第一章:憎しみから生まれるもの
ユノア達の見張りを命じられているザジの仲間は、ザジとユノアが二人で家から出て行くのを確認していた。ザジが今夜、ユノアを自分の物にしようとしていることも知っていたので、二人が帰るのは遅くなるだろうと思っていた。
だが、思いがけず早くユノアが帰ってきた。それも、一人でだ。月明かりのため、表情はよく見えなかったが、ユノアの様子は明らかにおかしかった。おぼつかない足取りで、走って帰ってきたのだ。
(ザジは、どうしたんだ?)
仲間の胸に、一抹の不安が過ぎった。ユノア達の見張りはひとまず置いて、仲間はザジがいると思われる林へと走った。
ザジの仲間の存在など、ユノアはすっかり忘れてしまっていた。
よろめきながら家の戸を開けると、灯りをつけない中で、ダカンとカヤは目覚めていた。
ユノアの姿を見るなり、カヤが飛びついてきた。
「ユノア!…ああ、無事だったのね。良かった…。私達が寝ている間に、お前が連れ去られたんじゃないかと思って、私はもう、生きた心地がしなかったわ」
どうやら、ユノアが家を出た後に目覚めた二人は、ゾラ達が家に侵入してユノアを連れ去ったのだと思っていたようだ。
カヤが泣いている。ユノアを強く抱きしめて泣いている。ユノアを再び腕に抱くことが出来て嬉しいのだ。その温もりの中で、ユノアの目にも涙が溢れた。
身体を震わせて泣き始めたユノアに、カヤは再び顔を曇らせた。
「ユノア?どうしたの?一体、何があったの」
「お母さん。お母さん…。ごめんなさい。私…」
「ユノア?」
「私…、ザジを、殺してしまった…」
カヤは声を出せずに、ダカンを見た。ダカンも、眉をしかめている。
「ユノア。何があったの?最初から話してちょうだい」
ユノアは、カヤに寄り添われながら座った。二人の前に、ダカンは膝をついた。
カヤの温もりの中で、ようやく落ち着きを取り戻したユノアが、か細い声で語り始めた。
「…眠っていたら、家の外から私を呼ぶ声が聞こえたの。戸を開けたら、そこにはザジがいたの。ザジに、俺なら村から脱出させることが出来るって言われて、その方法を聞くために、ザジについて行ったの。ザジは、ザジのお父さんに頼んで見張りの目を緩めてもらって、その見張りを自分の仲間にさせれば、私達を逃がしてやれるって言ったわ。でも、その代わり、…私に自分の物になれって言ったの。そして、私を押し倒して、…身体をたくさん触られたの。私、我慢しようと思ったの。でもどうしても気持ち悪くて…」
カヤは唇を噛み締めた。
「ああ、ユノア。何てこと…!可哀想に。恐ろしかったでしょう」
ダカンも顔を青くした。まさかザジがそこまで卑劣な人間だとは思わなかった。もっと早くに村を出る決断をするべきだったのだと、今更ながら後悔した。
「ユノア…。それで、ザジを殺したというのは、どういうことだ?本当に、ザジは死んだのか…」
ユノアはザジの死に顔を思い出して震えた。
「…多分、そうだと思う。私は、よく覚えていないの。ザジに、言うことを聞かなければ、村を出た後私達がどこへ行こうとも、私のことを皆にばらしてやるって言われて…。ザジが憎かった。死んでしまえって、思ったの…。頭が真っ白になって:。気がついたら、ザジが倒れてたの。息をしていなくて、顔は、苦しそうに歪んでた……」
ユノアはぎゅっと自分の身体を抱き締めた。
「…私、何をしたの?私の中にはどんな力があるというの?こんな、人を殺してしまうような力なんて、私はいらない!」
再びユノアは泣き出してしまった。
カヤはユノアを抱き締めると、背中をさすり続けた。何故ユノアがこんなにも苦しまなければならないのか。ユノアが望んだ結果など、一つもないというのに。これが、星から来た者の運命だというのならば、あまりに辛すぎる。
突如ダカンが立ち上がった。
「ぐずぐずしている時間はない。すぐにここを出よう」
カヤは驚いてダカンを見上げた。
「え?」
「ザジが死んでいるのを村人が見つけたら、どう思うだろう?ユノアに対する憎しみが更に増すかもしれない。…これが最後のチャンスだ。今を逃せば、俺達が三人で村を出ることは永遠に出来ないだろう」
カヤは顔を強張らせた。事態の深刻さに改めて気付いた。ザジの死がユノアの仕業と分かれば、ユノアは間違いなくハドクに引き渡されてしまう。いや、もしかしたら、…殺されてしまうかもしれない。
手に持って歩けるだけの荷物をまとめ、ダカン達は支度を整えた。家の中を見渡す。
住みなれた我が家だが、二度と戻ることはないだろう。それでも三人で暮らしていけるなら、未練はなかった。
いざ家を出ようとしたとき、ダカンがユノアの前に膝をつき、目を覗き込んだ。
「…ユノア。お前に一つ言っておきたいことがある。確かにお前には、不思議な力がある。今回ザジを殺してしまったというのは、お前がザジを憎んだことで心が不安定になり、暴走した力がザジを襲ったんだろう。それは決してお前の責任じゃない。これから成長していけば、必ず力をコントロール出来るようになる。今回のことは、悪い夢だと思って忘れるんだ。…だけど、これだけは二度として欲しくない。人を憎むことだ。憎んでも、いいことなんて一つもない。悲しみが生まれるだけなんだ。…人間とは愚かな生き物だ。完璧じゃない。過ちも、愚かな行動も、誰しもしてしまうことだ。今回のザジの行動も、許されるものじゃない。でもそのことでザジを憎んで、結局こんな悲しい結末になってしまった。…ザジを許して欲しかった。終わってしまったことを悔やんでも仕方ないが、大切なのはこれからだ。これから先、二度と人を憎まないと、約束してくれ。大きな心で、人を許すんだ」
ユノアはじっとダカンを見つめた。ダカンの言葉は、素直に身体の中に沁み込んでいった。
「はい。お父さん。約束します。もう二度と、人を憎んだりしません。…ザジにも、心からごめんなさいって、言いたい…!」
ユノアを抱き締めて、ダカンは泣いた。カヤも泣いていた。こんなに悲しいことは、これで最後になるといい。心からそう願った。