第一章:家族
爽やかな朝の光の中で、無邪気に笑うユノアを腕に抱いて、ダカンは幸福感に包まれていた。子供の笑顔というのは、これ程までに可愛らしく、愛しいものなのか。ダカンがおどけた顔をする度、ユノアは声をたてて笑った。
それにしても…。と、ダカンは思う。日に日に大きくなるユノアの可愛らしさに、ダカンは圧倒されるばかりだった。
我が子だから、とか、そんな次元ではない。淡い白銀の髪の毛は、ダカンやカヤの黒髪とは明らかに異質で、くりんとした淡い茶色の瞳も、上品に整った鼻も、さくらんぼ色の唇も、他の赤ん坊とは違う。そう、ユノアは高貴な顔立ちをしているのだ。
こうして腕の中で笑うユノアを、とても愛しいと思う。だがふと、ユノアの俗離れした顔立ちに気付くときがある。そんなとき、ダカンはいいようがなく寂しくなるのだ。
ユノアは既に紛れもなく、ダカンとカヤの娘で、ユノアのいない生活など考えられない。なのに、ユノアはやはり、自分たちとは違う世界の存在なのだろうか?
カヤが炊事を終えて、二人の側にやってきた。ダカンの思惑になど全く気付かないようで、満ち足りた笑顔でユノアを覗き込んだ。
「もう、ユノアったら…。お父さんの側なら、いつでもご機嫌なのね。お父さんにばかり笑顔を見せているから、私への分がなくなっちゃうんじゃない?」
口ではぼやいているが、ユノアにメロメロなのは明らかだ。ぐずるユノアでも、夜泣きするユノアでも、カヤは幸せそうに相手している。
幸せそうな妻を見るのは、ダカンにとって最も嬉しいことだった。つい暗い妄想に走る自分を、戒める。
二つの命が、自分の肩にかかっているのだ。心を強く持たなければと、叱咤する。
ふと目を下に向けると、そこにはユノアの笑顔。ほっとした。永遠に続いてほしいと思えるような、穏やかな時間だ。
だが、ダカンははっとした。
「しまった。またのんびりしてしまった。ユノアを見ていると、つい時間が経つのを忘れてしまうから、駄目だな」
慌ててユノアをカヤに預けると、立ち上がり、寝着から作業着へと着替える。首に手ぬぐいを巻いて、戸口に立った。これから畑へと仕事に出るのだ。カヤがユノアにつきっきりで仕事に出れない分、ダカンが働かねばならない。
「あなた、今日は暑くなりそうよ。無理をせずに、こまめに休んでね」
後ろからカヤの労わりの声と、ユノアの盛大な泣き声が聞こえてくる。ダカンが家を出るたび、その気配を察知して泣いてしまうのだ。
「おお、よしよし。ユノア、泣かないで」
カヤが必死にあやしても泣きやまないユノアだが、ダカンが戻って覗き込むと、途端に泣きやみ、笑顔を見せた。それだけで、ダカンは有頂天だ。
ほくほく顔で家を出ると、鍬を片手に畑へと歩いていく。家の周囲に広がる、20坪程の土地。ダカン達はこの土地を耕して、野菜を育て、それを売ることで生計を立てていた。
ファド村は三百軒程の農家の集まりで、所有する土地の広さは違うものの、皆、同じようにして暮らしている。
ダカン達の家は、村でも最も外れにあるので、ここを通る村人はほとんどいない。隣、といっても家は百m程離れているが、に住むゾラ一家が既に、畑で仕事を始めている姿が遠く窺えた。
種まきは既に終わらせているので、今はひたすら雑草を取り、水を撒き、肥料をやる。この繰り返しだ。
暑い時期は特に、生命力の強い雑草との戦いが壮絶だ。きれいにした筈の場所に、次の日にはまた新しい草が生えている。
降り注ぐ太陽の日の下で、ダカンはもくもくと作業を続けた。
整備された畑の頭上には、影を与えるような木などない。太陽の光を浴びた背中は、すぐに燃え出しそうに暑くなる。
それでも、ついダカンも仕事に熱中してしまう。何しろ、この雑草の量だ。
だが、さすがに無理をし過ぎたのか、目の前が暗くなってきた。
カヤの言葉を思い出し、ダカンは畑のちょうど真ん中辺りに立つ木の下へと向かった。これは、ガジュという種類の木で、見渡す限り広がる平地で、この木だけが太陽の陽射しからダカン達を守ってきた。
子供の頃から涼を取ってきたガジュの木の幹に、ダカンは寄り添った。腰に下げていた水筒を取り出し、水を口に含んだ。水の感触も分からぬ程に、口の中は乾ききっていた。
ようやく、自分の身体が相当に熱くなっていることに気付いた。熱中症になりかけていたのかもしれない。倒れては元も子もないと反省し、しばらく休憩を取ることにした。
ガジュの木の陰にいるといつも、涼やかな風が通り過ぎていく。それがダカンにはいつも不思議だった。まるで木が、下にいる者を癒すために、風を作り出しているかのようだ。
おかげで、ダカンの体力も戻った。
ずっとここにいたくなる心地よさではあったが、ダカンの目には我が家が映っていた。あそこに、カヤとユノアがいる。守るべき人達がいる。その想いが再びダカンを戦場へと駆り立てていった。