第三章:王妃の願い
ある日ユノアは、舞の稽古場へと来ていた。ジュセノス軍の兵士となったユノアだが、週に三回は時間を作って、舞の稽古をするようにしていた。
今や舞姫としてのユノアの実力は、誰もが認めるものだった。団体での舞のときは、一番先頭に立って舞うようになっていた。舞姫の看板ともいえる存在なのだ。
準備体操を終えたユノアが本格的に身体を動かし始めると、ティサや、先に練習を始めていた舞姫達は、それまでしていたことを中断して、ユノアを見守った。
最初は、一つ一つのポーズを確認していく。
足を背中側に回しながら海老反りになり、膝を折った状態で背中とくっつけ、右手を天に向かって伸ばす。
足をまっすぐに伸ばして身体を曲げ、足首を持つと、そのまま右足をあげて百八十開脚する。顔をあげ、左手を頬に添える。
膝を曲げ、尻が地面につきそうになるぎりぎりのところで止める。右足をゆっくりとあげていき、首の後ろに回した。その状態で制止し、両手を上下反対方向におく。
どれも、究極の柔軟性と筋力の強さを持つユノアだからこそできる技だった。そして、ユノアがやるからこそ、滑稽でなく、美しく見えるポーズでもあった。
見物していた舞姫達は、見ているだけで自分の身体まで曲がってしまいそうで、顔をしかめている。
ユノアを見守っていたティサが、ユノアの足の位置や、表情など、細かくアドバイスを出している。その通りにユノアが修正すると、一段と美しさに磨きがかかった。舞姫達は、ほぅっと溜息をついた。一流の彫刻品を見ているような気持ちだった。
ジャンプと回転を含んだ早い動きで、部屋をいっぱいに使って舞踊る練習に移った。
まさに、風が駆け抜けていくようだ。
ジャンプを踏み切るときの身体の軽さも、滞空時間の長さも、まるで重力がなくなってしまったかのようだ。
長い手足を伸ばして、空中でもポーズを決める。
複雑な動きが続くのに、ユノアの動きは、軽やかで、優雅だった。
「…綺麗ね」
舞姫の一人が、無意識につぶやいていた。
部屋中がユノアの舞に釘付けになり、その魅力に引き込まれていた。
ユノアが舞を終え、最後のポーズを決めたとき、静まり返っていた部屋に、突如、拍手の音が聞こえてきた。
拍手とともに入ってきた人物を見て、ティサを始め、舞姫達は驚き、慌てふためいて跪いた。
ユノアも、舞い終わったばかりで乱れた息のまま、目を見開いた。
「マ、マカラ様。このような場所においでになっては…」
頭をさげるティサの前に立っているのは、ジュセノス国王妃、マカラだった。
マカラは穏やかな笑みを浮かべ、腰まで届く豊かな黒髪をなびかせて、ティサを見下ろしている。
「いいのよ。私が来たいと駄々をこねたのだもの。ねえ、ベチカ」
ベチカと呼ばれた女は、マカラの後ろにひっそりと控えていた。マカラと同年代くらいのようだが、痩せぎすで、表情も乏しく、影のような女だ。マカラの問いかけにも小さく頷いただけだった。
ベチカはマカラ付きの侍女だった。マカラが幼い頃から遊び友達として側にいたが、マカラが成人になってからも、侍女としてマカラに仕えていた。
「…マカラ様。もう御用はお済みになったのでしょう。王妃様ともあろうお方が、このような場所にいつまでもおいでになってはいけません。お部屋へ戻りましょう」
「分かっています。でも、もう少し待って」
マカラはティサから視線を外し、部屋の中央にいたユノアを見た。
突然のマカラの登場に、呆然としていたユノアは、マカラの視線に気付いて、慌てて頭を下げた。
マカラは優雅に身体を返すと、ゆっくりとユノアの元に歩み寄った。
跪くユノアの側に、マカラも膝をつくと、後ろにいたベチカが金切り声をあげた。
「マカラ様!そのような身分の卑しい者の側になど、膝をつかれてはなりません!」
だがマカラは無視して、小鳥の囀るような声で語りかけた。
「ユノア、といったかしら。あなたの舞を、見させてもらいました。…素晴らしかったわ。今まで、何人もの舞姫を見てきたけれど、あなたの舞に、一番心を動かされました」
ユノアは頭を下げたまま、マカラの言葉を聞いていた。
身動き一つ許されない身体が、だんだんと震え始める。この時間から一刻も早く解放されることを、ユノアは願っていた。
「それでね。あなたにお願いがあるのよ。今度、私が開く晩餐会で、踊ってくれないかしら」
ユノアは顔を強張らせた。マカラの晩餐会となれば、もちろんヒノトも、来る筈だ。
だがマカラは、ユノアの戸惑いになど全く気付かない様子だ。
「最近、ヒノトの…。あ、いえ、王様の様子が変なのよ。お元気がないというか…。きっとお仕事でお疲れなのだろうけれど…。あなたの舞ならば、きっと王様の心を晴らして差し上げることが出来ると思うの。元々、王を癒すことが目的で始まった舞なのだし…。やってくれるわね」
ユノアはそっと視線をあげて、ティサに助けを求めた。マカラ一人ならまだしも、二人が揃って見ている前で踊るのは嫌だった。
ユノアの視線に気付いたマカラが、ティサを振り返った。
「ティサ侍女長。舞の師匠であるあなたの許可が必要なのかしら?」
ティサは慌てて首を振った。
「い、いいえ。とんでもございません。マカラ様のご意向でしたら、喜んで…」
ティサはユノアに向かって言った。
「ユノア。名誉なことよ。喜んでお受けしなさい」
ユノアは俯き、唇を噛み締めた。震える声で答える。
「仰せのままにいたします。王妃様…」
「そう!良かったわ」
マカラは機嫌よく笑った。
「そんなに緊張しないでね。内輪だけの小さな晩餐会にするつもりだから。王様と私以外には、キベイ、オタジ、ガイリ三将軍と、レダ大臣と、気心の知れている数人の大臣がくるだけよ」
小さな会だという割に、出てくる名前は大物ばかりだ。ティサは目を白黒させている。
「では、よろしく頼むわね。日時は追って知らせますから」
マカラに続いて、ベチカも部屋を出て行った。
二人がいなくなった途端、部屋の中の空気が軽くなった。中にいた女達は、一斉にはぁっと息を吐いて、身体を崩した。
「…びっくりしたぁ。来るなら、前もって知らせておいてほしいわよね」
皆の視線は、自然と一人に集中した。ユノアだ。
もう昔のこととはいえ、ヒノトの寵愛を受けていたユノアにとって、現在、ヒノトの妃として王宮に君臨するマカラからの申し出は、絶対に受けたくないものだったに違いない。
同情と好奇心の眼差しを受けながら、ユノアは立ち上がった。そしてまっすぐに部屋から出て行ってしまった。
「あ、ユノア…!」
ミヨは後を追おうとしたが、思いとどまった。
そして、部屋の隅で頭を抱えているティサの側に近づいていった。
「ティサ様。あの…」
「…?どうしたの、ミヨ」
「あの…。マカラ様は、もしや、ユノアとヒノト様の過去を知って、こんなことを言い出されたのでしょうか。ユノアに、その、意地悪をするために…」
ティサは溜息をつくと、じろりとミヨを睨んだ。
ミヨはびくりと身体を揺らすと、目を逸らした。
「マカラ様は、そんな意地の悪いお方ではないわ。恐らく、ユノアとヒノト様の過去はご存知ないでしょう。純粋にヒノト様を心配されて、舞の名手であるユノアに依頼されたのよ。…ユノアには辛いことかもしれないけれど、これでヒノト様の心が癒されるなら、頑張ってもらわなければ」
「癒される…?ヒノト様が、ですか?マカラ様の隣で、ユノアの舞を見て?」
ミヨの問いに、ティサはうーんと唸ったきり、また頭を抱えてしまった。