第二章:レダの進言
王宮に着いてから、ずっとヒノトの側を離れようとしなかったマカラが、ようやく自分の部屋へと戻っていった。
ほっとした気持ちで、ヒノトはベッドに身体を埋めた。
マカラと一緒にいることで、こんなにも気疲れする自分に、驚いてもいた。昔は兄弟同然に、何をするにも一緒だったのに。一生マカラと過ごすことになるだろうことに、何の疑問ももっていなかった筈なのに。
ふうっと息を吐いて、ユノアは側にいたティサに尋ねた。
「ティサ…。ユノアはどうしてる?」
「分かりません…。私は今日はずっとこの部屋におりましたから。ですが…。私も気になっていたのです。マカラ様が帰ってこられて、ユノアも混乱しているでしょう。ここへ連れてきましょうか?」
「ああ、頼むよ」
ティサが出て行くのを見送りながら、ヒノトは気が落ち込むのを感じていた。
ユノアに、何と言えばいいのだろう。マカラが婚約者だということは、ユノアは既に知っているに違いない。
(俺は、どうしたいんだ?)
ふと、ヒノトは自分自身に問いかけた。
ユノアを探して王宮内を歩いていたティサは、前から来る人物に気付いて表情を明るくした。
「まあ、レダ様!」
だが、近付いてきたレダの表情が暗く曇っていることに、ティサは気付いた。
「レダ様?何か、悩み事でも?」
ティサにそう言われたことに、よほど驚いたらしい。レダは慌てて笑顔を取り繕った。
「ヒノト様の意識が戻ったそうですな。今まで一度も伺わずに申し訳ない…。ぜひ、お会いしたいのですが、よろしいですかな?」
「ええ!もちろんですとも。ではどうぞ、ヒノト様のお部屋へお行きください。マカラ様も部屋へ戻られて、今はヒノト様お一人でいらっしゃいますので」
「ティサは、どちらへ?」
「私は、ユノアを呼んでくるように、ヒノト様に言われておりますので」
ティサの言葉に、レダは表情を険しくした。
ティサはぎくりとして怯えた。
「レ、レダ様?」
「ティサ…。どうかこのまま私と一緒に、ヒノト様の部屋へ戻ってください」
「え。で、でも…」
「いいから!私の言う通りにしなさい」
レダの目には、人を威圧する圧倒的な力があった。それはとても、ティサが抵抗できるものではなかった。
ドアの開く音がして、ヒノトはそちらを見た。
だが、入ってきた人物が、自分の予想とは違っていたので、戸惑いを隠せなかった。
「レ、レダ!レダじゃないか!」
「ヒノト王…。無事に回復されたこと、心から嬉しく思っております」
「ありがとう…。心配をかけたな」
「いえ…。私は何の役にも立てませんでした」
「そんなことはない。俺の回復を願ってくれた皆の想いが、俺を助けてくれたのだ」
ヒノトは落ち着かない様子で、ティサに尋ねた。
「ティサ。ユノアはどうした?」
ティサはびくりと身体を揺らした。
「あ、あの。それが…」
不思議そうにしているヒノトに、レダが言った。
「私がティサに言ったのです。部屋に戻るようにと」
「レダ…?」
「ヒノト様。お話したいことがあります。しばらくお時間をいただけるでしょうか?」
真剣なレダの目に、ヒノトも表情を引き締めた。
「ああ…。そこに座るといい」
「ありがとうございます」
レダは椅子に腰掛けた。ティサは気配を殺して、レダの後ろに佇んでいる。
「ヒノト様。ユノアと会うことは、もう止めていただきたいのです。ここへ来る前に、私はユノアに会いました。ユノアには既に、私の考えを伝えてあります」
突然のレダの発言に、ヒノトは目を剥いた。
「な、んだと…?」
「元々、ヒノト様とは身分不相応な娘です。ユノアとの関係はこれまでにして、マカラ様を大切になさってください。王宮の秩序も、これで元通りになることでしょう」
「黙れ、レダ!」
病み上がりとは思えぬ力強い声が、室内に響き渡る。「…何様のつもりだ?王である私のプライベートな問題に、家臣であるお前が口出しするつもりか?」
「私は、自分の考えが万が一にも間違っているとは思っていません。だからこそ、行動を起こしたのです」
「貴様…!ユノアに何を言った!」
「ヒノト様は、マカラ様と結婚される。ユノアがヒノト様の側にいれば、お二人の邪魔になるのだと、そう言いました。ユノアは傷ついたようでしたが、反論はしてきませんでした。きっとユノアも、私の考えを理解し、同意してくれたのでしょう」
ヒノトは怒りに身体を震わせている。
「勝手なことを…!俺の了解も得ずに!」
「ではヒノト様!あなたは、どうするおつもりだったのです?」
声を荒げたレダに、ヒノトは思わず口をつぐんだ。
「あなたは以前、マカラ様が王宮に帰られ次第、結婚するとおっしゃっていた。マカラ様との結婚を、取りやめるおつもりだったのですか?」
「そ…!そんなことはない。俺がマカラを妻にするという気持ちに、…変わりなどない」
「そうですか…。では、ユノアを側室にするおつもりだったのですか?」
「レダ?」
ヒノトは顔を赤くした。
「お前の言うことは、極端過ぎる!何故そんな話になるんだ」
「では他に、どんな方法があるというのです!」
ヒノトは反論できなかった。
「ヒノト様がユノアをこのまま側におきたいというのなら、そうするしかないでしょう。妹などというあやふやな言葉で、マカラ様が納得するとでもお思いですか?」
「…だがそれは、俺の本当の気持ちだ。俺はユノアを、実の妹のように大切に思っている」
「妹、ですか?本当に?あなたはたった一度でも、ユノアを女として見た事はないのですか?」
ヒノトの脳裏に、ユノアの肌に、唇に触れた日の記憶が鮮やかに蘇る。あの日、身体を走り抜けた衝撃。あれは本当に、妹を想う兄としてのものだったのか?
ぷいと顔を背けてしまったヒノトに、レダは言葉を続けた。
「お忘れですか?ヒノト様…。ユノアを側に置くことになった本来の目的を。それは、ユノアの正体を見極めることでした。ユノアが、このジュセノス王国にとって有益な存在となり得るのか、否か…。その答えは、見つかったのですか?」
「…ユノアが邪悪な存在でないことは、もはや疑いようもない。ユノアは本当にいい子だ。純真で、健気で…。あの子がこの国に害を及ぼすことは、絶対にない」
「ですが、ユノアが原因で、ヒノト様とマカラ様の仲に亀裂が生じるようなことがあれば、あなたがユノアを王宮へ連れ帰った判断は間違っていたということになります」
「だから…!そんなことは有り得ない!」
レダの後ろで、ティサが恐ろしそうに身を竦めた。
「俺は、マカラを妻にする。さっきから、そう言ってるじゃないか!さっきまでずっと側にいてくれたマカラは、俺のことを愛してくれている。その気持ちは俺に伝わったし、…俺もマカラのことを愛しているのだと、再確認したんだ」
「では、ユノアと離れるのですな。ヒノト様…。あなたが家族が欲しいと思われているのならば、これからはマカラ様がその役目を見事に果たされることでしょう。ユノアの本質も見極められた今、ヒノト様がユノアを側に置かれる理由は、何一つ残っていはいません」
「…。まだ、ユノアのことが全て分かったとは言い切れない。ユノアに秘められた未知なる力は、何も解明できていない」
「…そのことは、ヒノト様がユノアと、毎夜ベッドと共にして眠らなければ、分からないことなのですか?」
ヒノトは唇を噛み締めた。レダへ反論できることは、もう何もなかった。
黙りこんだヒノトを見て、レダは立ち上がった。ヒノトに向かって、深々と頭を下げる。
「…ヒノト王様。家臣の分際で、失礼な意見ばかり申し上げた無礼を、どうかお許しください。今夜はこれで帰ることにいたします」
部屋を出て行くレダに、ヒノトは声をかけなかった。
静まり返った部屋の中で、ティサは居心地悪そうに身体を小さくしている。
「ティサ…」
突然名前を呼ばれて、ティサは飛び上がった。
「はい!ヒノト様」
声を裏返させながら駆け寄るティサに、ヒノトは尋ねた。
「ユノアは、大丈夫だろうか?俺が側にいなくても…」
「…ええ、きっと大丈夫ですよ。ミヨという親友もいますし、他の王宮の人間達とも、打ち解けているようです。ヒノト様のおかげで、あの子はこの王宮に、自分の居場所を見つけたのですよ」
ティサはヒノトを励ますつもりで言ったのだが、その言葉はヒノトの心に突き刺さった。
「そうだな…。ユノアはもう、俺がいなくても、いいんだよな」
「え。え?ヒノト、様…?」
「ティサ。もう下がっていいぞ。俺は寝る」
ティサは自分の失言に気付き、何とか取り繕う言葉を探したが、思いつくことは出来なかった。
「はい、では…。お休みなさいませ」