第三章:夢の国
いつものように、軍の訓練を終えたユノアは、滝のように流れ落ちる汗をタオルで拭っていた。
「ユノア!」
振り返ったユノアは、途端に笑顔になった。ラピが走り寄ってきたのだ。
「ユノア。今日これから、暇か?」
「え?…うん。特に何もないけど」
「そうか!じゃあ、俺と一緒に街に出ないか?家に帰ろうと思うんだ。チュチを連れて、ちび達に会いに行ってやってくれよ」
ユノアは目を輝かせた。こんなにワクワクした気分になるのは、いつぶりのことだろう。
「うん!行く行く!」
楽しそうに会話を交わしながら、ユノアとラピが立ち去っていく。
その後ろ姿を恨めしそうに見送る兵士も少なくはなかった。ユノアがこんな風に、何の警戒心もない笑顔を見せるのは、ラピの側だけだからだ。
ユノアは、頭にターバンを巻いた姿でマティピの街へと出かけた。街にでるときは、最近はいつもユノアはこの格好だ。ターバンを巻かなければ、ユノアの銀髪は、やはりとても目立つのだ。
あのスラム街へ行くのだろうと思っていたユノアだったが、ラピはマティピの街中を通りすぎて、どんどん外へと出て行ってしまう。
遂に、建物はほとんどなくなり、マティピの街の外に広がる農園地帯へと来てしまった。
「ね、ねぇ、ラピ…。どこに行くの?スラムに行くんじゃないの?」
ユノアの問いに、ラピはにやりと笑った。
「俺達はもう、スラムの住人じゃないんだ。マティピの中には幾つかスラムがあったけど、そこに住んでいた全ての人達が、今はもう街から外へ出ている。ヒノト王から土地をいただいて、農業をして生計を立ててるんだ」
「農業…」
「みんなの顔を見てみろよ、ユノア。スラムに住んでいたころとは見違えるほどに、生き生きしてるから」
二人の前に、麦畑が見えてきた。その中で働いている人々の顔は、確かに見覚えのあるものばかりだ。
その中の数人が、近付いてくるラピとユノアに気付いて顔を上げ始めた。
ラピは大きく手を振った。
「おーい、みんな!」
近付いてくるのがラピだと分かり、畑の中にいた人々の顔も笑顔になった。畑の中から出て、タオルで顔を拭いながらラピ達のほうへと歩いてきた。
汗と泥まみれの顔だが、不思議と疲れは感じられない。快活な声で、ラピに話しかけてきた。
「よお!ラピ!帰ったのか」
ラピも笑顔で答える。
「ああ。でもすぐに、また王宮に戻るけどな。ちょっと様子を見に、帰っただけだ」
「なんだなんだ。一ヶ月ぶりじゃねえか。ゆっくりしていけよ」
「そうもいかねぇよ。俺は規律正しい軍隊の兵士なんだぜ。規則は守らなきゃな」
「ラピの口から、規則なんて言葉が出るなんてな。すごい時代になったもんだぜ」
久しぶりに気の許せる仲間の元へ帰ってきて、ラピはすっかりリラックスして、会話に夢中になっている。
ユノアは微笑みながら、その会話に耳を傾けていた。
「そういえば、ラピ。軍の中で、ちゃんと出世出来てるのか?」
「馬鹿言え。俺が軍に入って、まだ半年経たないんだぜ。一番下っ端の、雑兵だよ」
「おいおい、しっかりしてくれよ。お前は俺達の期待の星なんだからな。お前が持って帰る金の使い道も、もう考えてあるんだぜ」
「はあ?俺の金は、俺が商人になるために使うんだ!」
「お前をここまで育ててやったのは、誰だと思ってるんだ?ああ?俺達に恩返しをするのが、当たり前だろう」
「マジかよ…」
兄貴分らしい男達の言葉に、ラピは押されまくっている。
ようやく解放されて、ラピ達は畑の間を歩き始めた。だがすぐにまた呼び止められる。その繰り返しなので、二人の足取りはなかなか進まない。
どの会話を聞いても、ここに住む人達の、ラピへの期待の大きさが伺えた。お金のことだけではない。今まで散々、下衆扱いされてきた集団の中から、王の兵士として働く者が出たというのは、人々にとって、大きな誇りになっているようだ。
ラピがすまなそうに頭を掻いている。
「ごめんな、ユノア。俺ばっかり話をして、つまらないだろ」
だがユノアは首を振った。
「ううん。いいの。話を聞いてるだけで楽しいよ。…ねえ。ラピ。いいね、こういうの」
「うん?」
「ここにいるみんなが、ラピの家族みたい。心を許して、寛げる人達なのね」
「ああ、そうだな。ここに帰ってくると、緊張してガチガチだった心が、溶けるんだ。だから、また元に戻すのが大変なんだけどな」
「そっかぁ…」
ふと、ユノアは俯きぎみになった。
「ねえ、ラピ。私、不思議なの」
「?…何が?」
「私が小さい頃住んでた村でもね、みんな農業をして、生計を立ててたの。みんな、疲れきってたわ。どんなに働いても、働いても、毎日食べていくだけで精一杯だった。同じ農業をしているのに、ここにいる人達は楽しそうなのね。…どうしてこんなに違うのかな。どうして私の村は、こうなれなかったんだろう」
ラピは少し考えて、答えた。
「…きっと、時代が変わったんだよ、ユノア。俺達だって少し前までは、希望も何もない毎日を生きてた。変えたのは、ヒノト王だ。…ヒノト王の夢を、知ってるか?国民全てが幸せになる国を造ることだそうだ。そんなこと不可能だって、笑う奴もいるかもしれない。でも俺は、王を信じる!ヒノト王なら、出来る気がするんだ。俺は王と一緒にその夢を追いたいんだ」
ラピの言葉は、ユノアの胸に深く刻み込まれた。