第二章:国境の火種
会議中の政務室のドアが突然開け放たれた。入ってきたのはキベイだった。
白熱していた会議を中断され、大臣達はあっけに取られてキベイを見ている。
ヒノトも顔をしかめた。規律にうるさいキベイが会議に乱入するなど、前代未聞のことだった。
ヒノトの声も荒くなる。
「何事だ、キベイ!」
キベイはすぐにヒノトの前に跪いた。
「ご無礼をお許しください、ヒノト王!実は、つい先程、ガイリが帰ってきました」
「ガイリ?」
思いがけない名前を聞いて、ヒノトはあっけに取られている。
「グアヌイ王国との国境線を守っている筈のガイリが、何故戻ってきたのだ」
キベイは表情を険しくして声を大きくした。
「話は直接、ガイリからお聞きください!ガイリは謁見の間でヒノト様をお待ちしております。すぐにお越しを!」
キベイの表情にただならぬものを感じて、ヒノトはすぐさま立ち上がると、早足で政務室から出て行った。
謁見の間に入ったヒノトを出迎えたのは、戦闘用の甲冑に身を包んだガイリだった。ガイリの身体は土や埃にまみれ、服のあちこちがぼろぼろになっている。
このガイリこそ、ジュセノス王国の三鬼将軍の最後の一人である。歳は、ヒノトよりも一つ年下の、若干十七歳。その若さで将軍に抜擢されたのは、天才的ともいえる剣の腕前を買われてのことだった。
普段は表情のない男だが、ひとたび戦場に立つと、敵兵を切り倒すその顔には、笑みが浮かぶという。将軍にならなければ、殺人鬼になっていたのではないかと陰口を叩かれることもある程だ。
だが、味方となれば、これ程心強い存在はなかった。ヒノトがガイリに、グアヌイ王国との国境の警備を任せたのも、ガイリの統率力と精神力の強さを信頼してのことだった。
ヒノトは王の席につくと、早速ガイリに尋ねた。
「ガイリ、久しぶりだな。だが、再会を喜んでいる時間はなさそうだな。一体、何があった」
ガイリは殺気をおびたままの目で、ヒノトを見つめてきた。
「ヒノト王。グアヌイ軍が国境線を越え、我が領域内に攻め込んで参りました。我が軍が駐屯していたゴザの街では、既に戦闘が始まっております」
「な、んだと…!」
ヒノトは顔色を変えた。周りにいたキベイやオタジ、大臣達も騒然となった。
「どうしてだ!何故突然、そんな事態になった!」
ガイリは唇を噛み締め、うなだれた。
「私の監督不行き届きです。申し訳ありません…。ゴザでは、グアヌイ王国との貿易が行われていました。ですが最近では、グアヌイ王国の商人の態度が横柄で、我が国の商人は、利益の出ない無茶な取引を強要されていたそうなのです。私も商人からそんな苦情はたびたび受けていたのですが、今はグアヌイ王国との関係が難しいときだから、我慢してくれと言い続けてきました。ですが…。遂に我が国の商人の我慢も限界に達したのでしょう。グアヌイ王国の商人と、言い争いを始めてしまったのです。そのことを聞きつけた我が軍の兵士が、争いを収めるために駆けつけました。ですが何の手違いがあったのか、兵士が、グアヌイ王国の商人を殺してしまったのです」
ヒノトは険しい表情のまま、黙ってガイリの報告を聞いている。
「報復だと言って、グアヌイ軍が攻め込んできたのは、それから二時間も経たない間のことでした。何とか第一陣は食い止めましたが、援軍が向かっているという情報を得ています。その数、一万!ゴザに駐屯している軍だけでは防ぎきれません。ヒノト王、なにとぞ援軍を!」
始めは興奮したように、顔を赤くしてガイリの報告を聞いていたヒノトだったが、今は冷静さを取り戻し、椅子に深く腰掛けている。
ヒノトが言った。
「グアヌイ軍の対応が、早過ぎるな」
キベイもすぐに、ヒノトの言葉に同調した。
「私も同感です!もしや奴らは、故意に今回の騒ぎを引き起こしたのでは…」
ヒノトは口元を歪めて笑った。
「策略好きの、リュガ王らしいやり方だな!」
ヒノトは立ち上がった。その目が怒りに燃えている。
「ゴザに援軍を出す!まずは第一陣は二千の兵を連れて、オタジ、お前が行け!その後に八千の兵を連れて、私がゴザへ行く!」
ヒノトの命令を聞いて、その場はどよめいた。
キベイが血相を変えて進言する。
「ヒノト様!王自ら行かれるような戦ではございません。私共将軍に任せて、王は王宮で吉報をお待ちください」
だがヒノトはきっぱりと首を振った。
「いや、私も行く。私が行かなければ、リュガ王にますますなめられるだろう。グアヌイ王国に対して、我がジュセノス軍がいつでも百パーセントの軍備で対応できるのだということを見せつけておかなければ」
ヒノトはキベイを見つめた。大丈夫だと、宥めているような目だ。
「キベイ。お前は王宮に残って、軍の物資の供給と、王宮の守りを固めてほしい。お前にしか頼めないことだ」
ヒノトがどうしても戦に行くというのなら、せめてすぐ側で守ろうと考えていたキベイだった。ヒノトのこの提言に、絶句している。
だが遂に、キベイも頷いた。
「承知いたしました。全て、王の御心のままに…」
キベイの言葉と同時に、オタジが謁見の間から飛び出していった。部屋の外から、オタジの大きな声が聞こえてくる。早速、出陣の準備を整えているのだ。
オタジの後に続いて、大臣達も慌しく部屋から飛び出していった。
ヒノトは再び椅子に座ると、ゆっくりと目を閉じた。ざわめく部屋の様子とは反対に、ヒノトの意識は静かな瞑想の世界へと沈んでいく。
ヒノトの前には、ハルゼ王の姿があった。グアヌイ王国へと友好のために出掛ける父王を、ヒノトは門の外まで見送った。
「すぐに帰る」と笑顔で手を振り、遠ざかっていった後ろ姿が、今目の前に見えているかのように、鮮やかにヒノトの脳裏に浮かんだ。
(絶対に、負けるものか)
ヒノトは目を開けた。その目の中にあるのは、燃えあがる闘争の炎だった。