第二章:冷酷な願い
「私、行くわ」
再びユノアが歩き出そうとした。その時だった。
「行かせるわけにはいきませんな」
はっとして振り返った二人の視線の先にいたのは、レダだった。
一体いつからそこにいたのだろう。全く気付かなかった。
目を見開いて、じっと見つめてくるユノアの視線など全く気にしていない様子で、レダはゆっくりと歩み寄ってきた。
ユノアは震える足を必死に踏ん張って、レダを睨んだ。肩に止まっていたチュチも、緊張したように身体を強張らせ、すぐにでもレダに飛びかかれるような体勢を取っている。
レダは表情を全く動かすことなく、ユノアを見つめ返した。
「…行かせるわけにはいかないって、どういうことですか?私がヒノト様に会いに行っちゃ、いけないっていうんですか?」
「ええ。そうです」
レダは決してユノアから目を逸らさない。その目は、冷酷にさえ思えた。
「…昨日まで、ずっと側にいたのに。どうして今、ヒノト様の側に行っちゃいけないんですか?あなたに、私を止める権利なんてない筈です!」
涙ぐんでレダを睨むユノアの姿は、ミヨでさえ息をのむほど美しかった。だが、レダは全く心を動かされていないようだ。
抑揚のない声で、言い放つ。
「ヒノト様があなたを側に置いたのは、得体の知れないあなたを側で観察し、実体を見極めるためです。それがいつの間にか、情が移り、確かに妹同然に可愛がっておられた。…ヒノト様は寂しかったのですな。家族が欲しかったのです。それに、我々家臣は気付くことができなかった。そんな時、あなたのように可愛らしい妹が出来れば、ヒノト様の情が移ったのも、仕方のないこと。ですが、あなたがヒノト様の側にいる必要は、もうなくなったのです」
「どういう、こと…?」
「マカラ様が帰っていらっしゃいました。ヒノト様が家族を欲していらっしゃるのなら、私はすぐにでも、その願いを叶えようと思っています。私の言っている意味が分かりますか?私はヒノト様に、マカラ様と結婚されるよう、お勧めしようと思っています」
それは、ユノアが一番聞きたくない言葉だった。そしてまさか、こんなに早く聞くことになるとは予想し得なかったことだった。
「ヒノト様は、きっと私の勧める通りにされるでしょう。元々ヒノト様は、マカラ様が王宮に戻られ次第、結婚されるおつもりでした。それが、ヒノト様の母君の願いでもあるからです。そしてマカラ様は、ジュセノス王国の王妃となられるのに充分な素質をお持ちです」
レダは一度言葉を切った。ユノアの様子を窺っている。ユノアはもう、顔を上げることさえ出来なかった。涙が目に溢れ、視界はぼんやりとぼやけている。
「今あなたが、ヒノト様の側に行かれたら、マカラ様はどう思われるでしょう。マカラ様は、あなたの存在もご存知ではないのです。例え一時とはいえ、ヒノト様がベッドを共にし、家族同然に過ごした女性がいると知れば、不快に思われるかもしれません。そのことでヒノト様とマカラ様の間に亀裂が生じることを、あなたは望むのですか?」
「レ、レダ様!」
それまでおろおろとレダとユノアを見守っていたミヨが、我慢の限界だと言わんばかりに、二人の間に割り込んだ。
ミヨは、今は立っているのがやっとという状態のユノアを、庇うように抱き締めた。
「レダ様。あんまりです。ユノアが、ヒノト様の幸せの邪魔になると言われるのですか?」
「その可能性も有り得る」
きっぱりと言い放ったレダに、ミヨは絶句した。
「ユノア。あなたが本当にヒノト様を想い、王宮に迎え入れてくださった恩を返したいと思うならば、今後、ヒノト様には近付かないでください。…元々、ヒノト様とあなたは、言葉を交わすことさえ憚られる身分の違いがあるのです。ヒノト様と過ごした日々は、夢幻だったのだと思えばいいでしょう」
遂にユノアは、立っていることが出来ず、その場に膝をついた。
ミヨもすぐに膝を折って、再びユノアを抱き締めたが、もうレダの顔を見ることは出来なかった。
二人の上から、レダの声が降ってくる。
「ユノア…。あなたに酷なことを言っていることは分かっています。ですが、私がヒノト様を想う気持ちは、あなたと同じの筈…。あなたなら、私の願いを理解してくださるでしょう」
レダが去っていく足音がする。
うな垂れたままのユノアに、ミヨが声をかけた。
「ユノア…。大丈夫?」
だが、ユノアは返事を返さなかった。