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星姫の詩  作者: tomoko!
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第二章:スラム

 そんな時、静かに二人に近づいてきた一人の人物がいた。

「ヒノト様、ではありませんか?」

 突然自分の名前を呼ばれて、ヒノトは警戒心を顕にして振り返った。

 そこにいた男の顔を見て、ヒノトはほっと緊張を解いた。

「なんだ。キサクじゃないか」

「お久しぶりでございます。ヒノト様…」

 キサクはヒノトに深々とお辞儀した。

 キサクは小柄な老人だった。ユノアより頭一つ分高いくらいだろうか。丸眼鏡をかけ、身体には不釣合いな大きな木箱を提げている。

「ヒノト様、護衛もつけずに街中をうろうろされては、危のうございますよ」

「いや、どこかでキベイの目が光ってるのさ」

「そうですか、キベイ将軍が。それなら安心でございます」

 眼鏡の下から覗くキサクの知的な目が、ヒノトの腕の中にいるユノアを捉えた。

「そちらの少女は?初めてお目にかかるようですが…」

「ああ、ユノアというんだ。少し事情があってな…。今は俺の側で暮らしている」

「そうですか…」

 それ以上何も聞かず、キサクはじっとユノアを見つめてきた。何もかも見透かされそうな視線に、ユノアは戸惑ってキサクから目を逸らした。

「キサク。そんな大きな荷物を持って、今からどこに行くつもりなんだ?」

「はい。今から、スラムに行ってみようと思っています。ヒノト様はご存知ないでしょう。貧しい者達が集まって暮らしている場所です。病人も多いのですが、まともな治療を受けれない者も多く、時々様子を見に行っているのです」

「スラム…。マティピに、そんな場所があったのか」

 キサクは困ったような顔をした。

「ヒノト様。…内戦の前には、なかった場所です」

 それを聞いて、ヒノトの表情が凍った。唇を噛み締めて、俯いた。ユノアは、そんなヒノトの表情を見たことがなかった。

「そうか…。俺はまだ、知らないことだらけだな」

 ヒノトはふうっと息を吐くと顔を上げ、まっすぐにキサクを見つめた。

「キサク。そのスラムに、俺も連れていってくれないか」

「はっ…?」

「見てみたいんだ。貧しい人達の生活というものを」

 キサクは苦笑いした。

「困りましたな…。そんなことをしたら、後でキベイ将軍に何と言われることか…」

「キベイのことは気にしなくていい。俺の責任でやっていることなんだから。」

 ヒノトは絶対に引き下がらないぞといった様子で、キサクをじっと見つめている。キサクもヒノトを見つめ返した。やがてキサクが根負けしたように目を伏せた。

「分かりました。…ただし、私の言うことに従ってください。スラムの人達は、今とても神経質になっています。明日の命をも知れぬ不安定な日々を送っているせいです。ヒノト様のことは、…そうですね。偶然出会った親戚の青年とでもいうことにしておきましょう。スラムの人達を刺激するような発言は、控えてください」

「分かった。ありがとう、キサク」

 ヒノトはユノアに目を向けた。

「聞いていた通りだ、ユノア…。俺はスラムという場所に行ってみるが、お前はどうする?ドゼの店で待っているか?」

 するとユノアはすぐに首を振った。

「私、ヒノト様と一緒にいる」

「…どんな場所か分からないんだぞ。もしかしたら、怖い思いをするかもしれない」

「大丈夫。一緒にいる」

 ヒノトはキサクに言った。

「いいだろうか…。ユノアも一緒に行っても…」

 キサクは声をあげて笑った。

「ほっほっほ。よろしいですよ。利発そうなお嬢さんだ。スラムの人達を怒らすような真似はしないでしょう。…それにしても、よく懐いていますな。さぞかし可愛いでしょう」

「ああ、そうだな…」

 ヒノトは優しくユノアの頭を撫でた。ユノアは絶対に離れないといった様子で、ヒノトにしがみついていた。




 マティピの中心部のすぐ側に、スラムはあった。こんなに近くにあったのに、何故今まで気付かなかったのか、不思議に思うくらいだ。大通りから路地に入って十数分歩いただけで、その場所に辿り着いた。

 誰も使わなくなった何軒かの古い建物に、スラムは形成されていた。昼間でも暗い建物の中に、たくさんの人達が身を寄せ合っている。ここにいるだけで病気になってしまいそうな、陰気な場所だ。それでも、雨風が凌げるだけましなのだろう。

 キサクの話では、このようなスラムがここだけではなく、マティピの街のあちこちに、十数か所に渡って形成されているらしい。

 ヒノトは、嵐にでもなれば崩れ落ちそうな古びた建物を、驚きの表情で見つめている。こんな場所で本当に人が暮らしているのかと、信じられない思いだった。

「やあ、みんな。元気にしとるかな?」

 キサクがそう声を掛けながら、中へと入っていく。すると、暗く沈んでいた部屋の中が僅かに活気付いた。

「ああ、キサク先生!お待ちしていました」

「キサク先生、うちの主人を見てやってください。ずっと熱が下がらなくて…」

 我先にとキサクの側に寄ってくる人々に、キサクは穏やかな声を掛ける。

「分かった分かった。順番に見てやるからな。さあ、まずお前さんからじゃ。咳をしておるな。風邪をこじらせたのか?」

 丁寧でゆったりとしたキサクの調子に、人々の興奮も納まってきたようだ。キサクに言われた通り、自分の順番を大人しく待っている。


 ヒノトはキサクの後ろからそっと声を掛けた。

「先生…。俺も何か手伝いましょう」

 その時になってようやくヒノトの存在に気付いたらしい人々は、あからさまに不審そうな視線をヒノトに向けた。

「キサク先生、この人は…」

 キサクはやはり暢気な口調で答えた。

「ああ。わしの親戚にあたる青年じゃ。名前を…」

 名前のことを打ち合わせていなかったキサクは一瞬口ごもったが、すぐに機転を利かせて答えた。

「名前をノトという。その隣の子は、ノトの妹じゃ。ついさっき偶然街中で会ったのじゃが、医学の心得があるのでな。役に立つだろうと思って連れて来た。…なあに、心配することはない。お前さん達のことを役人に告げ口するような男ではない」

 人々はまだ不安そうな顔でお互いを見合っている。

「まあ、先生がそう言われるのなら…」

 人々の不安を消すかのように、キサクはヒノトに指示を出し始めた。

「ノト。お前は怪我をしている人の包帯を変えてやってくれ。わしの木箱の中に薬草が入っているからな。やり方は分かっているだろう?」

「あ、はい。分かりました」

 ヒノトは言われた通り、まず怪我の部位を綺麗に洗浄してから、キサクの箱の中から傷に使う薬草を選び出すと、それを軽く揉み、傷口に貼り付けて包帯で巻いていった。ヒノトはやり慣れているらしく、手際はとても良かった。

(ヒノト様は、何でも出来るんだなぁ…)

 ユノアは感心してしばらくヒノトの仕事ぶりを黙ってみていたが、何も手伝えない自分が無性に情けなくなって、そっとヒノトの側から離れた。


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