第一章:ハドクの元へ
ディティの街へ入るための入り口では、堅く門が閉じられていた。本来なら朝の決められた時刻にならなければ決して開くことのない門だが、馬に跨ったまま、ゾラは見張りの兵士に向かって叫んだ。
「ディティ市長、ハドク様に急ぎの用事がある。至急お取次ぎいただきたい」
兵士達は不審顔だ。
「何だ、お前は。夜明けまでもう二時間ほどだ。門が開いてから来い」
だがゾラは、強気の姿勢を崩さない。
「俺は、ハドク様が強くお望みのある物を持ってきたんだ。今俺を追い返せば、ハドク様からお叱りがあることは間違いない。それでもいいのか?」
兵士達は顔を見合わせた。兵士の間でも、ハドクの横暴ぶりは恐れられていた。ハドクの怒りに触れないこと。それが兵士の最も気を配るべき事柄だった。
「…分かった。秘書のケベ様にお伺いを立ててみよう。しばしそこで待て」
ゾラは舌打ちした。早くユノアを渡してしまいたいのに、何をぐずぐずしているのかと心の中で兵士をなじった。ユノアを腕の中に抱いているのは、ゾラにとってこの上なく気持ちの悪いことだったからだ。
ゾラの腕の中で、ユノアは暴れることもせずにじっとしていた。これ以上ゾラを怒らせて、もしダカン達がもっと酷い目にあったらと思うと…。されるがままにするしかなかった。
十分程で、兵士が戻ってきた。慌てふためいたように、急いで門が開けられる。
「さあ、早く通れ!ケベ様がお待ちだ」
馬に跨ったまま、ゾラはディティの街へと乗り込んだ。昼間ならば、多くの商店が立ち並び、賑わう大通りも、今はひっそりと静まり返って、人一人見かけない。
ハドクの屋敷に着いたゾラが馬を下りると、物音を聞きつけてケベが外に出てきた。
ケベの足元に、ゾラはユノアを投げ飛ばした。
「この娘がユノアです。約束は果たしました。これで、ファド村はこれからも、平穏無事に暮らせますね?」
「……。これがハドク様の望まれた娘かどうかは、実際にハドク様に目通りさせてからでないと分からない。…それにしても、何故こんな夜遅くに来たのだ?今時分に来なければならない事情があったのか?」
ゾラは一瞬言葉に詰まった。ユノアが村人から厭われていること、ザジを殺したことなど、知られてはならなかった。ファド村の側に落ち度を作ってはならないのだ。
「…ユノアの両親は、娘をハドク様に差し出すのを拒みました。そのため、夜中家に忍び込み、ユノアだけを連れ出してきたのです」
ケベは疑いの目でゾラを見た。何か隠しているだろうと言いたげな目だった。
「…まあいい。私に必要なのは、ハドク様が欲しがっていたその娘を手に入れることだけだ。それさえ成し遂げられれば文句はない」
ケベはユノアを抱えあげた。感情の掴めないその顔に、ユノアは怯えた。
「ご苦労だったな。ゾラ。もう帰っていいぞ。ファド村にはハドク様から恩賞を賜るだろう。」
ユノアを連れてくるために、ファド村の皆がどれだけ混乱し、苦しんだことか。それに対する労いの言葉が、たったそれだけか。所詮、ケベのようなハドクにへつらう役人にとって、ファド村のような辺境に住む村人など、使い捨ての駒でしかないのだ。
だが、それでいい。二度と俺達の暮らしに近付くな。そう心で毒づきながら、ゾラはディティから去って行った。
ケベは屋敷の中へと戻ると、女中を呼び集めた。まだ夜明け前だ。眠そうな目をしながらも、女中達はすぐに集まってきた。
女中に、ケベは命じた。
「この娘を風呂に入れろ。朝になってハドク様が目覚められたらすぐに目通り出来るように、垢をしっかり落としておけ」
女中達に囲まれて風呂場へと向かうユノアの後姿を見送ると、ケベは居間へと向かい、ソファに腰を下ろした。
堪えきれず、大きな欠伸をする。毎回、ハドクの趣味に振り回される自分の役目に、慣れているとはいえ苛立った。
(それにしても…)
間近でユノアの顔を見たが、何故ハドクがそんなにも執着するのか分からない。確かに整った顔立ちをしているが…。ケベの目には、くすんだ色の髪をした、薄汚い少女に映った。
既に頭の中に、ユノアの顔はなかった。朝になり、ハドクが起きたら、ユノアを手に入れたことをどれだけ自分の手柄として報告出来るか。その計画で頭の中は占められていった。
いつの間にかソファに座ったまま眠っていたケベは、女中のけたたましい声に起こされた。
「ケベ様ぁぁ!」
心地いい眠りを妨げられたケベは、不機嫌に女中を睨み付けた。
「…なんだ。騒々しい」
「あ、あの、あの…!」
女中はよほど混乱しているようで、口をパクパクさせるだけで、なかなか本題に入らない。ケベは苛々した。
「落ち着け!何事だ」
「あの…。ケベ様から預かったあの娘を今風呂に入れていたのですが…。髪の毛を洗ってやると、黒色が取れて、それで、あの…。髪の毛が銀色になったんです」
さすがのケベも目をぱちくりとさせた。
「…お前、何を言っている。まだ寝ぼけているのか。銀色の髪の毛を持つ人間なぞ、私は今だかつて見たことがないぞ」
「寝ぼけてなぞおりません!私だけではなく、皆見たのですから。…皆すっかり恐ろしがってしまって。私ももう、あんな気味の悪い子には触りたくありません。ケベ様。どうにかしてください」
半信半疑のまま、ケベは風呂場へと向かった。中に入ると、女中達は壁際に固まって、嫌なものでも見るような目つきで奥を見ている。
その視線の先を辿ってケベが奥へと足を進めると、湯煙の中にユノアが現れた。ユノアもじっと身を屈め、髪の毛を隠すように頭を抱えている。
確かに銀色のようだが、湯煙でよく見えない。ケベはユノアを抱きかかえると、風呂の出口へと向かった。
ユノアを抱えたケベが近付いてくると、女中達は一斉に後ずさった。ユノアが近付くのも嫌なようだ。
「お前達。身体はしっかり磨いたんだろうな?」
女中達は機械的に首を縦に振った。
「ならいい」
ケベが風呂場を出て行くのを、女中達は呆然として見送った。