第二章:共に生きよう
夜も更けた頃、ようやく政務を終えたヒノトが部屋へと戻ってきた。ドアを開けると、中で静かに椅子に座っていたユノアとティサが立ち上がった。
ティサが深々と頭を下げた。
「ヒノト様、おかえりなさいませ。遅くまでご政務ご苦労様です」
ティサに続いて、ユノアも慌てて頭を下げている。ヒノトは微笑んだ。
「ありがとう。さあ、ティサ。お前も部屋に戻って休みなさい」
「あ、はい…」
だが、ティサは困ったような顔をして動かずにいる。
「あの、ヒノト様…。本当にユノアをこのお部屋で暮らさせるおつもりなのですか?ユノアのことが気がかりなのでしたら、いつでも会いに来られればいいのです。一緒に暮らすだなんて…」
「ティサ。俺なりに信念を持って決めたことだ。安易に考え付いたわけじゃない。今は俺の言う通りにしてくれ」
ヒノトとティサはしばらく見つめ合っていた。だがやがてティサが目を逸らし、観念したように息を吐いた。
「分かりました。では私は、これで失礼いたします」
ティサが礼をして部屋から出ていくのを見送ると、ヒノトはユノアに向き合った。
居心地悪そうにもじもじしているユノアに、ヒノトは穏やかな声で言った。
「ユノア。昼間は突然部屋に連れてきて、説明もせずに置いてけぼりにして悪かったな。…もう夜も更けた。眠いか?」
ヒノトの問いに、ユノアは小さく首を振った。
「じゃあ、もう少しの間、俺と話をしてくれるか?」
ユノアは頷いた。ヒノトは微笑むと、ユノアの手を取ってバルコニーへと導いた。
外に出ると、満天の星空が二人を迎えた。ヒノトは空を仰ぐと、感嘆の声を上げた。
「美しい空だ。…ユノアが地上に降りてきたときも、こんな綺麗な星空だったんだろうな。」
ユノアは黙って、星空を見上げている。何を考えているのかは、ヒノトには読み取ることは出来なかった。
二人の間に、沈黙が流れた。話のきっかけを掴めずにいたヒノトだったが、思いがけず声を発したのは、何とユノアの方からだった。
「あの、ヒノト王様…。私王様に、…聞きたいことがあるんです。いいですか?」
ヒノトは驚いた。まさかユノアから話しかけてくるとは思っていなかったからだ。
「ああ!言ってみなさい」
ユノアは躊躇っていたが、不安に揺れる眼差しでヒノトを見つめ、口を開いた。
「私に対する裁きは、どうなったのですか?大勢の人達を殺した私に結局何のお咎めもなく、ティサさんも、他の人達も、何事もなかったかのように私に接します。私は、どうしたらいいのか分かりませんでした…。皆の心の中が分からなくて、不安でした。いっそ、罪を償うために死ねと言われたほうが、よほど気が楽です」
ヒノトはすぐに返事を返せなかった。ユノアはまたすぐに俯いてしまった。その横顔から、ユノアの不安の大きさを予想できる。
「すまなかった…。俺達の間で話し合いが済んでいても、肝心のお前に説明するのを忘れていた。俺の配慮が足りなかったな。すまない…。…ユノア。お前の存在は、今まで俺が生きてきた中で得た常識では、理解できないものなんだ。お前が持つという不思議な力というのも、実際にこの目で見たことはないしな。そんな状態で、お前をどう扱えばいいのか決めかねたんだ。もちろん、裁くことなんてできない」
ユノアは真剣な表情でヒノトの言葉に耳を傾けている。
「…俺はお前を理解したい。だから、もっと親しくなりたいと思った。お前のことをもっと側で見て、話して、お前の心を知りたいんだ。だから、お前と一緒に生活したいというのは、思いつきではなく、ずっと考えていたことなんだ。…その後で、やはりたくさんの人々を殺したお前の行為が許せないと思えば、俺はこの手でお前を殺すだろう。それが、ジュセノス王国の王としての、俺の役目だ」
ヒノトが話すのを止めても、ユノアはじっと考え込んでいた。だが次に顔をあげたとき、その顔には笑みがあった。初めて見るユノアの笑顔に、ヒノトは息をのんだ。
「わかりました。私も、心の中がすっきりとしました。分からないことが多くて、心の中がずっともやもやしてたから…」
ユノアは嬉しそうだった。
「…ありがとうございます」
思いがけない賛辞の言葉に、ヒノトは驚いた。
ユノアははにかみながら、一生懸命自分の気持ちをヒノトに伝えようとしている。
「この王宮に来てから、たくさんの人達にお世話になりました。ティサさんもとてもいい人だけど、私は、どうしても打ち解けることができませんでした。ティサさんが心の中で本当は何を思っているのか、分からなかったから…。でも!今ヒノト様が言ったことは、ヒノト様の本当の心なんだって、信じることが出来ました。今までずっと、一人ぼっちな気がして、寂しくてたまりませんでした。でも今は、心の中があったかいです」
そう言って、ヒノトに笑顔を向けるユノアを、ヒノトは心の底から愛しいと思った。
次の言葉が、自然と口から出ていた。
「ユノア、俺達、家族になれないか?」
途端に、ユノアはきょとんとした顔でヒノトを見た。
ヒノトも、自分でも予定外に飛び出してきた発言に今更ながら赤くなりながら、言葉を続けた。予定していなかったことなので、言葉がしどろもどろになってしまう。
「…俺には家族がいないんだ。母上は俺を生んでまもなく亡くなり、再婚をしなかった父上も、二年前に亡くなった。だから俺には兄弟もいない。この王宮の中で王として威張ってはいるが、部屋に帰ればひとりぼっちだ。ユノアと同じだな」
ヒノトは寂しそうに笑った。
「俺の周りにいる人達には皆、家族がいる。ティサも、レダも、皆…。俺はそれが羨ましくてならなかった。父上が亡くなってからのこの二年間、俺をずっと支えてくれた皆には感謝しているが、俺が心から安らげる場所はなかった。仕事を終えると皆は家族の元に帰って行ったが、俺は一人きりの部屋に戻るだけだった」
ヒノトがユノアを見た。その目は、とても優しかった。
「俺とユノアは、似ているんだよ。寂しがり屋なのに、家族がいないんだ。だから俺はこんなに、お前のことが気になるんだろう。俺達なら、きっといい家族になれる。家族のいない寂しさを知っているからだ」
ユノアもじっとヒノトを見つめた。ヒノトは惑うことなく、ユノアの視線を受け止めている。その瞳に、偽りなどないように思えた。
ユノアは目を逸らし、俯いた。
「でも…。私なんかがヒノト様の家族になるなんて…。きっと反対されます」
するとヒノトが言った。
「俺が知りたいのは、他人の意見じゃない。ユノア、お前の意思だ。お前はどうしたい?俺と家族になりたいと思うのか?」
ユノアは戸惑った。以前も、ダカンにこう聞かれたことを思い出した。ユノア自身の意思はどうなんだと。他人の意思ではなく、お前の意思が聞きたいのだと。
(私の意思?そんなこと、分かりきっている)
思いは口から溢れ出た。
「家族が欲しいです。ひとりぼっちは、…寂しいです」
ヒノトは微笑むと、そっとユノアを抱き締めた。
「ならば、俺と家族になろう。この命が尽きるまで、俺はお前と共に生きる。約束だ」
ヒノトの腕の中で、ユノアの目から一筋の涙がこぼれた。