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星姫の詩  作者: tomoko!
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第二章:ユノアの名前の由来

 ザバダ山には、昔から多くの旅人が歩くことによって自然と造られた道がある。馬がようやく一匹通れるほどの狭い道だ。道のすぐ外には崖が待ち構えており、一時も気が抜けない。

 ヒノトを先頭に、一行は急な山道を登っていく。鍛えられた軍馬だが、さすがにこの山道では息があがってしまうらしい。荒い鼻息が聞こえてくる。

 周囲の景色は、鬱蒼とした森から、だんだんと背丈の低い樹へと変わっていく。その樹の数も、どんどんまばらになっていく。それに連れて、山から見下ろせる下界の景色もよく見渡せるようになる。

 途中、何人かの旅人を追い抜いた。普段馬など通らない山道だ。旅人は道を譲りながら、何事だとヒノト達を見上げている。


 ようやく目的の草原へと辿り着いたときには、さすがのヒノトも大きく息を吐いた。呼吸は荒く、顔には大量の汗をかいている。

 この草原は、ザバダ山を越える旅人の休憩所として利用される場所だった。これだけの広さがあれば、テントを張って野宿することも可能だ。

 そして何より見晴らしが最高だった。絶景を見ながら、旅人は更に続く過酷な旅を続けるための生気を養うのだ。

 後ろを振り向き、レダ達を見た。三人ともやはり、苦しそうな表情をしている。

「皆、疲れただろう。馬に水をやって、皆も休んでくれ」

 ユノアを抱きかかえながらヒノトは馬を降りた。ユノアもさぞかし疲れているだろうと思い、顔を覗き込むと、やはりうっすらと汗をかいている。

 ヒノトは草原に座り、膝の上にユノアを乗せた。まず自分が先に皮の袋に入った水を飲み、ユノアにも渡してやった。ユノアも喉が渇いていたのだろう。素直に水を受け取ると、こくこくと喉を鳴らして水を飲んだ。

 可愛らしい仕草に、ヒノトの顔も緩む。


 ユノアの息が落ち着いたのを見計らって、ヒノトは立ち上がり、ユノアの手を引いた。ヒノトに導かれるまま、ユノアはついてくる。表情はまだ硬いが、ヒノトに対する警戒心は感じられない。

 馬の手入れを追えたレダ達も、二人の後についていった。

 草原の端まで来て、ヒノトは足を止めた。目の前には、雄大な景色が広がっている。雲や小さな山も下に見える。何しろこの草原は、標高千メートルの高さにあるのだ。

 ヒノトは指で下界を指し示し始めた。

「ユノア。あそこに大きな街が見えるだろう。あれがジュセノス王国の首都、マティピだ。お前が今住んでいる王宮もあの中にあるんだが、今は見えないな…」

 ユノアはぼんやりとした表情だが、ヒノトの指し示す方角を見て、話に耳を傾けている。

「ここからは、ジュセノス王国のほぼ全部を見渡すことが出来るんだ。マティピに七十万人、ジュセノス王国全部では五百万人もの民が住む、広大なこの国をな。このザバダ山の麓から大きな川が流れていく。ジュセノスの母なる大河、シノナ河だ。川をずっと追っていってみろ。川に沿って、王国の主な都市が見える筈だ。シノナ河の下流は、ここからではぼんやりとしか見えないが、あの辺りはグアヌイ王国という別の国だ…。…まあとにかく、ここからはっきりと見渡せる土地は全て、ジュセノス王国のものだ。…緑もたくさん見えるだろう。シノナ河のおかげで、王国は水には困らない。農業もさかんだ。長い王国の歴史の中で、民が飢えた記録はない。世界でも有数の恵まれた国だと、俺は思っている」

 そう語るヒノトの顔は、実に誇らしげだ。実際、ヒノトはジュセノス王国を心から愛していた。

 この景色の中に、五百万もの民が生活を営んでいる。その全ての人達に幸せであって欲しかった。そんな自分の夢を叶えることが出来るだけの豊かな自然が、王国にはあると信じている。

 だが、自分が守るべき民が虐殺されるという悲惨な事件が起きた。王として、ヒノトはこの事件から目を逸らすことは出来ない。例えユノアがどんなに可愛かろうと、真実を突き止めねばならない。次第によっては、王としてユノアに断固たる処罰を与えねばならないのだ。


 ヒノトはシノナ河の流れから指の方向を変えた。河の周囲は割と開けた平地が広がっているが、今度ヒノトが指した方向には、黒々とした森が広がっている。

「…あの辺りは、ジュセノス王国の中でもまだ未開の森だ。どんな凶暴な獣がいるとも限らないから、民もあまり近付かないようだ。あの中に、ユノア、お前を拾ったガジュの森もある。その先に、街や集落があるのが見えるか?あの辺りが、ディティ市や、ファド村のある場所だ」

 つないだ手から、ユノアの身体の振るえを感じながら、ヒノトは続けた。

「ユノア…。お前がかつて住んでいた村だ。見えるか?」

 ユノアの顔は青ざめていた。それでも、村のある方角から目を逸らそうとはしなかった。レダ達も、息をつめてヒノトとユノアを見つめている。

「ユノア…。もうお前しか、事件の真相を知る者はいないんだ。俺にはお前が、非情に百人もの村人の命を奪った凶悪な人間には見えない。もしそれが事実だとしても、理由があったんじゃないのか?ハドクを殺したことと、関係があるのか?」

 ユノアから返事はない。質問を変えてみることにした。

「お前についての、いろいろな噂も聞いたよ。お前は拾われた子だという話だったな。両親とは全く似ていなかったと。…お前の口から聞かせてくれ。村でどんな暮らしをしていた。村での生活は、お前にとって苦痛でしかなかったのか?」

 ヒノトはふうっと息を吐くと、そっとユノアの様子を窺った。

 ユノアは肩を震わせながらも、やはり無表情のままだ。いや、今にも泣きそうにも見える。だが泣こうとしないのは、ユノアがヒノトに心を許していないからだ。ユノアの心は、まだ堅く凍ったままだ。

 どうすればその心を溶かせるのか。どうすれば、ユノアの信頼を得ることが出来るのか。

 ヒノトは切り札を出すことにした。それは今日の朝、レダから教えられた情報だった。


 草原に風が吹き始めた。ユノアの銀色の髪が風に揺られてたなびいている。髪の毛の下で、カヤの緑のイヤリングが、鮮やかにきらめいた。

「ユノア、という名前…。とても綺麗な響きだと思っていたが…。その名の意味を知っているか?」

 ユノアの顔が僅かにヒノトの方を向いた。興味を持ったらしい。

「ファド村のある辺りには、昔、固有文化を持った部族が暮らしていた。その部族が使っていた独自の言語があったんだ。ジュセノス王国に統合されてから、言語も衰退してしまったが…。ユノアというのは、衰退した言語の一つだ。お前の両親は、その言語を知っていたんだろう。ユノアとは、『我が子』という意味だそうだ」

 ユノアの目が驚きに見開かれた。頭の中を、ダカンとカヤの顔が過ぎる。

 拾った異形の子を、どんな想いで『ユノア』と名づけたのだろう。どんな想いで、その名を口にしていたのだろう。

 この子を我が子として愛すと誓い、その名を呼ぶたび、自分の愛情を確認していたのだろうか。我が子として愛せているか。寂しい想いをさせていないだろうか。

 本当に我が子のように愛されていたのか。その答えは、ユノア自身が一番よく分かっている。『ユノア』と名を呼ばれるときのあの声の優しさ。愛しそうにユノアを見つめるあの目。

 自分は確かに愛されていた。我が子として。溢れんばかりの愛情を受けていたのだ。

「お父さん!お母さん!」

 ユノアはそう叫ぶと、その場に跪き、顔を覆って泣きじゃくった。

「うわあああーー!」

 声の限りに絶叫する。そうしなければ、込み上げてくる想いに押しつぶされてしまいそうだった。

 ずっと一緒にいたかった。あの愛情さえあれば、他に欲しいものなんてなかったのに。

 もう二度とあんな、惜しみなく注がれる愛情を受けることは出来ないだろう。そしてそれをユノアから奪ったのは、自分自身だということも、ユノアはちゃんと分かっていた。

 ヒノトはそっとユノアの側に跪くと、ユノアを抱きしめてやった。ユノアはヒノトにしがみつくと、もう枯れかけている声を更に振り絞って泣き続けた。

 ヒノトも、胸の痛みを感じていた。その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。ユノアの様子を見ていれば、ユノアがどれだけ愛されていたのか、ユノアがどれだけ両親を愛していたのかが分かったからだ。


 泣いて、泣いて…。泣き続けたユノアは、いつしか気を失ってしまった。その身体を抱いて立ち上がったヒノトがレダ達を振り向くと、三人とも一様に暗い表情をしている。

 ヒノトは何も言わず馬に乗ると、しっかりとユノアを抱き締めたまま、また山道を戻り始めた。

 王宮に帰りつくまで、誰一人として言葉を発する者はいなかった。


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