第1話 裏の顔を持ってるっぽい青髪メイド
女が嫌いだ。そう言うと"ホモなの?"って訊いてくる奴はもっと嫌いだ。女が嫌い=男が好き、だなんて短絡的な発想を他人にぶつけるような考えなしの不躾で浅慮な人間とは仲よくなれないし、なりたくもない。誤解されてしまうと困るのだが、俺は無条件でただ性別が女だからというだけで相手を嫌うわけではないのだ。俺が嫌いなのは、いわゆるバカ女の類いである。
例えばそう。スマホを弄りながら車を運転していたせいで、赤信号なのにそれを無視して突っ込んでくるようなクソババアは死ねばいいと思う。撥ねられて死んだのは俺の方だけど。学校帰りに車に撥ねられいきなり死んで、気付いた時には異世界転生。トラックじゃないのかって?俺もそう思う。
この手の異世界転生モノはネットで腐るほどバカにしてきたけれど、まさか自分がなろう系主人公になるとは思わなかった。生まれ変わった俺の名前はホーク・ゴルド。ゴルド商会とかいう大きな会社の社長のひとり息子で、見た目はいかにも頭の悪そうな、バカ面全開の小太りのクソガキ。
「坊ちゃま!」
「大丈夫ですか!?」
顔だけで採用された美人のメイド達が慌てて駆け寄ってきて、階段から派手に転げ落ちた挙げ句仰向けにぶっ倒れた俺の顔を覗き込んでくる。現在俺は、新入りの美少女メイドのお尻を触って、というかスカートの中に手を突っ込んで指を這わせたせいで猛烈なビンタを食らい、その拍子に自宅の豪邸の、やたらめったら無駄に長い階段の一番上から一番下まで勢いよく転げ落ちたところ。
「ああ、なんてことかしら!」
「誰か、お医者様に連絡を!」
「警察もよ!警察を呼んで!」
「ち、違うんです私!そんなつもりじゃ!?」
俺をビンタしたメイドが階段の上で青褪めた顔をしている。彼女はただいきなりとんでもないセクハラを受けたので反射的にビンタしてしまっただけで、階段から突き飛ばすつもりはなかったのだろう。不幸な事故という奴だ。だが、殺人未遂であることに変わりはない。
そして強かに頭をあちこち打ち付けまくった俺は、その拍子に前世の記憶を取り戻したらしい。というか、人格が完全に前世の俺の人格と融合してしまったのだ。ひょっとしてこいつ、死んだ?いや、死んではいないか。現世で生きてきた記憶もバッチリあるし。今にも死にそうなぐらい頭が痛いのは確かだが。血が出てるし、なんか意識は遠のいていくし、転生してすぐ二度目の死とか勘弁なのだが。
死んですぐにまた死にかけて気絶してしまった俺が次に目を覚ました時、そこは見知らぬ天蓋天幕付きの、豪奢なベッドの上だった。アニメ映画のお姫様みたいなベッドだなおい。
「気が付かれましたか?ホーク坊ちゃま」
誰お前、と言いかけて、現世の記憶が一気に頭の中で炸裂する。頭が痛い。階段から転げ落ち頭を強く打ったのだから当然なのだが、そういう意味じゃなくて、頭の外側ではなく内側が痛い。俺は、そんな乱暴な言葉遣いをするような奴じゃなかったはずだ。すみません、どなたですか?ぐらいの訊ね方をする程度の常識はあったはずなのだが、前世の記憶と現世の記憶、ふたつの人格が頭の中でミキサーにかけられているみたいで、猛烈に気持ちが悪い。吐き気がする。辛い、ちょっと誰かなんとかしてくんね?
「……ッ!!」
「ご無理をなさらず。階段から落ちたのですから」
「あのメイドはどうした?俺を階段から突き落としたあの娘だ」
「直ちに警察に引き渡しました。故意でなかったとはいえ、殺人未遂ですので」
「そうか。まあ、そうだよな」
俺を図らずも階段から突き落としてしまうほどの強烈なビンタをかましたあの新入りメイドは可哀想に。あきらかに無断でメイドの尻を触るどころか、スカートの中に手を突っ込んで指を這わせるなどの最低のセクハラ行為に走った現世の俺が悪いのだが、だからといってこうして頭に血の滲んだ包帯をグルグル巻きにされながら全身打撲の激痛に苦しまされていると、何もここまで、と思わなくもない。死んでいないどころか、骨折のひとつもしていないとかまさに奇跡みたいな状況だもんな。
「鎮痛剤はないのか?」
「既に注射して頂きました。効果の強いものですので、経口薬との併用は危険を伴うとのことでしたが、お持ち致しますか?」
「いや、ならばいい」
「……左様でございますか。ところで、ひとつお尋ねしたいことが」
「何?」
「あなた様は一体、どちら様でいらっしゃるのでしょうか?」
眼鏡をかけた青髪のメイドが冷たい目で俺を見つめてくる。まあ、無理もないか。今の"俺"は"ホーク・ゴルド"としてはあきらかに異質だからな。疑ってしまうのも無理もないだろう。本来の"僕ちん"ならば、目が覚めるなり痛い痛いとギャーギャー泣き喚き、あのメイドを連れてこい!と大騒ぎしたはずだ。
父親に盛大に甘やかされて育ったせいで、バカで身勝手で自分本位で、ワガママ三昧やりたい放題の金持ちのクソガキ丸出しの、見た目も中身も醜悪極まりない肥満児。それがホーク・ゴルドという人間のはずだ。それがいきなり全くの別人のように豹変してしまったのだから、誰お前、と問われるべきはむしろ、俺の方であろう。
「どちら様と言われても、俺は俺だ。ホーク・ゴルド以外の誰に見える?」
「ですが、現在のあなた様のご様子を見るに」
「記憶の混濁だ。頭を強く打ったせいだろう。意識が朦朧としていて、受け答えが多少ぎこちなくなってしまっているのは不可抗力だ。それから、少しばかりの女性恐怖症を患ったにすぎん。こんな酷い目に遇わされたのだぞ?少しぐらい言動に気を遣うようにもなるさ」
まずい、自分で喋っていて気持ち悪くなってきた。このファンタジー世界の住人としての喋り方はこれで合っているはずなのに、なまじ前世が日本人だっただけに、年上の人間相手に尊大な口の利き方をするのはものすごく違和感がある。薄ら寒いとすら感じてしまう。だが、口から出てくる言葉がこれなのだ。
こんなことなら中途半端に混じり合うんじゃなくて、記憶だけ思い出すとかいっそ人格丸ごと乗っ取り状態とかにしてくれれば苦しまずに済んだかもしれないのに、誰だよ俺を転生させた奴。やるならやるで、キッチリやってくれよ。中途半端な仕事しやがって、クソ!
「しかし……」
「しつこいぞローリエ。一介のメイドの分際で、差し出がましく口を挟むな。お前ら使用人共は、ただ言われるがままに動くだけの存在であればそれでよいのだ」
「……失礼致しました。では、そのように」
そうそう、ローリエと言ったか。確かそんな名前だった気がする。彼女はまだ年若いながらもゴルド邸で働くメイド達の中では比較的古参であり、メイド長の座に就いていたはずだ。他のメイド達がドスケベ小僧ホークの趣味により、見た目だけで採用された頭空っぽの連中ばかりな中で、きちんと仕事をこなす彼女はそれだけで有能な存在であると言える。そう考えるとやばいな、この家。頭おかしいわ。
そんな我が家のメイド長様はなんというか、すごく暗殺者っぽい感じだ。歩く時には音を立てないし、気配も消しているし。前世の記憶を取り戻すまでは全く気付かなかったのだが、あきらかに堅気の人間ではなさそうな気配をプンプン醸し出している。恐らくは、戦うメイドさんといったジャンルの人間なのだろう。ほら、メイドスカートの中からごっつい銃火器とか手榴弾とか平然と取り出してくる感じの奴。
普通この手の裏社会で生きてきました系ヒロインには『自分を道具だなんて悲しいことは言わないでくれ!君は俺にとって大切な人間だよ!!』みたいなことをキリっと伝えて、『使い捨ての道具にすぎない私にそんなことを言ってくれたのはあなたが初めてです。あなた様こそが私の本当の以下略』みたいな話をして好感度を稼ぐのが常套手段のはずなのだろうが、逆に下げてしまった。
だが、問題はない。彼女のことは現状特に嫌いではないが別に好きでもない。むしろあれこれ疑われると面倒だから、余計なことは言わずに黙ってろ使用人風情が、と釘を刺すのはむしろアリだろう。階段から落ちて気絶していた俺が偽物にすり替わる余地なんてないのは、ずっと付き添っていたであろう彼女が一番よく解っているだろうからな。
「俺は寝る。警察には、ゴルド商会としては騒ぎを大きくするつもりはないと連絡しておけ」
「かしこまりました」
これで逮捕されたメイドは無罪放免とまではいかないが、少なくとも訴えられて刑務所にぶち込まれるようなことはなくなるだろう。今回が初犯になるだろうしな。そもそも、わざわざこんなことを言い出すことそのものが『僕ちんは本物のホーク様じゃないでブヒよ!』とアッピールしているようなものだが。
本来のホーク・ゴルドであれば、自分をこんな目に遇わせたような奴はこの手で鞭打ちしたり、地下牢に閉じ込めて監禁したりしながら、凄惨な拷問を加えてネチネチネチネチと復讐するはずだ。我ながらとんでもない下劣なクソ豚野郎に生まれ変わってしまったわけだが、何も現世の人格をそのまま今後も継続し続ける必要性はまるでない。むしろ願い下げだ。頼まれたって嫌である。
しかし、頭も体も痛すぎる。さっさと寝てしまおう、と思っても、痛くて眠れないのが最悪である。そうして俺は、転生初日をベッドの上でウンウン唸りながら迎える羽目になったのであった。