宵はどの店に行くか、こないだ行った店は散々だった、などとお喋りを楽しみながら、獣人の店がいいだの、エルフの店がいいだの、熟女な気分だのと、素直な欲望を口にするバージルたち。
解散してそれぞれ別の店に行けば済むだろうに、それでもあえて三人で同じ店に行くのは一種の博打であり彼らの娯楽であった。ひとりでしっぽり馴染みの嬢と楽しむのもよいが、こうして野郎同士連れ立って同じ店で一夜を明かし、翌朝日が昇る前にああでもないこうでもないと話し合いながらする朝帰りもまた紳士の社交、男の嗜みである……らしい。
そのため最終的に店を選ぶ際には、正々堂々とした公平なジャンケンで勝った奴が選ぶ権利を得る。が、よっぽど今日はあの店に行きたい! という強い衝動がない限りはすぐに決まるようなものでもないので、こうしてそぞろ歩きしながら呼び込みの兄ちゃんや店先を冷やかしていくのが彼らの常であった。
とはいえ、やはりそこは楽しい楽しい博打なので、アタリを引くこともあればハズレにぶち当たることも珍しくはない。ジャパゾン国では陰間茶屋の嗜みも少々あったという武士のカガチヒコが選んだハイエナの牝獣人のお店ではバージルが泣きを見る羽目になったし、クレソンイチオシの巨体の牝獣人たちが集う店では危くオリーヴが腕を骨折しかけるなどした。
だがそんな散々な思い出も、過ぎ去ってみれば笑い話となる。あー、そんなこともあったなー、などと屈託なく笑い合えるというのは、なかなかに得難い体験だろう。喉元過ぎれば熱さを忘れる。むしろ、そういったハズレの店の方が印象に残りやすいのが、男という懲りない生き物のサガなのかもしれない。
「ねえお兄さんたち! よかったらうち、寄ってかない? 今なら割引券あるよ!」
三人は王立学院の制服風の衣装を着た、二十代後半っぽいちょっと化粧濃いめのキャッチのお姉さんに呼び止められ、足を止める。巨乳を通り越してまるでスイカをふたつ胸にぶら提げているのではと思うような超巨乳のキャッチはどうやら牛獣人もどきのようだ。鼻輪のようなごっついピアスをした牛の耳と牛の尻尾がなければ人間と大差ない……と言うには些か乳の大きさが凄まじい異彩を放ってはいるが。
「ここにするか? 割引券くれるみたいだし」
「うむ、よかろう」
「いいんじゃねェの」
「ありがとー! 三名様ご案なーい!」
彼女が嬉しそうにバージルに腕組みしながら相合傘で案内した先は、案の定牝牛獣人の専門店であった。人間に牛の耳と尾を付けただけの若い娘から、完全にミノタウロスな外見が勇ましい熟女まで幅広く在籍している一見焼肉屋のようにも見える牛さんの看板が目立つその店は、その筋の界隈ではエッチでニッチなニーズにガッチリ合致する隠れた名店と評判なのだという。しかも、割引券のお陰で実際お得だ。
「いらっしゃいませ。当店のご利用は初めてでいらっしゃいますか?」
「おう」
「それではわたくしの方からご説明をさせて頂きます」
三人はそれぞれ用心棒も兼ねている筋骨逞しい牛獣人の青年がいる受付で好みの風俗嬢を選び、別れて個室に入った。他店によくある一泊式はなく、時間制オンリーである。その理由はすぐに判明した。六畳間程の広さの室内はまるで風呂場のようなタイル敷きになっており、湯舟はなく、代わりにマットレスが置かれている。壁にシャワーと蛇口が備え付けられているほか、小さな洗面台もあった。
小さな洗面台には使いかけのうがい薬や使い捨ての歯ブラシ、紙コップや空っぽの牛乳瓶などが綺麗に整頓され並べられている。牧場を模した緑のタイルと青空に白い雲が浮かぶ天井画と壁画が描かれた内装がマヌケ極まりない陽気な空気を醸し出しているのだが、年季により塗装がところどころ剥げてしまっているのが若干物悲しい。そして室内には、ほんのりと牛乳の匂いが漂っている。
「いらっしゃいませー! 脱いだ服はこっちのカゴに入れて、濡れないようにフタを閉めてね! それから受付でも言われたと思うけど、当店ではプレイ前の歯みがきと手洗い・うがいの徹底にご協力お願いしまーす!」
「おう、分かった分かった」
バージルは意気揚々と、外見は人に近いがところどころ体の一部が白黒の毛皮に覆われた若い巨乳の金髪ギャルに鼻の下を伸ばしながら服を脱ぎ、神剣クサナギソードを部屋の隅に立てかけ、言われた通りに牛乳石鹸で手を洗い、歯みがき粉をたっぷり付けて歯をみがいた。
それからうがい薬に手を伸ばしたところで、『不運にも』ツルっとうがい薬のミニボトルが彼の手から洗面台に滑り落ち、中の液体が一滴残らず排水口に流れ落ちてしまう。
「……あー、マジか。……悪いんだけど、新しいのもらえる?」
「はーい、すぐに取ってきますねー!」
爆乳の金髪牛ギャルは笑顔を崩すことなく、バスタオルを体に巻いて個室を出ていこうとする。
「折角だから、おじさん一緒に取りに行っちゃおっかなー?」
「ちょっとお客さーん、廊下でのそういう行為はご法度ですよお!」
バージルも腰にバスタオルを巻いて、すぐさま彼女の後を追った。が、彼女がスタッフルームに入っていったので、さすがに立ち入るわけにはいかないかーと壁にもたれ腕組みをしながら出てくるのを待つ。一分待ったが出てこない。三分経ったがまだ出てこない。五分が経つ頃にはさすがに一旦出てきたが、その表情は芳しいものではなかった。
「えーっとお、ごめんなさい! なんかうがい薬切らしちゃってるみたいでえ!」
「おいおい、ここまで焦らしといて帰れってのかい? そりゃないぜお嬢ちゃん」
「いいえー! ちょっと別のお部屋から分けてもらってきますからあ、お客さんはお部屋で待っててもらってもいいですかあ?」
「しょうがねえなあ。なるべく早めに頼むぜ?」
「はあい!」
仕方なくバージルが個室に戻ろうとすると、ガチャリと違う個室の扉が開き、中から褌一丁の姿で名刀ドウゲンザカを抜き放ったカガチヒコが、長い尻尾で鞘を持ちつつゆっくりと出てきた。しかめっ面なのはまあ、想定の範囲内だ。
「相済まぬが、店長殿にお目通りを願いたい」
「チッ!」
彼は共にタオル一枚体に巻き付けただけのバージルと牛ギャル風俗嬢に目を向けると、牛ギャルに向けて冷たくそう言い放った。途端に彼女は険しい顔で舌打ちしながら踵を返す。
「きゃっ!?」
「おっと。今夜は運が悪いねえ、お互い」
同時に往生際悪く何食わぬ顔で続けようとしていた今夜のお楽しみを諦めたバージルが、未練がましく指を鳴らす。するとスタッフルームに逃げ込もうとした牛ギャルが、ハラリとほどけて落下してしまったバスタオルに足を取られてもつれさせ、そのまま派手にすっ転んで顔面をスタッフルームの扉に強打した。
「なっ!? 何よこれえ!?」
「あーあ、できればこういうのは後回しにしたかったんだがなあ」
慌てて起き上がろうとして、牛ギャルは自分の両腕、両脚が付け根から完全に石化させられてしまっていることに気付き、恐怖に引き攣った顔でバージルを見上げる。呪文の詠唱もなしにこれ程の強力な土魔法を行使するなど、尋常な相手ではないと察したのだろう。
「お客様!? 一体何を!?」
廊下での騒ぎを聞き付けやってきた受付の若く筋骨逞しい牛獣人の男の胸倉を掴んでいとも容易く壁に叩き付けたカガチヒコが、その喉に刀の切っ先を突き付ける。
「ひい!? や、やめて! 殺さないで!」
「一度限り問う。誰の差し金だ?」
「な、なんの話だよう!? オイラ、ただの雇われバイトだからそんなこと言われても訳わかんねえよう!」
達人の殺気にあてられ涙目になりながら縮こまる、これでも用心棒兼業の受付男を解放してやり、カガチヒコはヘナヘナとへたり込む彼から視線を外す。
「お客さん! こいつは一体なんの騒ぎですか!」
「それはこっちの台詞なんだよなあ」
「て、店長ー!」
「助けてママー!」
騒ぎを聞き付け、スタッフルームの奥から憤怒の形相で飛び出してきた、この店の店長と思しき筋肉ムキムキの女性ボディビルダーが如き容貌の牝牛獣人に向かって、口笛ひとつで手元に呼び寄せた神剣クサナギソードを構えるバージル。今夜は誰も彼もついてねえな、と彼は半裸のままぼやいた。





