第二章:結婚式の日
その日は朝早くから、王宮だけでなく、マティピの街全体が喜びに湧きかえっていた。
今日は、ヒノトとマカラの結婚式が行われる日だ。二人の結婚が国民に知らされたのは、ほんの半月前のことなので、王の結婚式としては異例の速さだった。
マティピの街では、祭りの前のように、たくさんの料理と酒が用意され、人々の顔には喜びが満ち溢れている。
「良かったねぇ。ヒノト様が結婚されるなんて、こんなにおめでたいことはないよ」
「グアヌイ国との戦争で、瀕死の状態で帰ってこられたときには、王家はどうなるのかと思ったけど…。ヒノト様が結婚されて、お世継ぎが生まれてくれれば、一安心だな」
うんうんと、人々は頷きあっている。
王宮の鐘の音が、街中に鳴り響く。
ヒノトとマカラの結婚式が、無事に執り行われたことを示す、祝福の鐘だ。
マティピ市民の興奮は、最高潮に達した。
「ヒノト王とマカラ様が、馬車でお出ましになるぞ!」
我先にと競い合って、人々が道路へと押し寄せる。
道路には既に兵士が整列し、押し寄せる民衆の整理に必死だ。
「こらっ!それ以上前に出るな!」
「王様の乗った馬車はまだ来ないんだ。落ち着け!」
兵士達の怒鳴り声も、民衆の歓声にかき消されてしまう。
再び、王宮の鐘が鳴り響く。
そして遂に、民衆が待ちに待ったヒノトとマカラが乗った馬車が、王宮を出発した。
吹き鳴らされるラッパの音とともに、ヒノト達一団が道路を進んでいく。
銀製の甲冑に身を包んだ騎馬兵四人が先導し、その後に、観衆に向かって花を巻く美女達が続く。そして、ラッパなどの楽器を演奏する音楽隊。音楽に合わせて踊る踊り子達。
その後にようやく、白馬の引く馬車が現れた。
ヒノトは、ジュセノス国王の正装である、青生地に黄金の刺繍の入った服装をしている。その隣で幸せそうな笑みを満面に浮かべるマカラは、純白のウェディングドレスに身を包んでいる。
マカラの着るドレスを見て、街の娘達は思わず溜息をついた。
「何て素敵なドレス…。あーあ。私も一度でいいから、あんなドレスを着てみたいな…」
「馬鹿ねぇ。マカラ様が着るから、あんなに素敵に見えるんじゃない。あんたが着たって、ブタに真珠よ」
「な、な、なんですってぇー!」
祝福の声の中には、このように、マカラへの嫉妬の声も少なからず混じっていたに違いない。
だが、嫉妬を受けても仕方ない程に、マカラは幸せそうだった。それもその筈だ。国中の乙女の憧れの的である、若き国王、ヒノトと結婚したのだから。
国王としての決断力、行動力は、既に臣下と国民に認められている。その上ヒノトは、優しさと思いやりも持ち合わせている。国王としても、夫としても、ヒノトは素晴らしい男性だ。
それだけではない。マカラは物心ついたときから、ヒノトを愛していた。自分が結婚するならば、ヒノトしかいないと心に決めていた。
親同士が決めた許婚とはいえ、ヒノトが本当に自分との結婚を望んでいるのか、マカラはずっと不安だった。自分は身体が弱いし、ヒノトははっきりとマカラを好きだと言ってくれたことは、一度もなかったからだ。
ヒノトがプロポーズしたことは、マカラにとって思いがけないことだった。突然のことで、心の準備など全くしていなかった。
最初は信じられなかった。だがヒノトが、マカラの大好きな優しい眼差しで見つめ、抱き締めてくれた。マカラはこのまま死んでもいいと思うほどの幸福に浸った。
ヒノトはもしかしたら、今回の戦いで大怪我をしたことで、身を固めなければならないと思ったのかもしれない、ともマカラは思っていた。国王として必要に迫られての結婚だとしても、ヒノトは自分を選んでくれたのだ。マカラはその事実だけで充分満足だった。
民衆に手を振りながら、マカラは隣にいるヒノトを見上げた。ヒノトはマカラの視線に、優しく微笑んで答えた。
ヒノトとマカラの乗った馬車は、マティピの街の中心部にある広場に到着した。
マティピの象徴である女人像が、穏やかな笑みを浮かべて二人を出迎える。
二人は馬車を降り、広間を囲む建物の一つの中に入っていった。ヒノトに手をとられて進むマカラの純白のドレスの裾が、太陽の光を受けて眩いほどに輝いている。
最上階に着き、二人はバルコニーに出た。
二人を出迎えたのは、広場を埋め尽くす民衆の賛辞の声だった。
「ヒノト王様!おめでとうございます!」
「マカラ様。この世で最も美しく、幸福な花嫁よ!」
「どうか、お二人の未来に幸あれ!」
マカラの目に涙が溢れた。マカラは、ヒノトにそっと寄り添った。
「ヒノト…。私は、今日の日を決して忘れないわ。この幸福をくれたあなたを、一生愛すと誓うわ」
ヒノトはにっこりと笑い、マカラの肩を強く抱き寄せた。
二人は民衆の声に答え、手を振る。そして、二人は見つめ合い、口付けを交わした。
広場に集まった民衆がどよめく。
マカラは頬を赤く染め、ヒノトの胸の中に顔を埋めた。
ユノアは、広場の隅から二人を見つめていた。二人の姿は小さな粒ほどにしか見えないが、それでも、二人が口付けを交わし、抱き合う様子ははっきりと見てとることが出来た。
覚悟していたとはいえ、ユノアには辛い光景だった。
胸が痛い。あまりに痛くて、息を吸うことも出来ない。
それでもユノアは、幸せそうな二人から目を離すことが出来なかった。
いや正確には、ヒノトからだ。ヒノトが今、マカラに向けている笑顔は、つい一ヶ月前まで、当たり前のようにユノアが受けていた笑顔と一緒だった。
目から大粒の涙がこぼれ落ちていたことに、ユノアは気付かなかった。涙で視界がぼやけても、ユノアはヒノトを見つめ続けた。
「ユノア…」
いつの間にか後ろに来ていたミヨが、ユノアを呼んだ。
振り向いたユノアの大粒の涙を見て、ミヨの目にも涙が溢れた。
「ああ、ユノア…。可哀想に」
ミヨがユノアを強く抱きしめた。ユノアもミヨに抱きついて、擦れた声を上げた。
「ミヨ…。胸が痛いの。痛くて、痛くて、息ができない。…苦しいの」
「ユノア…」
ミヨも声を震わせた。
「ユノア。あなたは、愛していたのね、ヒノト様を…。兄としてなんかじゃなく、一人の、男性として」
ユノアは目を見開いてミヨを見つめた。
「…愛?これが、愛なの?ヒノト様は、マカラ様を愛していると言っていた。それと同じ気持ち?」
ユノアの目が戸惑いに揺れる。
「…愛って、何?ヒノト様とマカラ様は愛し合っていて、あんなに幸せそうなのに、どうして私はこんなに辛いの?同じ愛なのに、どうしてこんなに違うの?」
「ユノア…」
ミヨが痛ましそうに顔を歪めた。
ユノアの目から、再び大粒の涙が溢れた。
「この気持ちをどうしたらいいの?ヒノト様は、もうあの人のものになってしまったのに。あの笑顔はもう、私のものじゃないのに!」
悲鳴のようなユノアの叫び声だった。
ユノアの肩にいたチュチにも、ユノアの悲しみに満ちた心が伝わったのか、身を縮め、羽毛を逆立てて、身体を震わせている。
だが、ユノアの声は、民衆の歓声にかき消され、ミヨにしか聞こえなかった。
ヒノトの耳には、決して届かなかった。