第二章:命を救う戦い
ヒノトの部屋は、どんよりとした空気に包まれていた。部屋にいる誰もが悲痛な表情をし、誰も一言も声を発そうとしない。
そんな時、バルコニーからガタンと大きな音が聞こえてきた。皆、酷く驚いて、一斉にバルコニーに目を向けた。
窓から、光の固まりが入ってきたようだった。部屋の中が暗かった分、その光がとても眩しく思えて、皆、目を細めた。
最初に声を上げたのは、ミヨだった。
「ユノア!」
ティサは驚きのあまり、声を出すことが出来なかった。
死んだと思っていたユノアが、そこにはいた。夢ではないのかと、目を擦らずにはいられなかった。
だが、部屋の中の空気になど感心を向けず、ユノアはまっすぐに、ヒノトの眠るベッドに近づいていく。宙を舞っていたチュチが、ばさりと羽音をさせながら、ユノアの肩に止まった。
ようやく人々は、ヒノトの後ろにいる人物に気がついた。
戸惑う人々の前で、キサクはユノアの視線に見送られながら、ヒノトの側に跪いた。
ヒノトの傷の様子、顔色、体温、瞳孔、脈などを、念入りに調べていく。
医師の一人が、はっとしたようにキサクに対して詰め寄ってきた。
「キサク殿!何をしておられる。いくらあなたが民の間で名医と崇められていようとも、所詮、街医者。ヒノト王の身体に触れるなど、滅相もないことですぞ。」
だが、いきり立つ医師など無視して、キサクはユノアに頷いて見せた。
「何とかなるかもしれません。薬草を煎じてみましょう」
木箱を開け、薬草を選び出すと、キサクはそれを煎じ始めた。
「いい加減にしなさい!衛兵を呼んで、退出させてもいいのですぞ!」
額に青筋を立てている医師の前に立ちはだかったのは、ユノアだった。
ついさっき、ユノアの不思議な行動を目の前で見ただけに、ユノアにじろりと睨まれただけで、医師は怯んでいる。
「キサクさんは、ヒノト様を治療しようとしてるんですよ。何故、邪魔するんですか?」
「…そんな、一介の街医者などが煎じた薬草など使って、万が一のことがヒノト王にあればどうするのですか!万人が認める治療法でないのならば、認めることはできません」
「でも、万が一でもヒノト様が助かる方法があるならば、それにかけてみたほうがいいでしょう?このままじゃあ、ヒノト様は死んでしまうんですよ」
ヒノトが死ぬ。誰もが口に出すことをはばかっていた言葉を言われて、医師は完全に怯んでいる。
張り詰めた空気の中、拍手を始めた人物がいた。ティサだった。
「ユノアの言う通りですわ。今一番大切なことは、ヒノト様をお助けすること。王宮の秩序など、重んじている場合ではありません。キサク様が方法があると言われるなら、私も試してみるべきだと思います」
侍女長であるティサの発言は、さすがに医師の心に響いたらしい。後に責任を取られたとき、ティサの擁護も得られるという打算もあるかもしれないが、医師はようやく頷いた。
「分かりました。皆さんがそこまで言われるのなら…。ですが、何の薬草をどのように使ったか、きちんと記録させていただきますぞ」
キサクは、どうぞご勝手に、という様子で、できた薬をヒノトの傷口に塗りつけた。
そして、キサク特製の薬草オイルを手に取ると、ヒノトの全身をマッサージし始めた。
キサクのマッサージは一時間も続いた。すると、今まで青白かったヒノトの身体に血の気が戻り、大量の汗もかいている。
息を切らしたキサクが、もう一度傷口を確かめると、出血が止まっていた。それを見ていた医師達の目が、驚きで見開かれた。
キサクはティサに目を向けた。
「これからは、高熱がしばらく続くでしょう。汗が出るので、こまめに服を取り替えてください。水分の補給も忘れずにお願いしますよ」
「は、はい。分かりました」
「…少々疲れました。また三時間後にマッサージをしますが、それまで、私も眠っておくことにいたしましょう」
部屋から出て行くキサクを、誰もが唖然と見守っていた。
ユノアは急いでヒノトの様子を窺った。治療前とは違い、明らかに血色がよくなっている。
「すっ、ごい…!」
希望の光が見えた気がした。キサクならば、ヒノトを助けることができるかもしれない。
笑顔で顔を上げたユノアは、目の前にいたティサと目が合った。ティサの表情も明るい。その目には、涙が浮かんでいる。
キサク様を連れてきてくれてありがとう。そんなティサの声が聞こえてくるようだ。ユノアは満面の笑顔で、ティサの視線に答えた。