第二章:舞の特訓
舞の稽古場で、先輩達の着替えやタオルなどを、一人忙しく用意していたミヨは、ティサに連れられて部屋に入ってきたユノアを見て、思わず先輩の着替えを床に落としてしまった。顔を歪めた先輩侍女には目もくれず、一直線にユノアに駆け寄る。
「ユノア。どうしたの?何故ここにいるの?」
ユノアは恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「あのね。ティサさんが、私も一緒に舞を練習したらって誘ってくれたの」
ミヨは驚きに満ちた表情でティサを見た。ティサはいたずらっ子のように笑って、ウィンクして見せた。
「ねえ、ミヨ。私に舞なんて、出来るかなぁ?」
もじもじしているユノアだったが、ミヨが元気な声でその不安を吹き飛ばしてしまった。
「大丈夫よ!私も練習を始めたばかりなの。それでも、だいぶ上達したのよ。一緒に頑張ろう」
ユノアは嬉しそうに頷いた。
ティサが手を叩いた。
「さあ、みんな!早く準備をなさい。準備が出来たものから、ウォーミングアップを始めなさい」
はい、と返事をして、侍女がばたばたと準備にかかり始めた。
どうしていいか分からずおろおろしているユノアに、ティサが近付いていく。
「ユノアには、私が教えましょう。今からあなたが練習する舞は、ジュセノス王国の伝統舞踊なのよ。戦争から帰還した王の疲れを癒すために、女達が踊ったのが始まりととされていて、今も宴の席などで王がご所望されるわ。この舞に大切なのは、王を癒すということなのよ。戦いの舞ではないのだから、激しさを表現するのではなく、柔らかく、優雅に踊らなければならないの。だからまず、身体の柔軟性を高めましょう。ほら。周りを見てごらんなさい」
ティサが指し示す方へと目を向けると、侍女達が、身体を大きく回したり、上下に折ったりして体操している。中には、足を百八十度広げている者もいて、ユノアは驚いている。ミヨでさえ、後ろの方向へ身体をほぼまっ二つに折り曲げて、床に手をついている。
口を開けて唖然としているユノアの肩を、ティサががっしりと掴んだ。
「大丈夫よ。いきなりあんなことしろなんて言わないから。さあさ、座って。足を開けるだけ開いてみなさい」
ユノアは言われた通り、足を開いてみた。何とか百度くらいには開脚した。
「うん。まあまあね。じゃあ今度は、身体を前に倒して」
ユノアがそろっと身体を倒していると、ティサが後ろに立ってユノアの背中をぐいぐい押し始めた。
「まだまだ堅いわねぇ。足が百八十開いて、その状態でお腹が床につくくらい柔らかくならないと、本格的な舞の練習はさせられないわよ」
必死に声を抑えて耐えていたユノアだったが、ティサがあまりに強く背中を押すので、ついに根をあげてしまった。
「いた、痛いー!」
そんな二人の様子を見て、侍女達がくすくす笑っている。ミヨも、舞を習い始めたばかりの自分を見ているようで、苦笑するしかなかった。
その後も、ユノアにとっては過酷な練習が続いた。片足を伸ばしたまま上へと持ち上げ、そのままの状態で五分間立たされたり、背中側へ身体を折りながら手を床につき、足を上へあげさせられたりした。
無茶な格好だと思うが、これが舞の節々での決めポーズになるのだ。
ユノア以外の侍女達は、これらのポーズを軽々と決めていく。だが、このポーズを取る事は、激しく身体を動かすよりもよほど辛いことのようにユノアには感じられた。
風呂に入り、ベッドの上に倒れこんだ頃には、身体は疲れきっていた。ヒノトを待って、今日舞を習ったことを話したいとは思うのだが、強烈な睡魔がユノアを襲っていた。
ユノアが舞の練習をしている間、ずっと放って置かれたチュチが、遊んで欲しそうに近付いてきたが、ユノアはチュチに頬を突付かれようと、顔の上で飛び跳ねられようと、ぴくりとも動けずにいる。
それにしても…。ユノアは今日の舞の練習風景を思い出していた。
ユノアがウォーミングアップだけですっかりばててしまっていると、他の侍女達はそれから一時間、舞の振り付けを各自練習し始めた。今度はポーズだけでなく、飛び跳ねたり、部屋の隅から反対側へ駆け抜けたりと、激しい動きも加わっている。
そして最後に、全員で整列して、楽師の演奏に合わせながら、通しの稽古をした。チヨは一番後ろに並んでいた。その稽古がまた一時間だ。ユノアは見学しているだけで疲れてしまった。
練習の終わりが告げられた後、ティサから重大発表があった。二ヶ月後にヒノト王主催の宴があり、その席で舞を披露することになったというのだ。ジュセノス王国の大臣、将軍、王国中の市長とその家族が一同に集まる、盛大な宴になるようだ。晴れの舞台に、侍女達は飛び上がって喜んでいる。
ティサはこうも言った。
「この宴が、ミヨとユノアのお披露目の宴になるでしょう。二人とも、しっかり練習するのですよ」
ミヨの隣で話を聞いていたユノアは、一瞬ティサが言った言葉の意味が分からなかった。
「え?え?」
慌てて隣のミヨを見たが、ミヨはミヨでティサの言葉に衝撃を受けているようで、口をあんぐり開けている。
先輩侍女達も非難の声を上げた。
「ティサ様!そんな大きな宴にいきなり二人を出すなんて!ユノアは今日初めて練習に来たんじゃないですか!ミヨだって、小さな宴で踊ったことさえないのに!」
「大きな試練を乗り越えて、人は大きくなるのですよ。このような宴が、今度いつ開かれるかも分からないのです。ミヨとユノアには、ぜひ経験してもらいたいの」
一度決めてしまえば、考えを変えるようなティサではない。侍女達は口をぱくぱくさせたまま、声を喉の奥にしまい込むしかなかった。
先輩侍女達が、ミヨとユノアに無言の怒れる視線を送りながら、部屋を出て行った。
ミヨの片付けを手伝いながら、ユノアは尋ねた。
「ね、ねえ。ミヨ。ティサさんが言ってた宴って、そんなにすごいものなの?」
「そりゃそうよ!王様だけ、大臣様だけっていうのはよくあることだけど、皆様来られるのよ。きっと何百人もの方々が集まるわ。そんなに大勢の方々が見ている中で踊らなきゃならないなんて…。今考えても緊張して、身体が震えるわ。もし失敗なんてしたら、先輩達にどんな酷い仕打ちを受けるか…」
「酷い仕打ち…って?」
ユノアはびくびくしながら尋ねた。
「まず、一晩中説教されるわね。それから、宮殿中の掃除!部屋の隅から、天上まで。埃が一欠けらも残らないまでね。それで許してもらえればいいけど、庭の草むしりまでさせられたら、まず一ヶ月じゃあ終わらないわよ。しかもその間、ずっと先輩達のお小言を聞かなきゃならないのよ」
ユノアはぶるりと震えた。
「そ、それは嫌…」
「だから!そんなことにならないように、しっかり練習するのよ!ユノア。あんたも連帯責任なんだからね。二ヶ月の間に上達しなかったら、許さないからね!」
ミヨの言葉を思い出しながら、ユノアはベッドの上で寝返りをうった。
「無理だよぉ。私なんて身体も堅くて、身体がみんなみたいに柔らかくなるまで、何日かかるかも分からないのに…」
涙ぐむユノアの側で、チュチがじっと座っている。ユノアが手を差し出すと、手の中に入ってきて、腹をもぞもぞと動かしながらユノアの手にぴったりくっつけた。
チュチの羽毛の心地いい感触に、ユノアの心は少し癒された。
ヒノトが部屋に帰ってくると、ユノアはベッドの上でぐっすり眠っていた。その手の中に納まったチュチが、まん丸の目でヒノトを見上げている。
「ユノア。起きなさい。チュチを寝かしてやらなくていいのか?」
ヒノトに身体を揺らされても、ユノアが起きる様子はなかった。
仕方なくヒノトは、篭を持ってきてチュチの側に置いてみた。小さすぎるチュチを、なるべくなら触りたくないのだ。どきどきしながら見ていると、チュチは賢いことに、自分で篭の中に入っていった。やれやれ、人間ってやつは身勝手だな。と言いたそうな目つきでヒノトを見た。
「いやー。偉いな、チュチは。いい子だ、いい子だ」
チュチの篭に布を被せて暗くしてやると、ヒノトは部屋の照明も落とした。
ベッドに入ると、ユノアを腕の中に抱き寄せた。それでもユノアは起きようとしない。
何がそんなに疲れたのか。その理由を聞きたかったが、今夜は我慢しよう。ユノアの寝顔を見ている限り、とても充実した一日だったのだと分かるから。