第155話 お詫びと誠意は体で
「おはようございます坊ちゃま。早朝七時をお報せ致します。本日ヴァスコーダガマ王国近辺は晴れ時々曇り、やや強めの風が吹く一日となるでしょう」
「ん、おはようシェリー」
ガラケーのバイブ振動と老執事の合成音声で目を覚ました俺は、ヴァスコーダガマ王国内でも屈指の高級ホテル、ファッティーズのスイートルーム内で目を覚ました。同室で寝ている両親をなるべく起こさないようにと頼んだニーズをバッチリ叶えてくれたシェリー、有能。
そのまままだ眠たい目でやたら豪奢な洗面所へ向かい、顔を洗ってうがいをする。朝起きた時の口の中って乾燥しててちょっと気持ち悪いよね。冷蔵庫の中の無料ドリンクで喉を潤しながらベランダに出ると、既に朝の街並みは活気づき、遠くには市場が見えた。
そういえば、父はこの国の出身だったんだよな、とかつて何十年か前のこの国にタイムスリップさせられてしまった時のことを思い出しながら、ベランダの手すりにもたれかかる。
今日は平日だが体育祭の振り替え休日で、学園の生徒たちはお休み。なので、マリーの案内で家族四人でこの国の観光名所でも回ろうか、という話になった。またなんかのトラブルフラグなんじゃないかって?俺もそう思う。
昨日心配をかけてしまったせいもあり、今日ぐらいは何事もなく平和に一日を終えたいものだ。
「おはようございます、坊ちゃん」
「おはようオリーヴ。今日もいい天気だね。まっさらな青空。なんだかいい日になりそう」
「そうなることを願っておりますよ」
室内に戻ると、今は寝ているバージルと交代制で夜警をしてくれていたオリーヴがソファで本を読んでいたので声をかけ、俺は彼の隣に座った。
「何読んでるの?」
「この国の観光ガイドブックですよ。この国の地理や地形をあらかじめ把握しておくことは、護衛をする上で必要ですから」
「なるほど」
横から本を覗き込んでみると、この国の俯瞰図のような地図が掲載され、ところどころに有名な観光名所の写真やちょっとした解説などが載っている。
「市場に、有名な建築家が作った彫像、綺麗な橋、こっちは行列ができるカレーショップだって。いいね、カレー。お昼はこのお店にしてみようかな」
「では、俺たちのどちらかが頃合いを見計らって行列に並びましょう」
「お願いしまーす」
オリーヴの尻尾をちょこまかモフモフさせてもらいながらガイドブックを一緒になって読んでいると、母が起きてきた。
「おはようホーク、オリーヴさんも。朝から仲がいいわね」
「おはよう母さん」
「おはようございます奥様」
さあ、本格的に、楽しい一日の始まりだ。
「こちらは私がお友達やハイビスカスと一緒によく来るカフェですの。イチジクのタルトがとっても美味しいんですのよ!」
「それじゃあ、イチジクのタルトが四つと、俺はエッグタルトとコーヒーももらおうかな。父さんと母さんはどうする?」
「私はタルトだけでいいよ。飲みものもコーヒーで」
「私は七種のベリーのタルトも注文しちゃおうかしら。それから、アイスティーで」
「マリーは?」
「わたくしもイチゴとチーズのタルトを頼みますわ」
チリンチリン、と可愛らしい卓上ベルを鳴らすと、すぐに店員が注文を取りに来る。やっぱりというかなんというか、デブが美しいとされるこの国では喫茶店のウエイトレスさんもみんな制服のボタンが弾け飛びそうな豊満体型だ。
三人も護衛を引き攣れてゾロゾロとやってきた一家に最初こそなんだなんだみたいな困惑した雰囲気を醸し出していたが、注文したものが届く頃にはそういった戸惑いも消え、気にしないようにしよう、みたいな空気になっている。ちなみに当の護衛たちも、隣のテーブルを三人で囲んでおり、何を頼むか楽しそうに話し合っていた。
「確かに美味いね」
「ほんと、美味しい」
「でしょう?お友達に教えてもらって以来、私もすっかりファンですのよ」
得意げに、嬉しそうにしているマリーの普段の生活や学校でのことなど、母は楽しそうにお喋りしながら、みんなで甘味に舌鼓を打つ。父も普通に食べているところを見ると、問題なさそうだ。最近はぎこちなさが減り、逆に気を遣わせてしまわぬよう後ろめたさや罪悪感を表には出さないよう努めている辺り、ほんと変わったよなあ父も。
「父さん、美味しい?」
「ああ。それなりの味だね」
午前中は甘味を食べ、少し歩き、いかにもアラビアンナイトな感じの美しい建築様式が居並ぶ街並みを眺めたり、広大な国立公園で散歩を楽しんだ後、昼食は俺の要望で、件のカレー屋でカレーランチを楽しんだり。
午後からは腹ごなしに、大市場でウィンドウショッピングでも、ということになった。大半が露天商だから窓ないけど。
「綺麗ねえ。一枚ぐらい買っていこうかしら?」
「いいね。旅の思い出になるんじゃない?」
ヴァスコーダガマ王国は、織物の美しさでも有名なのだ。絨毯やマット、艶やかでヒラヒラとした薄手の民族衣装など、ブランストン王国にはないオリエンタルな美がそこかしこに溢れている。
「父さん、どうかしたの?」
「ん、ああ、なんでもないよホークちゃん。なんでもない」
昔のことを想い出しているのだろうか。そういえば確か、子供の頃の父さんとぶつかったのもこの市場のどこかだった気がする。母を亡くし、自身も殺されかけ、通りすがりの見知らぬ他人を装った俺に助けられ、そうしてこの国から逃れて、ブランストン王国へと流れ着いた父。
こうして今、結果的に帰省する形となって、その胸中に何を想うのかはわからない。
「それより、何か欲しいものがあったらなんでも言ってごらん?パパがなんでも買ってあげるからね。遠慮しなくていいんだよ?」
「ほんと?嬉しいな。それじゃあえーと」
貧しかった父、幼い頃は体を売って生きていた父。そんな父が、今ではこうして大富豪になり、自分の子供になんでも欲しいものを好きなだけ買ってあげるよ、と言えるようになったのはきっと、自分がそういう親の下に生まれたかった、という願望と執念がなせた意地なのかもしれない。
「そんなちっちゃいものでいいのかい?なんならもっと宝石店とかで」
「ううん、いいんだ。旅の思い出、だからさ。楽しかった今日を、ここで買ったこれを見る度に思い出せるから、これでいい」
俺はウォーターメロントルマリンという、スイカのようにピンクの中央部の周囲を黄緑色が覆っているという、珍しい色彩の宝石で作られたタイピンを買ってもらった。宝石といってもほぼ原石紛いの安物であり、手作りの品ゆえにちゃんとした造形ではないが、それでも綺麗だったので目に留まったのだ。
「...そうかい。それなら、確かにそれぐらいのささやかな品物がいいのかもしれないね。思い出や記憶には、お金に単純換算できない価値があるってことを、パパ今なら信じられるんだ」
「パパ...」
俺の手を握る父の手にギュッと力がこもる。ブランストン王国の人間に聞かれたら、『あの業突く張りでがめつくて金と権力の亡者のイーグル・ゴルドが!?』と驚愕されそうな言葉と共に、黒豚とも猪とも揶揄されるけれども、それでも俺は大好きな父の笑顔が、砂漠の日差しを受けて輝いているのはきっと、顔の脂のせいだけではない。
「ありがとパパ、大事にするよ」
「うむ、うむ。ホークちゃんが喜んでくれて、パパ嬉しい」
「うおっと!」
父に買ってもらったタイピンを大事に懐にしまい、母とマリー、それにハイビスカスとバージルの四人のところへ戻ろうとしたところで、人波に押されて俺の体がよろめきかけたのをオリーヴが受け止めてくれる。
「ありがと、転ぶかと思った」
「いえ、お気をつけて」
「大丈夫かい?ホークちゃん。ほら」
父に手を差し出され、少し気恥ずかしかったのだがその手を取ることにした。ふたりで手を繋いで、市場の中を歩く。16歳にもなって何やってるんだという気持ちはあるが、肉体年齢は11歳なのでさほど違和感がないのが救いだろうか。見た目的には親と手を繋いでいても全く違和感はないからな。
一瞬女神に感謝しかけたが、そもそも俺の肉体年齢が16歳だったら人波に押されて転びかけるなんてことにはならなかっただろうから、やっぱり感謝中止!まあ、父がとても嬉しそうに、楽しそうにしているから、これも親孝行と思って受け入れよう。自分が他人からどう思われようが、父が喜んでくれるのならばそんな赤の他人の視線なんてどうでもいいものだ。
その後、母は荷物にならないようにと小さな足拭きマットを買い、マリーは屋台で羊肉の七人分の串焼きをドカッと大量に買ってきて、『とっても美味しいんですのよ!』とみんなに一本ずつ配った。ワイルドにかぶりつく姿は商家のお嬢様としてはややお行儀が悪いが、この国でそれを咎める者は誰もいないので問題なしだ。母も平民出身なだけあり、普通に食べ歩きを楽しんでいる。俺もありがたくかじると、
「美味しいね、父さん」
「そうだな。若干クセがあるが」
「でも、慣れれば文字通り癖になる美味しさですのよ!」
「こらこら、そのようにものを食べながら喋るものではないよマリー」
「ごめんなさいお父様、私ったらはしゃいでしまってつい」
はぐれないようにと俺の手を握ったまま、何かを懐かしむように羊肉の串焼きを齧る父の横顔に愁いの色はなく、マリーとも普通に笑い合っている。そんな事実が、何より俺には嬉しかった。母も嬉しそうにそんな夫と娘の姿を見守っている。
「お父様、お母様、お兄様。今日はありがとうございました。私、とっても楽しかったですわ!また、こうやってお出かけしましょうね!」
いっぱい笑っていっぱい楽しんで、夕食を済ませた後にマリーを彼女とハイビスカスが同居している高級アパートメントまで送っていった後で、俺たちはホテルに戻る。こうして俺たちの本当に何事もなかった平和な一日は終わった。
なおスリに狙われること六回、俺の身柄を狙った誘拐犯をぶちのめすこと一回、寄ってきたタチの悪い売り付け商人を殺気だけで追っ払うこと三回。強盗二回、それら全てを家族には知られないよう水面下でこっそりと未然に防いでくれたバージルとオリーヴには、金一封の代わりにかなり上物のこの国の地酒のボトルを進呈しておいたことを追記しておく。