第二章:危険な予感
ようやく客達の関心の的から解放され、盛り上がる会場の雰囲気を感じながら、再び料理を口に運んでいたヒノトに声をかける者がいた。
「ヒノト王」
ヒノトが振り返ると、そこにはレダがいた。ヒノトは表情を明るくした。
「おお、レダか!ここに座れ」
ヒノトの隣に元々座っていた大臣は、遠くの席で客達との話に夢中になっている。レダはその大臣の席に腰を落ち着けた。
「驚いた。また、自分の娘を売り込みにきた客の一人かと思ったぞ」
レダは笑った。
「そうですな。遠くから拝見しておりましたが、随分とおモテになっているようでしたので、今夜はヒノト様と会話することを諦めておりました」
「まあ、俺も覚悟はしていたがな。それにしても、参ったよ」
「それで、ヒノト様のお気に召す娘はおりましたかな?」
レダの問いかけにヒノトは答えず、乾いた笑い声をあげただけだった。
「なあ、レダ…。お前はどう見た?今日の宴に来たこの客達は、俺を王として認めていると思うか?」
レダは視線を客達に向けた。客達は、酒を飲み、料理を食べ、美しい音楽に耳を傾けて、この豪勢な宴を心から楽しんでいるように見える。
「ハルゼ王の御子は、ヒノト様、あなたしかおられませんでした。あなたが王になるということは、ずっと前から国中の誰もが認めていたことなのです。ハルゼ王の弟君、あなたの叔父上が起こした内戦も、あなたは見事に収められました。あなたがこのジュセノス王国の王だということを認めぬ者など、この場にも、国内にもおりはしないでしょう」
「そうではない。俺が知りたいのは、そういうことではないんだ、レダ…」
レダは黙って、ヒノトの言葉に耳を傾けた。
「父上は、…ハルゼ王は、民に心から慕われる王だった。大臣からも、軍隊からも、国内のどの有力者も、父上を王として敬い、父上の命令には何の疑問も持たず従っていた。父上がどんなに王として優れた方だったか、俺はよく知っている。俺は父上の全てを引き継ぎたかった。だが父上からそれを学ぶ前に、父上は逝ってしまわれた…。俺には分からないんだよ。レダ。王とは何だ?どのように行動すれば、民に心から慕われる王になれる?ここにいる客達は、大臣は、将軍は、俺を本当に王として敬っているのか?」
レダはようやく口を開いた。
「ヒノト様。あなたはまだお若い…。ハルゼ王に敵わぬことなど、あって当たり前です。私は、あなたは十分によくやっておられると思っています。内戦の混乱の後で、よくぞここまで国内を治められました」
「…俺もそう思っている。俺は王としての責務を果たしていると。だが、不安になるんだ。確証が欲しくなる。だから、この宴を開いたんだ。国中の有力者が、俺を認めているのか、それともまだ若造だと思っているのか。そのどちらにだとしても、俺は知りたかった。皆の心の内を。例え王と認められていないにしても、それならそれでいい。もっと頑張らなければと、自分を奮起させようと思っていた。だが…。俺には、分からなかったんだ。皆が何を考えているか。どれだけ笑顔で話しかけられても、俺はその笑顔を信じることが出来なかった」
ヒノトは寂しそうに、目の前の客達を見つめた。
「こんなにたくさん、人がいるのにな。俺は、一人ぼっちのような気がする」
レダは顔をしかめた。
「ヒノト様。全ての人間の心を知ることなど、不可能なことです。そしてヒノト様の心の内を他の者が知ることも、また不可能なのです。王として、ジュセノス国民の全ての希望に答えたいと思っておられるのかも知れませんが、それは不可能です。ヒノト様の悪口を言う者もいるかもしれません。ですがそれは、仕方のないことなのです。それを笑って聞き流す度量の大きさが、王には必要なのですよ」
レダがどれだけ力説しようとも、ヒノトの顔は暗いままだった。
王の孤独。国の頂点に君臨する者が、必ず抱える問題だが、ヒノトがこれ程までに孤独を感じ、心を病んでいたとはレダも気付かなかった。
今のヒノトが、本当のヒノトの姿なのかもしれない。これまで、突然死んでしまった父王に代わり、皆の期待を一身に背負って走り続けてきた。
出来すぎといえるほど、見事に責務を果たしてきたが、だがその裏で、ヒノトはずっとこうして孤独に耐えてきたのだろう。
その孤独から解放されることを願って開いたこの宴で、ヒノトは改めて、己の孤独を思い知ってしまったのだ。
これ以上、ヒノトにかけてやる言葉を、レダは思いつかなかった。ヒノトはぼんやりと盛り上がる宴を見つめたまま、酒を飲み続けている。
宴も終盤を迎えていた。
ふと、会場の雰囲気が変わった。会場を明るく照らしていた松明の半分が消され、音楽も変わった。いつの間にか、楽師が変わっている。手に持つのは、ジュセノス王国に古くから伝わる伝統楽器だ。
ゆったりとした音楽にのりながら現れたのは、十人の舞姫達だった。ティサが指導していた侍女達だ。今夜は真っ白な絹の衣装を身にまとい、美しく化粧を施している。
その最後尾に、二人の小さな舞姫がいた。ユノアとミヨだ。今夜のユノアは、銀色の髪の毛を隠してはいなかった。
何人かの客がユノアの髪の毛を見て驚きの声をあげたが、舞が始まると、もはやユノアの髪の毛を気にする者はいなくなった。
淡々とした曲調にのって、絹の衣装をひらめかせながら、舞姫達が優雅な舞を披露していく。
足を天に向かって上げ、百八十開脚した状態で制止したり、激しく回転しながら際どくすれ違ったりと、動きのどれもが激しく、危険なものだが、舞姫達が軽々とその動きをやってのけるので、優雅な舞に見えるのだった。
一人の舞姫が、集団から抜け出し、ヒノトの前に立った。これから、舞姫が一人ずつ舞を披露していく。集団での舞いも美しいが、一人一人の個性が強調される独演も、客達の目を楽しませた。この舞姫は、身体の柔らかさが特徴だった。柔軟性を生かした見事なポーズが決まるたび、会場に拍手が沸き起こった。
次々に舞姫が演技を披露していき、最後に現れたのがユノアとミヨだった。まだ幼いので、二人一組での演技をすることになったのだった。
短期間の練習のため、先輩の舞姫に比べればまだまだ見劣りする舞だ。だが、ミヨとの息はぴったりと合っていて、ポーズを決めた後二人がにっこりと笑い合うと、その可愛らしさに、見ている者にも思わず笑顔が浮かんだ。
十人の舞姫は、皆とても美しい。だがその中で、ユノアの容姿は飛びぬけて一目を引いた。艶やかな容姿に浮かぶ幼く可愛らしい笑顔に、客達は釘付けになっている。
ヒノトも、先ほどとはうって変わった穏やかな顔で、舞を鑑賞している。昔、王の癒すことが目的で始まったこの舞だが、見事にその目的を果たしたようだ。
だがヒノトの視線は、ほぼ一人の舞姫に釘付けになっていた。ユノアだ。
今夜舞を披露することは聞いてはいたが、ユノアが舞う姿を見るのは初めてだった。思った以上に素晴らしい出来栄えに、ヒノトは夢中でユノアを追いかけていた。
ユノアを見るヒノトの目が熱く潤んでいることに気付いたのは、隣にいたレダだけだった。それは、男が恋する女を見る目だった。その気持ちに、ヒノト自身気付いてはいないのだろう。ヒノトはユノアを、妹として愛していると思い込んでいるはずだ。
ヒノトの目に危険な予感を感じ取って、レダは表情を険しくした。
舞姫の演技の終わりとともに、宴も終了の時を迎えた。舞姫が退場し、再び明るくなった会場で、人々は口々にヒノトを称えた。鳴り止まぬ拍手と歓声の中、華やかな宴は幕を閉じた。