第二章:闇の中の太陽
「ユノア?ユノア、どこにいるの?」
ティサと侍女達が、王宮の庭の中で散らばって、しきりにユノアの名を呼んでいる。王宮の中でも背の高い花木が植えられている庭で、今はアイリスが鮮やかな紫色の花を何百とつけて咲き誇っている。
アイリスの葉を掻き分けながら、ティサは腰を屈めてユノアの名を呼び続けた。
「ティサ。どうしたんだ」
名を呼ばれて振り返ったティサは、驚いた顔をした。
「まあ、ヒノト様。それが…」
ティサにしては珍しく言いよどんでいる。たまたま通りかかっただけのヒノトだったが、庭へと下り、ティサに近付いていった。
「どうした」
「あの、ユノアが…。いなくなってしまって…」
「な、なんだと?逃げ出したというのか?」
ティサは慌てて首を振った。
「いいえ。とんでもありません。多分王宮内のどこかにいるだろうとは思うのですが…。この前も、庭の草の中に隠れていました。…私達に打ち解けることが出来ないようです。部屋の中で私達と顔を合わせているのが辛いらしくて、最近は毎日のように部屋を抜け出してしまいます。どこかに隠れて一人きりになる時が、一番心休まる時なのかもしれません」
「…まだ元気が出ないのだな」
「身体はすっかり元気になったのですよ。ですが、心の方が…。よほど悲しい思いをしたのでしょう。可哀想に。ユノアの口から事件の真相を聞いたときには、衝撃のあまりユノアを恐ろしくも思いましたが、時間が経って改めて考えてみると、私は深くユノアに同情してしまいます。あの子は今一人ぼっちなのです。自分の犯した罪に怯えているのに、恐ろしさを分かち合える親しい人物がいないのです。どれだけ心細いことか…」
ティサは目頭を押さえながら鼻をすすった。
「まだあの子の笑顔を見たことがありません。きっと天使のように可愛らしいでしょうに」
ふと、ヒノトは遠い目をして考え込んだ。
「そうだな…。俺もぜひ見てみたいものだ。よし!俺もユノアを探すぞ!」
「ええ?でも…。お仕事はよろしいのですか?」
「ああ、いいんだ」
あっけらかんとしてそう言い放つと、ヒノトはがさごそとアイリスの葉を掻き分け始めた。その後ろ姿を見ながら、今頃は大臣達が困り果てているのだろうと、ティサは溜息をついた。
それでも、ユノアの心を開かせることができる人物がいるとしたら、それはヒノト以外には考えられないようにも思えた。ヒノトの大らかな、万人から愛される性格が、ユノアの心も明るく照らして欲しい。ティサはそう願った。
アイリスの中に隠れて、ユノアはじっと息を殺していた。ずっとティサ達が自分を呼ぶ声は聞こえていたが、返事はしなかった。膝を抱えて座り込んでいる。
身体が動かない。声が出ない。今は人と接するのが億劫だった。
事件の真実を話した後、ティサはまるで何も聞いていないかのように、いつも通りの態度でユノアに接してきた。ティサが何を考えているのか分からず、ユノアは戸惑った。
顔は笑っていても、心の中では気味が悪いと思っているのではないだろうか。そう思い始めると、もう止まらなかった。ティサを信じることは出来なかった。
ティサがどんなに笑いかけて親切にしてくれても、ティサが歩み寄る度にユノアは後ろに下がった。それ以上近付かないでと声を大きくして叫びたかった。でもそんなことは出来ない。こんなにもお世話になっているのだ。
ならば、口を閉じてしまおう。いつか愛想を尽かされるのを待っていよう。みんなから見放されてしまえば、迷惑をかけることもないだろう。
がさりと音を立てて、目の前のアイリスが揺れた。驚いて顔を上げたユノアの目の前に、ぬっと顔が現れた。それはヒノトだった。
驚きのあまり声が出ないでいるユノアとは対照的に、ヒノトはにっこりと笑った。
「ユノア!こんな所にいたのか」
ユノア以外には何もない暗い世界に、突如太陽が現れたようだった。太陽を背にして立ち上がったヒノトを、ユノアは眩しそうに目を細めて見上げた。
ヒノトは軽々とユノアを抱き上げた。戸惑っているユノアにはお構いなく、すたすたと歩いていく。
「あ、ヒノト様?」
ティサ達侍女がその姿を認めて追いかけてきた。
歩きながら、ヒノトは言った。
「ティサ。今日からユノアは俺の部屋で暮らすぞ」
ティサは歩くのを止めて、呆けた顔で聞き返した。
「…は?」
ヒノトは平然として歩き続けている。
「ユノアの服などを、俺の部屋へ持って来い。ティサも近くに部屋を移すんだ」
ぽかんと口を開けて立ち尽くしていたティサが、慌てふためきながらヒノトの後を追った。
「ほ、本気ですか?ヒノト様…」
「何で俺が冗談を言わなきゃならないんだ」
「いえ、あの、そういうことではなく…」
「いいから、言う通りにしろ」
ヒノトの腕の中で、ユノアも戸惑っている。だが、ヒノトの決意は固いようだった。大股で歩きながら、自分の部屋の方へと去ってしまった。
一度言い出したら、決して曲げることはないヒノトの性格を知っているティサは溜息をつくしかなかった。ヒノトの言う通りにするしかないだろう。
それにしても、まさか同じ部屋に住まわせろと言い出すとは…。ヒノトは国王なのだ。今ヒノトに妻である王妃はいないが、もし王妃がいたとしても、同じ部屋に住むことは通常あり得ない。
ユノアへの同情心からの行動なのか。それとも…。
(とにかく、レダ様には報告しておこう)
ティサはそう思うことで心の整理をつけると、忙しなく侍女に指示を出し始めた。