第一章:悪夢の夜
結局逃げ出す決意が出来ないまま、ユノアは夜を迎えた。
真っ白な絹の寝着を着せられて、ユノアはある部屋へと連れて行かれた。薄暗い照明がつけられ、いい匂いのする部屋の中央には大きなベッドがあり、いかにも金持ちが好みそうな天幕が引かれている。
ユノアは困惑げに付き添ってきた女中を見た。今夜はここで眠れということなのだろうか。だが女中は何も言わず、ユノアを一人残したまま部屋を出て行ってしまった。
ユノアは仕方なく、ベッドに腰を下ろした。
こうして一人きりにされると、頭に浮かぶのはダカンとカヤの顔ばかりだ。会いたい。寂しくてたまらなかった。
このベッドの布団はふかふかで気持ちがいいが、ユノアが眠りたいのは、いつも使っていた藁布団だ。あの布団の中で、カヤに抱き締められて眠りたい。どんなに安心できることだろう。ユノアの目に涙が滲んだ。
ふとユノアは閃いた。ハドクに言ってみようか。ファド村に帰らせて下さいと。何故だかハドクが自分のことを気に入っているらしい雰囲気は感じていた。
くよくよ悩んでいるよりも、話してみたらいいのかもしれない。それは、今ユノアが考え得る、最良の方法のように思えた。
ユノアは眠気を覚えた。今日は一日中気を張り詰めていたので、とても疲れていた。今なら一人ぼっちでも眠れそうだった。
布団をめくって中に潜り込もうとしたときだった。部屋の扉が静かに開いた。その方を向いたユノアが見たのは、寝着に着替えたハドクの姿だった。
困惑そうにしているユノアに、ハドクが近付いていく。何の遠慮もなくベッドに腰掛けると、ずいと顔を寄せてきた。
逃れようとしたユノアは、そのまま仰向けにベッドに倒れこんでしまった。その上からハドクが覆い被さってくる。
ユノアの顔が恐怖で凍りついた。ハドクの顔にザジの顔が重なった。ユノアはパニックを起こして暴れた。
「嫌ぁ!離して!」
ハドクを突き飛ばし、ベッドから逃げ出そうとした。だがハドクに腕を掴まれて、再びベッドに倒されてしまった。その拍子に寝着がまくれて、ユノアの真っ白で細い足が顕になる。ハドクの目が不気味に光った。
ハドクがユノアの足に唇を押し当ててきた。舌を使って、肌を舐める。ユノアは悲鳴をあげた。全身に悪寒が走った。必死に逃れようとするが、力がはいらない。あまりに気持ち悪くて、恐ろしくて、身体が震えているからだ。
ハドクの唇が、足からどんどん上の方へと這い上がってくる。ユノアの本能が危険信号を鳴らしている。逃げろと。このままでは、大切なものを失くしてしまう。
ユノアの顔は涙でまみれていた。歪む視界の中、側にあった置物を掴んでハドクに投げつけた。一瞬ハドクが怯んだ。
その隙に、ユノアはベッドの下へと身を投げ出した。そのまま這って部屋の出口へと向かおうとするが、一緒に落ちてきた布団が絡まって上手く動けない。
涙で大きな声が出ないのを必死に振り絞って、ユノアは叫んだ。
「誰か、助けて。お願いぃ!」
だが、誰も来ない。来るはずがない。皆ハドクの言い成りだ。そしてハドクが女を無理やり手篭めにすることなど、日常茶飯事のことだった。
ユノアに同情する者など、この屋敷にはいなかった。
だが今夜はハドクも異様だった。ハドクは自尊心の強い男で、女がここまで嫌がれば、いつもなら気持ちが冷めて不機嫌になり、女に酷い仕置きをして夜の街に放りだしていた。それが今夜は諦めようとしない。
今日は昼間から、ユノアが頭の中を占めていた。ユノアを抱きたいという欲望が燃えたぎって、実際にユノアを抱かなければ収まりそうになかった。
ハドクにとっても、これ程までに一人の女に執着したのは初めての経験だった。
ハドクは狂っているのだ。今日の朝、ユノアを間近で見たときから、その美しさに魅了され、ユノア以外のものがどうでもよくなる程に狂わされていた。
ハドクは息を切らしながら、再びユノアの上に乗った。強引に顔を自分の方へ向かせる。美しいユノアの顔は、涙にまみれ、ハドクへの憎しみで歪んでいた。
ユノアの髪の毛の間に指を差し入れ、その滑らかな感触に酔いながら、ハドクは言った。
「お前は俺のものだ。一生離さないぞ。朝も、昼も、夜も、俺は抱きたいときにお前を抱くんだ」
幸福な夢に、ハドクは酔いしれた。だがそれは、ユノアにとっては最悪の未来だ。