第二章:雛
一時間近く、ユノアと子供達は夢中になってボールを追いかけていた。だが遂にへとへとになって、一斉に地面に倒れこんでしまった。
「もう駄目だぁ。身体が動かねぇよ」
ラピがぜいぜい喘ぎながら横たわっている。
「ちっくしょー。結局ユノアに全部ボールを奪われちまった。それにしても、ユノアはずっと追手だったんだから、俺達より数倍動いてる筈なのに、どうしてそんなに涼しい顔をしてるんだ?」
確かにラピに比べて、ユノアはうっすら汗をかいているだけで、息も軽く弾んでいるだけだ。
「涼しい顔なんて、そんなことないわ。私もこんなに疲れたの、初めてだもの」
「ほんとかよ…。あー!喉が渇いた。水飲みに行こうぜ」
ラピが立ち上がると、子供達もその後に続いた。ユノアも最後尾で後を追っていった。
井戸に到着すると、子供達は我先にと水を飲み始めた。ラピも思う存分水を飲むと、ふと気付いてユノアにコップを渡した。
「悪い悪い。後回しにしちまった。ユノアも飲めよ」
ユノアは水を受け取り、口に含んだ。美味しかった。水が、身体に沁み込んでいくようだ。
水を飲み、一息ついた子供達は、思い思いにお喋りを始めた。
すると、その中の一人があっと声を上げた。
「ねえ、ラピ兄ちゃん。あの鳥、どうなってるかな?」
ラピは「ああ…」と気のない返事をした。
「もう一回見てきてよ!お願い!」
ラピは面倒くさそうにしている。
「お前、簡単に言うけどな…。あの鳥の巣まで行くのがどれだけ大変か、分かってんのか?」
「だって…。ラピ兄ちゃんしか行けないじゃない」
やはり動こうとしないラピに、その子供は泣きそうになっている。見かねてユノアが声をかけた。
「ねえ、私が行ってあげようか?」
子供は途端に目を輝かせた。
「本当?あのね、あそこに鳥の巣があるの…」
子供が指さしたのは、地上二十メートル以上は有にありそうな、高い建物の屋根付近だった。よく見ると、屋根のすぐ下辺りに、鳥の巣らしきものが見える。
「あそこでね、鳥が子育てしてたの。でも、今日の朝にね、親鳥が鷹に襲われて、死んじゃったの…。私見てたんだもの…。私、私、雛が今どうしてるのか気になって…」
「分かった。雛がまだ生きてるかどうか、見てくればいいのね」
子供はこくりと頷いた。
「任せて。行ってくるね」
ユノアは軽々と壁を登り始めた。掴まれる場所を選んで、慎重に身体を進めていく。
「ユノア、気をつけろよ!落ちたら大怪我どころじゃすまないぞ」
下からラピの怒鳴り声が聞こえてくる。確かにその通りだろう。落ちたら死んでしまうに違いない。ユノアの背中を、冷や汗が流れ落ちた。
何とか巣のある場所まで辿り着いて、ユノアは巣の中を覗き込んだ。
中には、一匹の雛がいた。灰色のふわふわした羽毛で覆われた雛は、まん丸の目でユノアをじっと見つめた。警戒しているようで、ユノアから少しでも離れようと巣の端に身体を寄せていく。
元気そうな様子にほっとはしたが、だがこのまま置いておけば、まもなく死んでしまうだろう。ユノアは雛に手を伸ばした。ユノアの小さな片手の中に、雛はすっぽりと隠れてしまった。
雛を持ったユノアが地上に降り立つと、子供達が集まってきた。
「ユノア。雛の様子はどう?」
ユノアがそっと手を開くと、雛は怯えきった様子で身体を小さくしている。
「うわぁ…。可愛い!良かった。元気なんだね」
歓声をあげる子供達を尻目に、ラピは冷静な言葉を吐いた。
「…ユノア、雛を巣に返してこい。どうせこいつはもうすぐ死ぬんだ」
子供達の顔が凍りつき、一斉にラピに怒声を上げた。
「ラピ兄ちゃん!何でそんなこと言うの!」
「本当のことだろうが!親が雛の側からいなくなった時点で、こいつはもう死ぬしかないんだ…」
堪えきれずに、子供の目から涙が溢れた。
「私達が、育ててやることは出来ないの?」
「無理、だろう…。鳥の雛を育てたことがある奴なんて、大人の中にもいないだろうし…。それに、雛に餌をやる余裕なんて俺達にはないだろう?自分達が食べるのにも精一杯だっていうのに…」
反論できずに、子供は黙り込んでしまった。
黙って話を聞いていたユノアが、口を開いた。
「ねえ、この雛…、私が預かって帰ってもいいかな?」
子供達は一斉にユノアを見た。
「あ、あの…。もしかしたら、私の周りに雛の育て方を知っている人がいるかもしれないし」
悲しみに沈んでいた子供の目が、輝き始めた。
「うん…!やってみて、ユノア!」
だがラピはやはり険しい表情だ。
「ユノア。連れて帰るのは勝手だけど、その雛が死んだとき、辛い想いをするのはお前だぞ?それでもいいのか?」
「うん…」
ユノアは手の中にいる雛を見た。親鳥と死に別れたこの雛が、ユノアは自分自身のように思えた。
ダカンとカヤがいなくなった後、森の中で、一人ぼっちで死にそうになっていたユノアをヒノトが助けてくれなかったら、自分もどうなっていたか分からない。この雛を、ユノアは見捨てることが出来なかった。
「いいの。死んでも。生き残れる可能性にかけて、私は頑張ってみたいの」
そう言ったユノアに、子供が抱きついてきた。
「ありがとう、ユノア!その子のこと、よろしくね!」
涙をぽろぽろ流して喜んでいる顔を見て、ユノアも思わず微笑んでいた。