第二章:複雑な気持ち
ようやく患者の手当ても終わり、ヒノトはふうっと息を吐いた。嵐のような時間だった。包帯を巻いても巻いても、手当てするべき患者が途切れることがなかったからだ。
「ノト。お疲れ様。そろそろ帰ろうか」
キサクにそう声を掛けられて、ヒノトは頷いた。
その時になってようやく、ユノアの姿が見えないことに気付いた。
慌てて立ち上がり、名前を呼ぶ。
「ユノア、どこだ?」
ヒノトへの感謝の言葉を唱えながら周りを囲む人々に笑いかけながら、ヒノトは建物の外に出た。
既に陽は落ち、辺りには暗闇が迫っていた。
「ユノア!」
再び名を呼ぶ。だが、返事はない。ヒノトの心が不安にざわめいた。何かあったのだろうか。ユノアのことを忘れてしまっていたさっきまでの自分を、心の底から呪った。
その時、ヒノトの耳に楽しげな子供達の笑い声が聞こえてきた。ヒノトが目を向けると、そこには、子供達に囲まれながら笑顔で歩いてくるユノアの姿があった。帽子は取っていて、銀色の髪の毛がユノアが動くたび軽やかに揺れている。
ヒノトを見つけたユノアは、こちらに向かって走ってきた。いつものように抱きついてくるのかと思ったが、ユノアはヒノトの前で止まると、不安そうな顔を向けて両手を掲げた。
「ヒノト様…。この鳥、連れて帰ってもいい?」
ユノアが子供達と一緒にいたことだけでも驚いていたヒノトは、思いがけないユノアの言葉に戸惑いを隠せなかった。
「鳥?」
ユノアの手の中を見ると、そこには小さな鳥の雛がいた。
「ユノア…。どうしたんだ、これは…」
「あのね、親鳥が死んじゃったらしくて…。子供達が教えてくれたの。だから私が、巣から取ってきたの。…お願い、ヒノト様。私この子を育てたいの」
ヒノトは困ってしまった。鳥の雛など、育てられるのだろうか。確証は全くなかった。
「もしかしたら、死ぬかもしれないぞ。その覚悟は出来てるのか?」
「うん!」
ユノアはきっぱりと頷いた。ユノアがこんなにもはっきりと自分の気持ちを表したのは、初めてかもしれない。ユノアの表情を見て、ヒノトも頷いた。
「分かった。連れて帰ろう」
途端に、ユノアの顔が輝いた。
「ありがとう、ヒノト様!」
雛を大切に両手の中に包んだまま、ユノアはヒノトに身体を摺り寄せた。
だがすぐにヒノトから離れると、ユノアは子供達の元へと戻っていってしまった。
「みんな!この子、連れて帰っていいって!」
子供達が歓声をあげた。
「本当?良かったぁ…」
「ユノア、頑張って育ててあげてね」
楽しそうな声を上げているユノアを見ながら、ヒノトは嬉しい想いがある反面、苦笑いを隠せなかった。自分に擦り寄っていたユノアが簡単に側から離れて、今は子供達と一緒に笑い声をあげている。今まで自分にべったりだっただけに、寂しい気もした。
キサクがスラムの人々に対して言った。
「では、みんな。今日はこれで帰ることにしよう。また来るから、身体を労わるんじゃぞ」
人々は次々に感謝の声を上げた。
「キサク先生、ありがとうございました。先生のおかげでわしらは何とか生き延びることができます」
「ノトさんも、ありがとう。心から感謝しています」
子供達も声を上げた。
「ユノア!また遊びに来てね!雛も連れてきてね!」
人々は、立ち去るヒノト達三人にいつまでも手を振っていた。ユノアも何度も振り返り、手を振っている。
ヒノトも、今日マティピの街に来て良かったと、満足そうな顔をしている。貧しい人々がいることが分かり、その人々を助けることが出来たからだ。
だが、まだ出来ることがある筈だ。王として、スラムの人々に何をしてやるべきなのか、ヒノトは考えていた。