第二章:ヒノト
ダカンとカヤを失い、ユノアは絶望と孤独の闇の中にいた。
だがユノアは偶然にも、ジュセノス王国の国王、ヒノトと出会う。ヒノトはユノアを一目見て気に入ったのだろうか。家臣の反対を押し切って、ユノアを王宮に連れて帰ることにする。
このヒノトこそが、ダカン達が切望していた、ユノアが出会うべき運命の相手なのか?それとも…。
新たな人々に囲まれて、ユノアの王宮での暮らしが始まる!
静寂に支配されたガジュの森の中を、ひっそりと進む集団があった。それは、馬に乗った六人の男達だった。
馬はよく訓練されているらしく、乗っている人間の指示に従って、乱れた動きは見せない。苔に覆われた地面をゆっくり踏みしめながら、馬達は静かに進んでいく。
男達は、一目で高い身分を分かる身なりをしている。上等な絹生地に細かな刺繍の施された服。胸元にさりげなく下げているネックレスも、普通の市場では見ることなどない豪華な造りだ。
服の下に隠れてはいるが、誰もが鍛え抜かれた肉体を持っていることは、厚い胸板と、揺れる馬上でも崩れない姿勢を見て分かる。そして皆、腰に刀を帯びている。
もし今、集団に悪意を持つ人間が襲ってきても、一瞬のうちに切り伏せられてしまうだろう。それ程の殺気が、集団には漂っていた。
静かな森の中だというのに、絶えず周囲に目を光らせ、手は常に剣を握っている。
そんな男達を付き従えて先頭を進んでいるのは、まだ歳若い青年だ。歳は二十歳前くらいだろうか。
切れ長の漆黒の瞳は澄んでいて、その瞳を見ただけで、青年の人柄の良さを感じることが出来る。鼻筋も口元もすっきりとしていて、無駄なものがない、という印象だ。万人から好かれる顔立ちとは、まさにこの青年のことを言うのだろう。
派手ではないのだが、会った瞬間に人から信頼される魅力がある。瞳と同じ色の髪の毛が、身体が揺れる度に柔らかそうに動いている。
後ろに控える男達の緊張などどこ吹く風で、青年は飄々とした表情でガジュの樹が立ち並ぶ森を見渡し、しきりに感嘆している。
「…すごいな、この森は。ジュセノス国にも、まだこんな人の手の入っていない原始の森が残っているとは。神というものに俺は会ったことがないが、この森には人間など到底及ばない、神秘の存在がある気がする」
青年は目を輝かせて後ろを振り向いた。
「なあ、キベイ。そう思わないか?」
キベイと呼ばれたのは、集団の中で最も年長で、長い髭を持った男だった。歳は三十半ばくらいだろうか。髭はあごよりも長く、鬼を連想させるような恐ろしい顔立ちに更に迫力を加えている。その体格は、いかにも歴戦の戦士といった風体で、堂々としている。
キベイは溜息をついた。
「ヒノト様…。あなたはまさか、森が見たいがためにわざわざ出向いてきたのではありますまいな。それに付き合わされる我々の気苦労を考えてください。ジュセノス国の治安はまだまだ不安定です。ここであなたの身に何かあれば、これまでの我々の苦労は何だったのか…」
しまった。キベイに愚痴を言わせるきっかけを作ってしまったと、ヒノトは苦笑いしながら前を向いた。ヒノトを心配してのことなのだが、少々回数が多い。
「キベイ。そんな愚痴をヒノト様に言ったって無駄だ。ヒノト様の好奇心は、誰にも止められねぇよ」
キベイの横に並んで馬を進めていた大柄な男が、ひっひっと下品な笑い声を出した。キベイは男をじろりと睨んだ。
「オタジ。ヒノト様をそそのかして、しょっちゅう王宮から連れ出す張本人はどこのどいつだ?よくそんな軽口が聞けたものだ。お前はヒノト様の護衛隊、隊長なんだぞ。その自覚をしっかり持って、お前がヒノト様を諫めねばならないのに…」
オタジへのキベイの愚痴は、延々と終わる様子がない。オタジはしまったと顔をしかめた。キベイよりも一回り大きな身体は、すっかり縮んでしまっている。
オタジの顔には、右頬に大きな刀傷がある。肌寒い森の中でも剥き出しにされた腕や足にも、数え切れない傷が残っている。オタジが数々の死線を乗り越えてきた証だった。その傷が、まだ二十代前半の筈のオタジの年齢を老けて見えさせていた。
キベイに叱られるオタジという構図は、日常茶飯事の光景だった。後ろで笑いを押し殺している部下達の気配を察して、オタジは心の中で呟いた。
(…お前ら、後で覚えてろよ)
オタジの訓練は過酷なことで兵士に恐れられていた。訓練中に骨を折るなど、珍しくなかった。更にどんな特訓があるというのか。部下達は恐ろしい未来など知る由もなく、笑いを堪えるのに必死だ。
一行はその後も順調に森の中を進んだ。ガジュの樹の葉がすっかり空を隠してしまっていて、土壌に光が届かない。そのため大きな雑草が育たず、騎馬でも十分に進むことが出来た。
それにしても、静かな森だ。獣どころか、鳥さえ見かけない。遠くでさえずる声が聞こえるだけだ。剣を身構える機会さえなく、次第に護衛の兵達の緊張も解けていった。