第二章:王の宴
マティピ王宮内には幾千もの松明が焚かれ、夜だというのに、昼間のような明るさに包まれていた。
王宮の中を、豪華な衣服や装飾品で着飾った多くの人々が行き交っている。大臣、将軍とその家族や、市長といった地方の有数の名家の一家が集まっている。その数は二千人にもなった。まさに、ジュセノス王国で最も権威ある宴がこれから始まろうとしている。
この世紀の宴を平穏無事に進めるために、今夜王宮を警護する兵士の数も千人にのぼる。警護の総指揮を任されたキベイは、兵士達を叱咤激励しながら、王宮内を飛び回っている。
王宮内に散らばっていた招待客が、大広間に向かって移動し始めた。宴の始まる時間になったのだ。
宮廷シェフが腕によりをかけて作った料理が並べられたテーブルに、客が次々に腰を下ろしていく。テーブルはコの字に並べられ、真ん中に広い空間が残されている。
その一番奥の席に座る人物の登場を、二千人の招待客が今や遅しと待ち構えている。
深青色の布地に金色の刺繍が入った衣装に身を包んだヒノトが現れた。客達は一斉に立ち上がり、盛大な拍手でヒノトを迎えた。
ヒノトは今まで、ジュセノス王国内の有力人物達とじっくり話をしたことがない。ハルゼ王はヒノトを次代の王として正式に表明する前に死んでしまったからだ。
内戦が終わってヒノトが即位してからも、混乱の続く国内を鎮めるための政務に明け暮れ、有力人物との関係を築けずにいた。
そんなヒノトが王として初めて開く宴だ。招待客の全てが、ヒノトの一つ一つの行動や発言に注目している。
二千人の人々が見つめる中、ヒノトが立ち上がった。拍手が鳴り止み、静まり返った広間の全ての視線がヒノトに集まっている。
ヒノトは口を開いた。いつもの穏やかで心地のいい声が、広間に響き渡る。
「皆の者。今日は私の招きに応じて、わざわざこの場に集まってくれたこと、心から感謝している。我が父、ハルゼ王が死んで、早二年。一度も皆の了承を得ぬまま王となり、未熟ながらも国政に励んできた。だがもしや、私の王としての資質に疑問を持つ者は、今日ここに来てくれないのではないかと、危惧していたのだ。それが…」
ヒノトは一度言葉を切った。感無量といった表情で、会場中を見渡す。
「こうして、一つの空席もなく席が埋まっていることに、私は感激している。皆、本当にありがとう。今日は心ゆくまで楽しんでほしい」
ヒノトがグラスを持ち上げた。それに倣って、招待客達もグラスを持った。
「我がジュセノス王国に、乾杯!」
ヒノトの掛け声に続いて、「乾杯!」と会場がどよめいた後、盛大な拍手が鳴り響く。ヒノトが腰を下ろしてからも、二分以上その拍手は続いた。
ようやく客達も椅子に座り、和やかに会話をしながら食事を始めた。
ヒノトはほっとしつつ、猛烈な勢いで料理を食べ始めた。今日の国政が終わってそのまま宴へとなだれ込んだので、昼食に軽い食事を取っただけだった腹の中はスカスカだったのだ。
夢中で料理を頬張っていたヒノトに、後ろから声を掛ける者がいた。
「ヒノト様」
それは、三人の大臣達だった。ヒノトは口の中にあった食べ物をごくんと飲み込み、水を飲んで胃の中へと押し込んだ。
「おお、大臣か。どうした」
大臣達は機嫌よくヒノトに言った。
「いやはや、ヒノト様。先ほどの挨拶、何か失言をされてはならぬとはらはらしながら聞いておりましたが、堂々とされて、ご立派でしたぞ。皆口々に、ヒノト様の王としての資質を褒め称えておりまする」
「そうか。それは良かった」
ヒノトは無難な笑みを浮かべて大臣に笑ってみせた。
満足そうに大臣が立ち去った後、食事を再開しようとしたヒノトにまた声を掛けてくるものがいた。
「ヒノト王!」
戦場にでも出ているかのような、大きな声だ。ヒノトは食べ物を喉に詰まらせそうになった。
振り返ったヒノトの目に映ったのは、大柄な男達だった。屈強そうな筋肉が、正装の服の下から今にも破り出てきそうだ。顔を蒸気させ、興奮した様子の男達に、ヒノトは一瞬たじろいだ。
「ヒ、ヒノト王!本日は我々のような若輩者を招待していただき、ま、誠に、ありがとうございます!」
軍隊での宣誓でもしているかのような口調で男は言った。これは誰だろうと考えていたヒノトは、ようやく納得した。
ジュセノス王国の各地に散らばっている軍隊の隊長達だろう。グアヌイ王国との関係が緊迫している中、緊張の日々を送っている彼らを激励したいと軽い気持ちで招待したのだが、よく考えると、将軍でもない一兵士が王宮の宴に呼ばれるなど、前代未聞の事態だったのかもしれない。
兵士達がどれだけ感激し、誇りに思っているかは、目の前にいる男達の素振りを見ていれば分かる。王であるヒノトのすぐ側に立ち、直接話が出来るなど、本来ならあり得ないことなのだ。
ヒノトは力強い声で答えた。
「過酷な緊張の日々に身を置いて、ジュセノス王国の平和を守ってくれている君達には、本当に感謝している。君達がいなければ、私の治世は成り立っていない。今度ぜひ、君達の陣営を訪問させてくれ。全ての兵士に感謝の気持ちを伝えたいし、何か不満があれば、善処できるようにしたい」
ヒノトの言葉に、男達の目に涙が光った。
「有難きお言葉でございます。この身には有り余る光栄…。これからも、命がけでヒノト王にお仕えさせていただきます。」
兵士達を晴々した思いで見送ったヒノトに、息をつく暇はなかった。
いつの間にか長蛇の列ができ、一言でもヒノトと直接話をしようと待ち受けている。ジュセノス王国に三十以上ある市の市長達、そして地方の有力者達…。代わり映えのない挨拶に、ヒノトは顔に笑顔を貼り付けて対応していた。
中でも一番ヒノトを困らせたのは、ここぞとばかりに紹介される娘達の存在だった。結婚適齢期を迎えたヒノトの目に何とか自分の娘を印象づけようと、父親も必死だ。たとえ側室だとしても、その娘の家には高い地位と莫大な富が約束される。
娘達もヒノトを見て、その容姿の良さと穏やかな人柄に、すっかり魅了されたようだ。父親がハラハラしている目の前で、自分をアピールするのも忘れ、うっとりとヒノトを見つめている。
ヒノトが果てしない客達との接見に疲れを覚えていた頃、広間の中央では宮廷の楽師による演奏が始まっていた。華やかな音楽が広間を満たす。その音色に惹かれて、客達も自分の席に戻り始めた。
楽師の演奏の後は、マティピの街で活躍する大道芸人達のオンステージとなった。次々と繰り広げられる見事で愉快な技の数々に、客達はここが誉ある王の宴ということも忘れて拍手を送り、楽しげな笑い声を上げている。
次にまた楽師が演奏を始めた。美しい音色を聞きながら、客達は互いに話をし始めた。
これほどの数の国中の有力者が一箇所に集まるなど、一生に一度あるかないかのことだ。一人でも多くの人物と親交を深めておこうと、積極的に席を歩き回っている客の姿も数え切れぬほどだ。