第二章:喫茶店にて
通路の先に、また階段が見えた。今度は上へと登る階段だ。階段を登りきった所に、ドアが見えた。
ドアを開けると、そこにはまた部屋があった。だが、宮殿とは随分違う、質素な造りの部屋だ。置かれている家具もみすぼらしい。
「ユノア。ここはもうマティピの街だよ。今俺達が通ってきた通路は、王宮と街をつないでいる隠し通路なんだ。王宮の人間でも、この通路を知っているのは限られた人間だけだ。だからユノアも、この通路のことは誰にも内緒だぞ」
ヒノトにそう言われて、ユノアは目を丸くした。まさかこんな風に街へ来れるとは夢にも思っていなかったからだ。
見ると、ユノア達が出てきたのはクローゼットに見立てたドアだったようで、オタジが元通りドアを閉めると、鍵をかけた。
部屋の反対側にある普通のドアにキベイが近付き、ドアの覗き窓から外の様子を窺っている。
キベイが振り向き、頷いた。
「ヒノト様。大丈夫のようです」
ヒノトがドアを開け、外へと出た。ヒノトに続いたユノアが見たのは、丸テーブルと椅子が五組並べられた部屋だった。部屋の中には今までユノアが嗅いだことのない香ばしい匂いが立ち込めている。
置かれたテーブルなどの家具は、王宮にあるような豪華な装飾が施されているわけではないが、木の温もりが伝わってくるようだ。壁に飾られた絵も、ありふれた自然の風景や人々を描いた、素朴なものだ。
部屋にはカウンターもあり、その中に一人の男がいた。部屋の中にいるのは、その男一人だ。突然現れたヒノト達に驚く様子もなく、男はヒノトに向かって軽くおじぎをした。
ヒノトも軽く頷くと、男に近づいていった。ユノアは、キベイとオタジが出てこないのを不思議に思いながらヒノトを追いかけた。
ヒノトはカウンターの椅子に座ると、ユノアも隣に座らせた。リラックスした様子で男に話しかける。
「どうだ、ドゼ。最近の景気は」
ドゼと呼ばれた男は、人の良さそうな顔を綻ばせた。歳は四十代半ば頃だろうか。キベイやオタジとは違い、背が低く、体つきも細い。身体を鍛えているようには見えない。
「上々ですよ。市民にもようやく、コーヒーやお酒を楽しむ余裕が出てきたようで、客の入りも去年の倍ほどにはなっています」
「それはいいことだ。では俺も、ドゼ自慢のコーヒーを一杯もらおうか」
「はい、かしこまりました」
ドゼはユノアに目を向けた。
「ヒノト様。そちらのお子にも、何かさしあげましょうか?」
「そうだな。ユノア、何が飲みたい?」
突然聞かれて、ユノアは慌ててしまった。
「えっと…。ヒノト様と同じのでいい!」
ユノアの答えを聞いて、ヒノトは笑った。
「ユノアがコーヒーを飲んでも、まだ美味くはないだろうな。では、俺が決めよう。ミックスジュースを作ってやってくれ」
「分かりました」
ドゼがコーヒーを作り始めると、一層香ばしい匂いが立ち込めた。
ヒノトはユノアに話しかけた。
「ユノア、ここはな、喫茶店なんだ」
「きっさてん?」
「ああ。ユノアは来たことがないか?客に、コーヒーやジュースと一緒に、菓子や軽い食事を出す場所だ。夜には酒も出す。この店は、昔からここにある。今の主人のドゼも、その父親も、そのまた父親も、ずっとここで店を開いて、王宮との隠し通路を守ってきてくれた。ドゼが店をやっていてくれるおかげで、俺もここで、ドゼや客から、いろんな話が聞けるんだ」
ドゼがコーヒーを差し出した。それを一口飲んで、ヒノトは頷いた。
「うん!やはり美味いな」
「ありがとうございます」
ヒノトもミックスジュースを飲んで、甘酸っぱい美味しさに目を輝かせた。
「そうだ、ドゼ。お前にも紹介しておこう。この娘は、ユノアという。事情があって、俺が引き取ることになった。今は俺の大切な家族だ」
さすがにドゼも驚いた様子だ。
「では、妹君、ということですか?」
「血のつながりはないがな。俺はそれくらいに大切に思っている」
ドゼは腑に落ちないような顔をしてはいるが、ヒノトの私的な問題に口出しするつもりはないらしい。それ以上質問してくることはなかった。
その後もしばらく、ヒノトとドゼは会話をしていた。街の経済情勢や、最近起こった犯罪など、ヒノトは熱心にドゼの言葉に耳を傾けている。店に客が入ってくると、その会話にも聞き入っていた。
だがそのどれも、ユノアにはあまり興味のないことだった。ユノアは壁に掛けられた絵に目を向けて、時間を潰していた。