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第164話 善意の一方的な押し付け

世の中には言っていいことと悪いことというものが存在している。口は禍の元、ということわざもあるように、不用意な発言で炎上するのは日常生活でも政治家でもSNSでも変わらない。言うべきではなかったこと、言わない方がよかったこと。一度口から吐き出してしまった言葉は取り消せない。


人が人間関係を大きく狂わせる要因となるもの。それが言葉。とはいえ、だ。


「えー、あー、んー、今日で臨海学校も最終日だからな。みんな、ゴミなどを残さないようしっかりと片付けような」


「そ、そうだな!我々生徒たちの行動がキャンプ場の管理者さん方の評価に直結する以上、ご迷惑をおかけしたりして心証が悪くなれば来年度以降の臨海学校の開催に支障をきたす可能性もある」


言いたい。ものすごく言いたい。昨夜はお楽しみでしたね?って。結局明け方みんなが寝静まっている頃を見計らってコソコソ帰ってきたゴリウス先輩とワッサー先輩は、海にでも入ったのか何故か髪が濡れていて。


臨海学校三日目の朝、体操をするワッサー先輩の動きがどこかぎこちないのを、ギャル三人組はこれでもかとニヤニヤしまくった視線で見守っているものだから、ふたりともかなりいたたまれなさそうなのが気の毒だがまあ、こればっかりはしょうがないな。なんせキャンプファイヤー中に抜け出してそのまま朝帰りだもんな。


朝の体操と朝食を終えて、午前中は昨夜のバーベキューやテントの後片付け。後は十一時になったらまた来た時と同じ集団転移魔法で学院に帰り、そこで解散、という流れだ。


そのため、帰るまでにはまだ少し時間があるということで、俺は人目を忍んでヴァンくんたちがA級魔物に襲われたという森の中の現場をこっそり訪れていた。


「ヘイシェリー、魔物の魔力の痕跡はスキャンできる?」


「お任せくださいまし坊ちゃま。魔力パターンのスキャン、解析完了。いつでも探知できます」


ガラケーを開き問いかけると、万能老執事は期待通りの答えを返してくれた。本当に便利だな超古代文明の超科学技術。


え?余計な出しゃばりムーブはやめるんじゃなかったのかって?そこはまあ、ね?


「さすが。魔物の現在地は?」


「お褒めに預かり恐悦至極。ここから数キロほど離れた人気のない山間部に退避しているようです。魔力反応微弱。恐らくは衰弱しているようで、放っておいてもいずれ力尽きそうですが」


「目的地までの所要時間は?」


「数分ほど頂ければ、すぐにでも」


「OK、頼むよシェリー」


「迅速丁寧にお届け致します」


僅か一分ほどでキャンプ場上空に到着したステルス機能発動中のヴィクトゥルーユ号内部に転送された俺は、そのまま本当に数分でキャンプ場から結構離れた山間の山林の中に下ろしてもらうことができた。


「ミノタウロス、じゃないな。ただのミノタウロスならB級程度だ」


「恐らくはその上位種であるグランドミノタウロス、その変異種でございましょう。通常のグランドミノタウロスからは感じるはずのない強大な氷属性の魔力を感じます」


山林に臥し息も絶え絶えに苦しんでいる巨体のミノタウロス。牛獣人と明確に異なるのは、足が蹄であるとか、服を着ていないとか、色々あるが、とにかくこいつは魔物だ。洗脳された牛獣人とかではない。

身長は3mもあるだろうか。翼がない分だけハインツ師匠よりも小さく見えるが、師匠とは比べものにならないほどに全身が筋肉の塊でできているかのように分厚く、たぶん俺の愛刀である小太刀、クロサギを突き立てたら刃が折れてしまいそうなぐらいには天然の筋肉の鎧で重武装している。


そして、ピクルス様の光属性魔法やローザ様の氷属性魔法でやられたのだろう。褐色の毛並みは焦げたり傷ついたり肉が抉れたりしていて流血も少なくなく、何より痛々しいのが右目が潰されているところだ。


こんな物理防御力の異常に高そうな筋肉オバケ、対峙するなら眼球や口内といった弱点を狙うのはセオリーだろうから、戦法としては正しい。そして気になったのは、潰されていない方の左目が紫色に発光する魔力の光を帯びていること。


「闇の魔法による洗脳、か。やっぱり誰かが意図的にこいつを暴走させたみたいだな」


「そのようで。魔力の残滓をスキャン、解析完了。ヴィクトゥルーユ号を経由してスキャニング範囲を拡大し、現在地を探査致します」


「うん、お願い」


俺の存在に気付いたのだろう。痛ましい呻き声を上げながら、ミノタウロスが起き上がろうとするが、ヴァンくんもしくはピクルス王子に腱を切られたと思しき片脚では上手く立ち上がることができず、威嚇するように怒号を上げようとして炭化した口内はとても痛ましい。


ああ、胸糞悪いな。俺は闇の魔法による洗脳を解除してやる。途端に、暴れようとしていたミノタウロスは、自我を取り戻すなりいきなり全身がズタボロになっていることに気付き、狂ったように雄叫びを上げようとするが声にならない呻き声だけが弱々しく木霊し、そして、必死に地べたを張って俺から少しでも逃れようともがき、這いずる。


魔物が人を襲うのは普通のことだが、だからといってこれはあまりにも非道だ。この魔物が何故黒幕に目を付けられたのかは不明だが、少なくともこんな風に使い捨てられて利用されて死んでいっていいとは俺は思わない。


自分の全く知らないところでいつの間にか人生を狂わされ、傷付き衰弱し、今にも死にそうになっているグランドミノタウロスの姿を見ていると、違う世界線に飛ばされてしまった時のことを思い出す。あの時、俺は追放直前に本来のホークの立ち位置に収められた。


だがひょっとしたら、私刑を受けたり処刑される寸前の状況のホークに置き換えられたとしてもおかしくはなかったのだ。もしそうであったなら、どうだろう。拷問され、リンチされ、傷付けられ、何がなんだかわけがわからないうちにいきなり指が削がれていたり歯が砕かれていたり。そんな状況に追いやられたらどう思うだろう。


「...」


「坊ちゃま?いけません、近付かれては危険です」


「大丈夫だよ。たぶん、もう反撃するほどの力も残っちゃいない」


俺は力なく倒れ伏し、命の灯火が消える寸前となったグランドミノタウロスの傍に跪くと、バルク級ボディビルダーがごときクレソンよりもさらに筋肉質なその巨体の表面に手を触れる。自分の身に何が起きているのかわからないまま、ただ死に逝く現実を受け入れられず哀しげな隻眼でこちらを見る魔物の姿に、同情してしまった。


「グ、ウ!」


だから、これは俺のエゴだ。回復魔法をかけてやると、足や全身の傷口が塞がり、炭化した口内が再生していく。蒸発させられてしまったのか眼球が残っていなかったがために右目だけは治すことができなかったが、それ以外の部分の傷口は塞がっていき、気持ちよさそうに残された左目を瞑っていたグランドミノタウロスが、やがて意識を失った。


死んではいない。気絶しただけだ。わかっている。魔物を治してやったっていいことなんか何もない。こいつはこの後、この辺り一帯に住みついて、通りがかった人間を襲ったりするようになるのかもしれない。でも、このまま見殺しにするにはあんまりにもあんまりだと思ったのだ。こいつオスみたいだから、後で美少女化して恩返しに来たりもしないだろうしな。


人と魔物は互いに相争う。だけどそれは、目的有ってのことだ。魔物は生きるために人を襲う。人も生きるために魔物に抗う。そこにあるのは純然たる生存競争であり、こんな風に利用するだけ利用して勝手に野垂れ死にさせる権利なんて人間側には存在しないのだから。


「坊ちゃま、洗脳魔法をかけた魔術師の所在が判明致しました」


「帰りの船内で聞くよ。いなくなったってバレる前にキャンプ場に帰ろう」


「御意に」


じゃあな、と俺は安らかな顔で寝息を立てるグランドミノタウロスの体から手を離し、指に絡み付いていた褐色の毛を払ってヴィクトゥルーユ号の船内に戻る。人間は愚かだ。俺も含めて、な。

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