第11話 続・性根の腐った女好きの金髪子豚
今回はみんな大喜びの待望のお風呂回です
「坊ちゃん坊ちゃん、なんだってまたこんなむさ苦しい野郎を買いなさったんですかい?普通、奴隷っつったら見栄えのいい女を買うもんでは?」
「そういった用途で使うわけでもない、普通の護衛なんだ。だったら、一番デカくて強そうなのを買ってくるに決まってるじゃないか」
「へえ?節穴だとばっか思ってたがよお、見る目あんじゃねえかオメエ!そうだぜ!あんな棒っきれみてえなメスガキなんぞより、俺様の方がよっぽど強え!」
「……そっか、坊ちゃんはまだ六歳なんですもんねえ。そういうのはまだ早えか。冷静に考えたら、あんたみてえな六歳児がいるかっつう話ですが」
「よくも悪くもそう言われて育った子供だからな。おいクレソン、腹が減ってるのならちゃんと食事は用意してやるから、そんな今にも馬にかじり付きそうな顔をするんじゃない」
「金持ちのくせにケチ臭えなあ、おい。いいじゃねえか、馬の一頭や二頭ぐれえ」
「よかねえよ!おいテメエ!俺の可愛い馬共を勝手に食いやがったら承知しねえかんな!」
「いや、お前の馬じゃないだろ」
「おっと、すいやせん坊ちゃん!言葉のあやってことで、ここはひとつ!」
冴えない万年B級冒険者、バージルはゴルド邸ですごす新しい生活に、大満足していた。給金の支払いもかなりいいし、仕事もブラックさとは無縁のホワイトなもので、優良な雇い主は町の噂で聞いていたよりも遥かにまともな人物であったからだ。
子供の頃に田舎の農業を継ぐことを嫌がり、俺は冒険者になる!と言って故郷の村を飛び出したものの、自分には才能がなかったようで、四十間近になる今になっても未だB級止まり。一流の冒険者と二流の冒険者の絶対的な境界線が、A級とB級の間にある分厚く高い壁なのだ。
そんなA級の更に上、S級冒険者なんてものは、それこそ遥か雲上の世界であって、武術の才能も魔法の才能も中途半端な自分は、気づけば結婚も出来ず、フラフラと日雇いの依頼や仕事を繰り返すだけの、チンピラじみたゴロツキになってしまっていた。
こんな筈じゃなかったんだがなあ、と後悔しながらも、今更定職に就こうにも四十間近のおっさん冒険者なんぞ雇ってくれるような物好きもおらず、腰を落ち着けたいのに気付けば落ち着けられる場所などどこにも見付からない、不安定な流れ雲生活。バージルだけではなく、大いなる夢や希望をその胸に抱いて冒険者になった若者達の大半は、こうして世知辛い現実を思い知らされ夢破れて堅気の世界に戻っていくのだ。バージルはそれに気付くのが、あまりにも遅すぎた。
若い頃はもっと、冒険者ってのは夢や希望やロマンに満ち溢れた生活をしているものだとばかり思っていたのに、冒険者ギルドに寄せられる依頼は雑用めいた代物か、代わり映えのしない魔物の討伐ばかりで、なんとも因果な生き方だったのだと、今になって気付いて後悔しても遅い。
何者にもなれない半端物のまま年を取ってしまった冒険者の末路は、概ね大別してふたつだ。惨めな先輩として、俺達のようにはなるなよと後輩冒険者達に優しくしてやるか、あるいは若くキラキラとした後輩冒険者達に当たり散らすような、もっと惨めな冒険者崩れのゴロツキ崩れになるか。
バージルは前者であろうとした。自分が冴えないロートルだと、万年B級冒険者だと陰でバカにされていることも、髪の毛も夢も希望も全部失くした惨めなおっさんと笑われていることも、全て理解してなおそれに気付かぬフリをした。愛想笑いを浮かべ、爪弾きにされないようにと努めた。惨めだった。だが、生きていくためには必要なことだった。
そんな努力の甲斐あってか、諦めることなく冒険者を続けてきたお陰で、こうして今はいい雇い主に恵まれ、ガキの子守りとしては破格の給金をもらえ、美味い賄い飯もタダで食わせてもらっている。子供の頃から好きだった馬の世話も任され、人生薔薇色の瞬間が訪れたのだ。
誇張抜きに、ゴルド邸で一ケ月働いてもらえる賃金は、かつてバージルが一年がかりでなんとか稼いでいたほどの大金なのである。銀貨や銅貨ばかりを受け取るような仕事をしてきた彼は金貨など触れるのも久々で、最初に大量の金貨を受け取った時は、手が震えてしまったほどだ。
間違いなく、今が己の冒険者人生の絶頂であると感じられた。底辺負け組冒険者だった自分が、こうしてとんでもなく恵まれた仕事を与えられ、勝ち組人生を送れるようになったのだから、ホーク・ゴルドの坊ちゃんにはどれだけ感謝してもし足りない。
だから、今のままの幸せな生活が一日でも長く続くようにと、そう強く願ってしまう。幸い、雇い主であるホークは大層な女好きでセクハラ三昧の色ボケした救いようのない性格の悪いクソガキ、という世間での悪評とは真逆の、むしろ女嫌いを公言するような、妙な子供だった。
この手の金持ちのお坊ちゃんは成長するにつれ周囲に金の力でかき集めた美少女や美女を侍らせてご満悦、というのは定番だが、この分ならばある日突然、やっぱり護衛は若くて可愛い女の子がいい!などと言い出して解雇されるということもなさそうだ。
「そういえばバージルさ、馬好きを公言している割には馬肉は普通に食べてなかった?」
「そりゃあ、生きてる馬と最初から死んだ姿で出てくる馬肉は別もんでさあ」
「そりゃそうか」
子供どころか恋人も出来ないまま、四十を超えてしまったバージルにとって、ホークは歳の離れた可愛い弟か、あるいは生意気だけど可愛い甥っ子のような存在だった。なんて、口にしたらおこがましいと旦那様に叱られてしまいそうだが、それでも、バージルにはホークが可愛くてしょうがなかったのである。どん底だった自分の人生に幸福を与えてくれた福の神だ。願わくば末永く彼の護衛として仕事がしたいものだと、心の底からそう言える存在だった。
「オリーヴ。新入りを風呂に入れてやるから手伝ってくれ」
「了解した」
「お?なんだ?風呂に入らせてくれんのか?奴隷を風呂に入れてやるなんぞ、変わってんなあオメエ。変人なのはここに来るまでに十分に思い知ったがよお」
「俺は綺麗好きなんだよ。それこそ屋敷の中にノミやシラミでもばら撒かれちゃ堪ったもんじゃないからな。嫌でも風呂には一日一回、きちんと入ってもらうぞ」
「誰が嫌がるもんかよ!俺だって風呂は好きだぜ?」
「そうか、それは何よりだ」
つくづく妙な雇い主だと、オリーヴは思う。悪名高きゴルド商会のご子息。稀代の女好き。どうしようもなく性根のひん曲がった、救いようのないクソガキ。いけ好かないバ金持ち。そういった前評判は全て知っていたが、それでも彼はホーク・ゴルドの護衛の仕事を受けに来た。
特に深い理由はない。ただ報酬が破格だったからだ。オリーヴは、割と空っぽな人間だと自分を客観視していた。かつては中身もあったのだが、とある事件をきっかけに空っぽの人間になってしまった。夢も、希望も、失くしてしまってから、何もかもがどうでもよくなった。将来のこととか、やりたいこととか、生きる目的だとか、そういったものは一切ないままに、環境に流されるがまま、ただダラダラと惰性で生きてきたのである。
冒険者になったのも、軍を辞めしばらく経った後で、かつて軍で一緒だった友人に、一緒に冒険者にならないかと誘われたからだ。その友人が魔物の討伐に失敗して死んでしまった後も、辞めることなく冒険者を続けているのは、特に辞める理由もないからだ。崇高な目的も、輝かしい夢も、壮大な野望も何もないまま、オリーヴは風に流されるタンポポの綿毛のように生きてきた。自分の頭で物を考えるのは面倒だから、自分から何かをするのは億劫だから。
だから、別に面接に落ちても構わなかったのだ。金への執着もない。ただ、仕事をする回数が減って少し楽が出来たらいいな、程度の理由だったが、なんの因果か彼は面接に受かってしまった。正直受かるとは思っていなかったので、久しぶりに驚く、という感情を味わった。
ホークはこんな自分の一体どこに、雇う理由を見出したのだろう、と些か不思議であったものの、それをわざわざ尋ねもしない。結局、どうでもいいことだからだ。雇うと言われたのだからここで働くし、クビだと言われればおとなしく出ていくだろう。自分はもう十年以上ずっと、そうやって生きてきた。
「はー。俺、金持ちの家に生まれてよかったわ。こんなに広いお風呂がいつでも入り放題とか、最高すぎるだろ」
「それに関しては同意する。風呂はいいものだ。広いものであれば猶更よい」
「解ってんじゃねえか犬ッコロ。なんだか故郷の温泉を思い出すぜえ」
「え?この世界にも温泉あるの?」
「そりゃあ、あんだろ。俺の生まれた村は火山の近くだったからな。でっけえ温泉街や天然の温泉溜まりが村や密林の近くにあってよ。よく入りに行ったもんだぜ」
「いいなー東方。いつか温泉旅行に行ってみようかな」
「悪いことは言わない、やめておけ。東方出身のクレソンを奴隷として従えている坊ちゃんが、のんきに彼の部族の仲間達が大勢いるであろうところへ顔を出してみろ。殺されかねんぞ」
「じゃ、クレソンはお留守番ってことで」
「おい、そりゃあねえだろ!オメエらだけで楽しく温泉入って美味えもん食おうってのか?お?仲間ハズレはいけませんって教わらなかったのか?ん?」
「……君、自分が奴隷だって解ってる?」
「ああ、そうだったなあ。そういや、今の俺は奴隷だった。オメエの態度が拍子抜けしちまうぐらい甘っちょろいからよお、すっかり忘れてたぜ」
奴隷としてどれだけの間奴隷市場に並べられていたのかは知らないが、汚れの酷かったクレソンの体をホークとオリーヴが協力して、ふたりがかりで獣人用のシャンプーとブラシを使って綺麗に洗い流し、三人で入ってもまだ余裕のある広さの湯船にゆったりと浸かる。
本来ならば護衛や奴隷が裸になって主と同じ風呂に入るなどあるまじき事態なのだが、細かいことは言いっこなし、というのがホークの方針だ。男が友情を育むのに必要なのは同じ釜の飯を食うことと、裸の付き合いだ、とはよく言ったもので、実際にやってみるとそれなりに効果があったらしく、最初のうちはホークに対する警戒心や敵意を剥き出しにしていたクレソンも、今はどこか毒気を抜かれてしまったような表情になっている。
新入りの山猫獣人の奴隷にして護衛、クレソンに『変な奴だなこいつ』みたいな目で見られたので、『そうだな』とオリーヴも視線だけで返しておく。山犬と山猫。イヌ科とネコ科という違いはあれど、山の一文字という共通点を持つふたりの獣人が護衛同士、なんとはなしに、風変わりな主に仕えてしまったことへのシンパシーを感じ合う。
だが雇い主が奇人であろうが変人であろうが、オリーヴにとってはどうでもよい。今の生活が長続きするならそれでよいし、唐突に終わりを告げるならそれでもよい。ただ契約を結んでいるうちは、しっかりその仕事をこなしてやろう、ぐらいの心積もりでいるだけだ。
だが、だがである。この屋敷で過ごしている時間は、なんというか、ほんの少しだけ、楽しい。そんな小さな波紋が、もう十年以上もずっと凪いでいた心に何かを感じさせる。そんな予兆が、ほんの少しだけ感じられた。そして、そんな風に感じてしまう自分が、不思議だった。
「お風呂あがりにはそうだね、フルーツ牛乳とイチゴ牛乳とコーヒー牛乳だね。まさか普通の牛乳も合わせて四種類全部普通に売っているとは思わなかったわ。正直ナメてたわこの世界」
「おい、なんだそりゃ。牛か山羊の乳か?妙な色してんな。毒じゃねえのか?」
「違うよ。果物や違う飲みものを混ぜて味付けした牛の乳だよ。これがまた美味いんだから!」
「へえ、そうかい」
「興味があるなら飲んでみればいいじゃないか。あ、だからって飲みすぎるなよ?ひとり一日二本までだからな!」
「なあ、俺って奴隷なんだよな?」
「諦めろ。ホーク坊ちゃんはこういうお方なんだ」
クレソンは、自分がバカであることを知っている。頭突き攻撃は得意だが、頭を使うのは苦手だし、物を考えるのも苦手だ。だから、シンプルに生きてきた。行きたいところへ行き、食いたくなった時に食いたいものを食い、喧嘩を売られたら買う。勝った方が強く、負けた方は弱い。世の中は強い奴が正しくて、弱い奴は正しくない。
そんなシンプルな道理が、彼にとっての人生哲学だ。弱い奴は強い奴に何をされても文句は言えない。だから、強くあらねばならない。強くなって、勝って、勝って、勝ち続けていれば、それでいい。彼の生まれ育った山猫の部族は、みんなそうやってシンプルに生きていた。
だから、とある戦いで負けて奴隷にされてしまった自分は、敗者となってしまった弱い自分は、何をされても文句を言えない。全ては己の弱さが悪いからだ。自分達はそうやって、時に獣を殺しては食らい、人を殺しては奪い、生きてきた。だから自分が殺されてしまってもしょうがなかったし、食われてしまうのならばしょうがなかったし、奴隷として飼われるというのならば、受け入れるだけだ。
とはいえ、いつまでも弱いままでいるのも癪なので、生き長らえさせられるというのならば、ありがたく爪を研ぎ牙を磨くだけ。いつかこの邪魔臭い首輪を壊して、偉そうにふんぞり返っている飼い主とやらを殺せば、自分は再び自由になれる筈だ。失敗して死んでしまったとしても、奴隷として生かされているよりはよっぽどマシかもしれないとすら思う。バカはバカなりに、バカ正直に生きているのだ。
「はー、いいお湯だった。そんじゃ、そろそろ夕飯の時間だから、食堂に行こうか。あ、クレソンは食べられないものとかある?あるんならあらかじめ言ってもらえればなんとかするから。苦手なものを無理して食べても美味しくないからね。別に料理を残しても文句は言わないから、安心していいよ。その辺り何か気になったことがあれば、言ってくれて構わないから」
「おいガキンチョ、オメエよお、自分が奴隷の飼い主だって自覚あんのか?いや、文句はねえんだけどよお、そこまで能天気にマヌケ面さらされっと、調子が狂っちまうぜ。ったくよお」
だが、人間の中には自分以上のバカもいるんだと思い知らされた。そのバカの名前は、ホーク・ゴルドという。





