第一章:ガジュの森
森の中を、どこへ行く当てもなくユノアは歩いていた。
ずっとひどい頭痛がしていた。思考能力は完全に停止していた。ただ動いているだけの足は、何度もつまづいて転んだ。だがその度に起き上がり、またふらふらと歩き出した。
どれだけ歩いただろうか。森の様子が変わった。小さな木が密集していたのが、幹の太い巨大な樹が間隔をあけて立ち、天に向かって枝を伸ばしている。
ユノアの足が止まった。ずっと俯いていた顔を上げて、樹を見上げた。それはガジュの樹だった。ファド村では、家の側に一本だけあったガジュの樹が、ここでは無数に生えている。
その中で最も大きな樹の側に、ユノアは近づいていった。大きい。大人五人が手を回して、ようやく囲めるくらいの幹の太さだ。
樹はただそこにあった。何も語らず、動くこともない。顔もないから、表情もない。それなのに、どうしてこんなに威厳があるのだろう。
無・静・止
樹はただ存在しているだけだった。
だが、人を憎み、その結果人を殺してきたばかりのユノアにとって、その樹の姿は憧れとして映った。
自分もこうあれたら。静かな心を持ち、誰にも迷惑をかけずに生きていけたら。
ファド村を出てからずっと凍りついていたユノアの心が溶けていく。頬を再び涙が伝った。
何ということをしでかしてしまったのか。地面に跪き、ダカンとカヤの頭を抱き締めてユノアは慟哭した。
森の静けさが、今のユノアには何よりの癒しだった。
時が過ぎた。ユノアは泣くのを止めていた。涙はかれ果ててしまった。大木の根元に寝転がって、ユノアはじっとダカンとカヤの顔を見つめていた。
時間が経つに連れ、二人の顔は崩れていく。これ以上は死者を冒涜するだけだった。別れの時が近付いていた。
大木の根元に、ユノアは穴を掘り始めた。顔を納めるだけだ。大きな穴を掘る必要はなかった。
人間の墓としてはあまりに小さな穴の中に、ユノアは二人の顔を納めた。顔をくっつけ、離れないように気を配った。
いざ土をかけようとした時、またユノアは泣き出してしまった。
もう二度と見ることは出来ない二人の顔に、何度も口付けた。顔の細かい部分まで、目の奥に焼き付けた。いつも優しい眼差しをくれた眼。自分の名を呼んでくれた口。どれも、もう二度と動かない。
ようやくユノアは土をかけた。二人の顔がどんどん見えなくなっていく。そして全て、埋まってしまった。
獣に荒らされないように、土の上にはたくさんの石を置いた。
完成した墓の側で、ユノアは再び寝転がった。いつしか眠りについたユノアを、ガジュの樹だけが静かに見守っていた。