第一章:奪われたユノア
家を出て、三人は音も立てずに歩いた。静かな夜だった。あまりにも静かなことが、逆に不気味だった。
カヤに手を引かれて小走りに進んでいたユノアの目に、月の光に照らされたガジュの樹が映った。ガジュの樹は、乱れたユノア達の心など素知らぬ様子で佇んでいる。
ユノアの頭に、あの樹の下で、ダカンとカヤと共にのんびりと寛いだ日々が過ぎった。どんなときでも、樹は常に変わらぬ安らぎを与えてくれた。
あの樹のように、安らかで静かな心を持てたらいいのに…。ふとユノアはそんなことを思っていた。
前を歩いていたダカンが、ふいに立ち止まった。はっとカヤが前に目を向けると、そこには、暗闇の中に立つ黒い集団があった。
集団から一人が進み出た。その顔が、月の光に照らされた。
「…どこへ行くんだ?ダカン」
ダカンは青ざめて、唇を噛み締めた。
「ゾラ……」
ゾラはまるで世間話をするような調子の声で話し出した。
「…さっき、ザジの遺体が発見された。どうやら、殺されたらしい。おかげでロザさんは、すっかり取り乱してるんだが…。それが不思議なことに、外傷がないんだ。ザジの死に顔は凄まじかった。目を剥き、舌は垂れ下がり、地獄でも見たかのような恐ろしい形相だった。そんな殺し方ができるのは一体どんな奴だ?鬼か、悪魔か?…もう一つ、奇妙な話がある。ザジの仲間が言ったことだ。今夜ザジはその仲間と共謀して、ユノアに会いに行ったというんだ。仲間は、確かにザジがユノアと一緒に家を出たのを見たと言っている。そして、家に帰ってきたのはユノア一人だったというんだ。…なあ、ダカン。どういうことだと思う?」
ダカンは答えることが出来なかった。ここまで知られてしまっていて、もはやとぼけることなど出来ない。
目も合わそうとしないダカンを押しのけ、ゾラはユノアへと歩み寄った。
「ユノア。お前が殺したんだろう?」
カヤがユノアを抱きとめようとした前に、ゾラがユノアの腕を引っ張り、引き寄せていた。
「ゾラ!」
ユノアを取り戻そうとしたダカンに、後ろに控えていた村人が掴みかかった。あっという間に両腕を固められて、ダカンは身動き一つ出来なくなった。
「お父さん、お母さん!」
ゾラに抱きかかえられて、不安のあまり泣き出してしまったユノアを見て、カヤはゾラの前に跪いた。
「ゾラ、お願い。見逃して。私達は遠くへ行くから。二度とあなた達の目には触れないと約束するから!」
「…それで村人が納得すると思うか?村の調和を乱され、ハドクに目を付けられ、あげくに、ザジを殺した!ユノアは凶悪な犯罪者だ。今すぐここで殺されたって、文句はいえない程のことを仕出かしたんだ!…ハドクに引き渡すことで許してやるのは、俺達のせめてもの情けだ。それに感謝も出来ないのか、お前らは!」
「ハドクに可愛い娘を引き渡すなんて…。ゾラ、あなたなら出来るの?あなたの娘を、黙って渡せるの?お願い。そんな、非人道的なことをしないで」
ゾラは鼻で笑ってみせた。
「はっ!…こいつが人間なら考えてもやるさ。だがこいつは悪魔だ。悪魔に対して、何が人道だ。笑わせるな!」
「ゾラ…!」
カヤは遂に土下座した。
「お願い。お願いよ。ユノアは私達にとって、かけがえのない娘なの。ユノアを愛しているのよ。ユノアのいない生活なんて考えられないの」
だがゾラはもうカヤを見なかった。ユノアを抱えて、ディティのある方向へと歩き始めた。
「お母さん!」
「ユノア!」
後を追おうとしたカヤを、他の村人が取り押さえた。悲鳴のようなカヤの叫び声が聞こえてくる。
ゾラがダカンの前を通り過ぎようとしたとき、ダカンが渾身の力を込めてゾラに体当たりしていった。ふいを疲れて村人の手が緩み、体当たりをくらったゾラは一瞬バランスを崩した。だがすぐに立ち直ると、ユノアを抱えていない側の手で、ダカンを殴りつけた。
倒れこんだダカンに、村人から暴行が加えられる。あまりに惨い光景に、ユノアは思わず目を瞑った。
それでもダカンは、切れ切れの息の間からユノアに向かって叫んだ。
「ユノア!逃げるんだ。俺達のことは気にしないでいい。ハドクの思い通りになんてさせるな!」
「お父さん!お母さん!」
泣き叫ぶユノアをしっかりと抱え、ゾラは用意してあった馬に跨って走り始めた。ユノアはあっという間に、ダカンとカヤの視界から消えていった。