第二章:再び街へ
ユノアが舞の練習を始めてから、二週間が過ぎた。
ようやくティサから、柔軟性を認めてもらい、振り付けを教えてもらえるようになった。
だがそれは、とてつもなくハードな練習となった。百八十度開脚しながら高く飛び上がると、降り立った瞬間にポーズを決める。ユノアはミヨと絡む振り付けが多いのだが、部屋の反対側にいるミヨの元へ、回転しながら辿り着くという動きもある。
大切なことは、そのどの動きも優雅なことだ。観客に激しい舞だとは決して思われてはならない。だが、優雅な動きにしようとし過ぎると、動きが緩慢になる。
俊敏に動きながら優雅に見せるためには、練習あるのみだとティサはユノアに諭した。
その言葉に従い、ユノアは毎日練習に明け暮れた。ミヨ達は侍女として他の仕事もあるが、ユノアはその時間も練習に当てることが出来た。元々人並みはずれた運動能力を持っているユノアだ。柔軟性さえ手に入れれば、他の侍女達との舞の技術の差は飛躍的に縮まっていった。
この日もユノアは一人きりで練習をしていた。今では、二時間くらいなら身体を動かし続けることが出来るほどに体力がついていた。
ようやく身体が止まったとき、ユノアの顔には汗が滝のように流れ落ちていた。集中していたので、こんなにも汗をかいていたことにも気付かなかった。
途端に喉の渇きを覚えて、ユノアは水を求めて部屋を出た。
マティピ王宮は岩の上に造られているので、水は外から汲み上げなければならない。その技術は発達していて、王宮の到る所に噴水が湧き出している。
その一つに、ユノアは口をつけた。ごくごくと喉を鳴らして、冷え切った水を飲んだ。
ぷはぁっと息を吐きながら顔を上げたユノアの目に、一人の人物が飛び込んできた。
キサクだった。手には薬草や医療道具が入っているのだろうあの木箱を持ち、猫背でちょこちょこ足を動かしている。
ユノアは急いでキサクの元へと駆け寄った。
「キサクさん!」
キサクは足を止め、ユノアの方へと顔を向けた。
「おお、あなたは…」
ほんわかしたキサクの笑顔に、ユノアの心も和む。
「キサクさん。王宮で何をしてるんですか?」
「ああ、それがですね…。王宮には優れた医師がたくさんおられるので、私が来ることはあまりないのですが、私の作った薬しか飲みたくないという方がいましてね。レダ様を、ご存知ですかな」
「レダ…」
ユノアは、ヒノトの後ろに立っていた、鋭い目つきをした白髪の老人を思い出していた。一言も話したことはないが、ユノアの脳裏には強烈に、苦手だというイメージとともに刻まれていた。
「そう、ですか…。それでもう、帰るんですか?」
「はい。この後用事がありましてな。この前、ユノアさんも一緒にいったでしょう。あのスラムにまた行ってみようと思うのです。酷い熱を出していた者が数人いたので、病状がどうなったのか、気になるもので…」
「えっ!」
あのスラムに行くと聞いて、ユノアは居ても立ってもいられなくなった。
「私も行きます!連れて帰った雛がすっかり元気になったから、みんなに見せたいの。ヒノト様もまた連れていってくれるって言ってたけど、忙しいから、いつになるか分からないもの。キサクさん、ちょっと待っててください!支度をして、すぐに戻ってきますから」
「へ?」
キサクがあっけに取られて返事をしないうちに、ユノアはもう走り出していた。
ヒノトの寝室に戻り、のんびりと日光浴を楽しんでいたチュチを鷲づかみにする。
「チュ?」
チュチが抗議の声を上げるのには構わず、篭の中にチュチを押し込むと、上から布を被せてしまった。チュチはユノアの気まぐれには慣れっこならしく、篭の中で大人しくしている。
篭を抱え、キサクの元に戻ろうとしたユノアだったが、さすがに無断で王宮を出るわけには行かないだろうと、今度はヒノトがいる筈の政務室へと向かって走り出した。
篭の中で揺さぶられまくっているチュチのことなど、何も考えていない走り方だ。
政務室のドアは閉じられ、その前に武装したキベイが立っていた。王宮の中でも常にヒノトを守るために、こうして剣を携えているのだ。生真面目なキベイらしい行動だ。
「キベイさん!」
辺りに、可愛らしいユノアの声が響き渡った。
「ユノア殿…。こんなところで、どうされたのです」
ユノア殿、という呼び方に強い違和感を感じながら、ユノアはキベイに歩み寄った。
「あの、ヒノト様は、中にいますか?」
「ええ。おられますよ。ご政務中です」
「じゃあ、会えない、ですよね?」
「はあ、それは無理でしょうな。聞いて御覧なさい。大臣達の怒号が聞こえてくるでしょう」
確かに政務室の中での会議はよほど盛り上がっているらしく、喧嘩とも聞こえるような罵声が聞こえてくる。
「じゃあ、あの、伝えておいてもらえますか?私今から、マティピの街へ行って来ますって」
「え!お一人で、ですか?」
「いえ、キサクさんと一緒に…」
「キサク殿、ですか…」
キベイは考えこんだ。ヒノトが今では妹のように大切に扱っているユノアを自分の判断で街に行かせて、ヒノトの不興を買わないだろうか?
「今日どうしても、行かなければならないのですか?今度ヒノト様と一緒に行かれては…」
「でも、ヒノト様を待ってたら、いつまで経っても行けないもの!お願い、キベイさん…。危険なことはしないって誓いますから…」
キベイを見上げるユノアの可愛らしさに、キベイも顔を赤くした。どうやらユノアは、自分の可愛さをあまり自覚していないらしい。
咳払いをして、キベイは言った。
「そうですな。ユノア殿の身に危険がないと分かれば、ヒノト様も安心されるでしょう。オタジをお連れください。私はヒノト様のお側を離れることが出来ませんので…」
思わずユノアは、えっと声をあげた。
「オタジさんを?いえ、あの…。そこまでしてもらわなくても…」
「いいえ。そうでなくては、ユノア殿を王宮の外に出すわけには行きませんよ!」
キベイの気迫のこもった答弁に、ユノアは頷くしかなかった。
その後、巨体のオタジを連れて戻ってきたユノアを見て、キサクは苦笑いするしかなかった。