第三章:揺れ惑う心
軍事訓練を終えて、ぼんやりとしていたユノアに、ラピが声をかけてきた。
「ユノア。今日は、身体の具合でも悪いのか?お前にしては、動きが鈍かったぞ」
隣に腰を下ろしたラピに、ユノアは力ない笑顔を向けた。
「そう、かな…。そうかもね。前はもっと、やる気もあって、楽しく訓練してたからなぁ…」
思わずユノアは溜息をついていた。
「どうしたんだよ。何かあったのか?」
「別に…。大したことじゃないんだけどね…。ただ、目標が曖昧になっちゃっただけ。何のために頑張ってるのか、分からなくなったの…」
「何だよ。言ってたじゃんか。兵士として活躍して、出世したいんだろ」
「そう、だったんだけど…。なんか、馬鹿らしくなっちゃった。本当に出世できても、だから何なんだって。そう、思うようになって…」
「ふーん…」
ラピは立ち上がると、唐突に言った。
「ユノア。俺と勝負しようぜ」
突然の申し出に、ユノアは目をぱりくりさせている。
「え?」
「そういえば、ちゃんと勝負したことがなかったじゃんか。いいか。真剣で勝負だぞ」
ユノアの返事も待たずに、ラピは歩き出した。そして、片付けてあった剣を手に取ると、一つは自分が持ち、もう一つはユノアに向けて投げた。剣は、ユノアの目の前の地面に突き刺さった。
「ほ、本当にやるの?」
「ああ。さあ、立てよ」
ガイリはユノアを探していた。
今日の訓練での、ユノアのやる気のない態度に、ガイリは怒っていたのだ。
今後もあんな態度を取られたら、兵士全体の指揮にも関わる。それ程、ユノアの及ぼす影響力は甚大だからだ。
あの晩餐会で初めてユノアの舞を見てから、ガイリはユノアの存在に、ますます危機感を強めていた。
ユノアは、兵士として軍隊の中におくには、あまりに美しすぎるのだ。その美しさに心を惑わされる兵士が出てからでは遅い。軍の結束力に関わる問題だった。
ユノアには、もっと兵士という仕事に一途になってほしかった。それができないなら、これからもユノアのあの妖艶な魅力が失われないのなら、もう兵士として、訓練には参加させないと宣告するつもりだった。
厳しい表情で歩いていたガイリは、突然呼び止められた。
「ガイリ。どうしたんだ。そんな深刻そうな表情をして…」
それはヒノトだった。政務の間の休憩時間らしく、隣にはレダの姿もある。
「ヒノト王!いえ、あの…。軍の問題ですので…」
ヒノトは歩み寄ってきた。
「軍の最高責任者は俺だ。前からお前の表情が浮かないのは、その問題のせいなのか?いいから話してみろ」
ガイリは戸惑った。ヒノトが昔、ユノアを妹のように可愛がっていたことは、キベイ達から聞いていた。ヒノトに、ユノアの問題を話すのは気が引けた。
どうしたものかと悩んでいたガイリは、突如、空気を震わす殺気を感じて振り返った。
誰かが戦っているのだろうか。ガイリはその方向へ向かって走り出した。
ヒノトとレダも、ガイリを追って走り始めた。
ユノアとラピは、向かい合って対峙していた。
周りにいた兵士達が、何事かと集まってくる。
ラピが突然こんなことを始めた意図が分からず、ユノアは戸惑っていた。
だが、向き合うラピから発せられた殺気が、周囲の空気をパチパチと弾けさせている。
(ラピ…。本気だ…)
ユノアは気を引き締めて、構えを取った。
まず動いたのはラピだった。
頭上から振り下ろされた剣を受け止めたユノアだったが、そのあまりの重さに驚いていた。ユノアが受け止め損ねていたら、確実に頭を割られていただろう。
(ラ、ラピ…?)
戸惑いは、動きの遅れにつながった。
体当たりしてきたラピに、ユノアは倒されてしまった。
その胸目掛けて、ラピの剣が突き刺さってくる。ユノアは必死に身体を転がせて避けた。
素早い身のこなしで剣を避けながら、ユノアは何とか体勢を立て直した。
「やぁぁ!」
攻撃に転じたユノアの動きの早さに、ラピは圧倒された。
ユノアの攻撃を避けきれずに、ラピは頬に剣を受けた。
そのことに気付いたユノアは、思わず剣を止めた。
ラピはじろりとユノアを睨むと、今度は上空高くジャンプしてしまった。
上から見下ろしてくるラピの視線は、挑発的だった。ここまで来てみろと言わんばかりだ。
ユノアはその挑発に乗った。足に力を入れ、ラピの居る宙目掛けて飛び上がっていった。
ユノアが剣を突き上げる。ラピは渾身の力を込めて、その剣を受け止めた。
上空で激しい火花が散った。
びりびりと震える空気の振動が、地上で唖然として見守っていた兵士達にも伝わり、兵士達はどよめいた。
空中で剣を交えたユノアとラピの勝負は、ラピに軍配が上がった。
ラピの剣の重みに耐え切れず、ユノアは地上へと落とされてしまったのだ。
完敗だった。
地面に座り込んでいるユノアに、ラピが近付いてくる。
ユノアは残念そうな笑みを浮かべてラピを見上げた。
「負けたわ…。完敗よ。ラピ、あなた強いのね」
だが、ラピの顔に笑顔はない。
「…何へらへら笑ってんだよ。お前、負けたんだぜ。悔しくないのかよ。これが本当の戦なら、お前は死んでるんだぞ!」
ユノアは呆然とした。
「ラピ…」
「俺が強いだって?そんなこと、お前に言われたって、全然嬉しくねぇよ!お前は本気だったのか?お前が本気でくれば、俺なんかが敵う筈ないんだ!あのスラムでゲームをしたときも、お前には絶対敵わないと思った。…今も同じ気持ちだよ」
ユノアは何も言葉を返せないでいる。
「この世には、夢があっても、それを叶えるだけの能力がなくて、挫折していく奴なんて数え切れないほどいる。みんな、頑張って、頑張って、それでも無理で諦めるんだ。この軍隊にいる奴らもそうだ。みんな、何かしらの夢を持って、それを叶えるためにここにいる。俺だってそうだ。俺は、スラムにいるみんなの夢を背負って、ここにいるんだ」
ラピの声が、一段と険しくなった。
「ユノア。お前の態度を見てると、むかつくんだよ。お前には、天性の才能がある。お前は、世界中の、何万、いや、何百万って兵士が命をかけてつかもうとしている力を手にする能力があるんだ。なのに、さっき何て言った?馬鹿らしくなっただと?ふざけんな!…やる気がないなら、さっさと軍隊から出て行け!」
背を向けて、ラピは去っていく。
ユノアは愕然としていた。
ラピを怒らせる気なんて、全然なかったのだ。
ユノアは走り出すと、ラピの背中に飛びついた。
「ラピ!待って!…ごめんなさい。もう二度とあんなこと言わないから。もっと頑張るから。…お願い。私を見捨てないで。置いていかないで!」
ラピは怪訝そうに振り返った。
「見捨てるー?何言ってんだ、お前…。って、おい!何泣いてんだよ」
ユノアはぼろぼろと涙を流して泣いていた。ラピはすっかり動揺している。
もうユノアは、涙を止めることが出来なかった。
ラピの後ろ姿が、ヒノトが別れを告げて去っていく後ろ姿と重なったのだ。
「お願い…。私から離れていかないで」
泣きじゃくるユノアに困り果てて、ラピは苦い顔だ。
何しろ、周りにいる兵士達から、冷たい視線が突き刺さってくるのだ。
ラピはユノアの頭をポンポンと叩いた。
「何だかよく分からないけど…。こんなことで、お前を嫌いになったりしないよ」
せっかくラピから慰めの言葉を言ったというのに、ユノアの涙はなかなか止まらない。
ラピは居心地の悪さを我慢して、ユノアの側に立っていなければならなかった。
ヒノト、レダ、ガイリの三人は、少し離れた高台から、ユノアとラピの様子を見ていた。
ガイリは顔をしかめ、愕然としている。
「な、何だ…。あいつら…」
ユノアとラピが見せた驚異的な戦闘能力はともかくとして、親密そうな二人の間柄は、ガイリにとっては頭の痛い悩みとなりそうだった。もし、ユノアに好意を持つ兵士達が嫉妬でもすれば、本当に軍の中にいざこざが起きてしまう。
上司として、この二人をどう扱えばいいのか。ガイリは頭を抱えた。
混乱の極みにいるガイリは、つい不用意な発言をしてしまった。
「ヒノト様。ユノアの側にいるあの男…。ラピとは一体、ユノアの何なのですか?」
言ってから、ガイリは自分のとんでもない失言に気付き、真っ青になった。
ヒノトとユノアの昔の間柄は、今や周知の極秘事項なのだ。今、王宮内で、ヒノトにユノアの話をする者など、ただの一人もいない。
ヒノトの隣で、レダも顔を険しくさせた。
だがヒノトは、表情を変えることなく、不自然なほど穏やかな顔で答えた。
「ラピは、ユノアの友達だ。ラピは元々、スラムにいた子だろう。ユノアが飼っている鳥のチュチも、ラピがくれたものだった筈だ。まさかあの子が、軍隊にいるとはな…」
ヒノトは、泣き止まないユノアと、その側でユノアの頬を伝う涙を指ですくうラピ、二人の姿をじっと見つめた。
穏やかな表情とは裏腹に、ヒノトの周囲に渦巻く張り詰めた空気に、ガイリとレダは押し黙るしかなかった。